私とは『脳』である 〜双極性障害の頭の中 31
みなさん、こんにちは。
双極性障害2型(双極症)のフツーの会社員、パピヨンです。
月曜の朝、バチっと目が覚めたら明らかにカラダが軽い。
間違いない。
これは躁転である。
つい先週まで、暗い記事を書いていたというのに、どういうことか?世界が鮮やかに見える。
安部公房の「カンガルー・ノート」なら、朝起きたら“脛にかいわれ大根が生えている”だろうし、
フランツ・カフカの「変身」なら、朝起きたら“巨大な虫に変身”している。
双極性障害も、ある朝起きたら何かが起きている。
こわい。こわい。こわい。
私とは何者か?
精神科医YouTuber益田裕介医師の動画を見ていたら、衝撃を受けた。
「私とは何か?というと『脳』なんですよね。僕らは『脳』です」
「私とは何者か?」という問いに対しての彼の回答は、なんともシンプル且つ科学的だった。
もっと感情論的というか道徳的な事を仰るのかと思ったが、さすがは益田医師らしい。単純明快な回答である。
そうか。
私は『前頭前野』だったのか。
我思う故に我あり。
確かに突き詰めれば『心とは脳』であり、『私とは脳』である。
躁転した日に見ない方が良かった動画かもしれない(笑)
先週まで『この憂鬱は永遠に続くような気がしている』と、私はnoteに書いていた。
(残しておいて良かった)
この気分の軽さは一体なんなんだろう。
今日は、朝起きるなりいきなり猛烈にiDeCoのスイッチングをいじりたくなり、YouTubeで何本か解説動画を観て、あっという間にスマホでスイッチングをやってしまった。
まだ朝ごはんも食べていないというのに。
3mくらい上から、もう1人の私が、
「ちょっと落ち着きなよ!今お金に触るのは良くないよ!」
と囁いているのは薄々気付いている。
しかし、今の私には無駄だ。
止められない。
これもあとで後悔するんだろうか?
未来の私へ、ごめんよ。
先に謝っとく。
冷静さを取り戻すため、今の状況をnoteに記している。
私の軽躁は長くは続かない。
きっとまた落ちて行くから。
私とは『脳』だ、という言葉がずっと響いている。
双極性障害にはとても理解しやすいと思う。
この『脳』の動きに日々振り回されているから。
自分の『脳』なのに、自分でコントロールが効かない。
薬を使って、どうにか『脳』の暴走を制御している。
私の脳みそ、どうか落ち着いてくれ。
理性を“自分”と呼ぶのなら、
躁転している時の“自分”は何なんだろうか?
これも双極性障害なりの理性なのかな?
昨日、会社からの帰り道。
満員電車の人々を、全員服を着た『脳みそ』だと想像してみたら、車両は凄い眺めになった。
黙々とスマホをいじる『脳みそ』。
本を読む『脳みそ』。
吊り革にぶら下がる『脳みそ』。
みんな、『脳みそ』。
私も、『脳みそ』。
電車から降りてマックに寄ったのだけど、一列に並ぶ『脳みそ』の列に笑いそうになった。
明日、朝目覚めたらどうなっているかな。
今なら“脛からかいわれ大根”が生えても驚かないかもしれない。
ちゃんとラツーダを飲んだし、早めに寝よう。
来週の私は、どんな記事を書いているだろう?
記録としてこの記事を残します。
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