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残された時間は、あとどれくらい?

同僚の弟さんが急死された。

まだ40代になったばかりだった。
火曜日になっても出社しないことを不審に思った会社の方が一人暮らしの彼の自宅を訪問して、亡くなっているのを発見したという。




人の命というものは、あっけない。
拍子抜けするくらいあっさりと、ある日突然消えてしまう。

だからこそ、大切にしなければ。

そんな当たり前のことを、私たちはすぐに忘れてしまう。
そしてまた、誰かの死によって思い知らされるのだ。

“それ”は永遠では無いと。

それでもまた、きっと、忘れてしまうのだろう。

その繰り返しだ。
私たちはどこまでも愚かに学ばない。





では、毎回会うたびに“死を想う”ことが学びなのだろうか?

今、久々に実家に帰省する電車の中で、この文章を書いている。
両親に会うのはお正月ぶりだ。

両親は高齢だ。
あと何回、会えるのだろうか?
あと何回、話せるのだろうか?
あと何回、笑いあえるのだろうか?

私たちに残された時間はあとどれくらいなんだろう?

散りゆく花のように、残された時間が見える方が幸せなのか?
見えない方が幸せなのか?

ほんの少しの悲しみを抱えたまま、これから両親の待つ家に向かう。

同僚の弟さんの死で、久々に呼び起こされた“失う”という感覚。
心の片隅にぽとりと落とされた黒い滲み。
きっと少し、鬱なのだろう。

私は上手く笑えるだろうか?



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