[短編]アゲイン
久しぶりに昔の自分の動画を見た。
まだ幼稚園の頃でかわいくてコロコロしている時だ。
そんな幼稚園の思い出の中で、放課後の体育スクールというのがあった。
内容は、鉄棒、跳び箱、縄跳びなどの運動を軽く一時間程度することだった。
僕は三年間続けた。
その証拠に盾が家に飾ってある。
本当にその頃は、楽しかった。
怖いものなんて全くなかったし、すぐに笑うこともできた。
ただ、楽しいことばかりではない。
嫌な記憶は鮮烈に焼き付いている。
周りと比べて運動オンチということを自覚しないわけにはいかなかった。
走れば、走り方がおかしいと笑われ、
逆上がりが出来なければ、こんなのもできないのかと笑われる。
しかし、そんなことどうでもよかった。
寝たら、みんな忘れていることだった。
「跳び箱が跳べたら授業を終わりにします」
普段から跳び箱は自分で段を設定して、跳ぶのが常であった
しかし、この日は先生が設定した五段というのを跳ばなければならなかった。
みんな恐れずに跳んでいく。
僕は恐くなってしまった。
自分の腰くらいある跳び箱に。
自分が跳ぼうとしたときもやはり駄目だった。
「後ろ並べ」
他の生徒たちは、続々と跳び箱の向かいの方で体育ずわりをする。
とうとう、僕だけが残される羽目になってしまった。
跳び箱に向かって走る。
「跳び箱なんて蹴散らしてやろう」
最初は勢いよく走るのだが、跳び箱の大きさが分かる距離に行くと、足の動きが弱くなる。
怖いのだ。ただ単に怖いのだ。
「怖がるな」
先生の言葉が、夕暮れの中で響く。
「がんばれ」
跳び箱の後ろから聞こえる声
その言葉を信じて、また走る。
人は一度怖いと思ったものはそのイメージは中々拭えない。
なぜか、これが出来ないというだけ
それだけなのに、これから先も何もできないんじゃないかと、極端になってしまう。
跳び箱に向かって走っては、怖がり、先生に怒られる。
これの繰り返しだ。
見かねた先生は、跳び箱の段を一段下げた。
堰を切ったように涙が溢れた。
「結局、皆、出来て僕だけできないのか・・・」
跳び箱の段を上げてほしいと、言おうとした。
しかし、しゃっくりがそれを丸めた。
先生は気合い入れの掛け声だと思ったらしく
「よし来い」と言うだけだった。
頬を伝った水滴が人工芝に滲んでいた。
ただ、失敗してもくじけることは無かった。
何回もやり直した。
不器用な走り方で。
それは永遠の経験だったと思う。
他の友達たちは、自分の鼻水などを汚いとも思わず、努力の汗だと思ってくれた。
それが嬉しかった。
それが愛おしかった。
・・・跳び箱は自分の後ろにあった。