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親に病気をどう伝えるか? 〜双極性障害の頭の中 9


みなさん、こんにちは。
双極性障害2型のフツーの会社員、パピヨンです。

ゴールデンウィークに実家に帰り、初めて両親としっかり“私の病気について”話し合ってきたので、記録しておこうと思います。




私の両親

前提として、私と両親の関係はとても良好です。
巷で言われる“親ガチャ”で言うなら、『大当たり』だと思います。愛情深く、大切に育ててもらいました。いささか大切過ぎたかも知れません。
今でも実家に帰ればすべて“上げ膳据え膳”。
私は高校時代に「このままじゃ両親に任せきりのダメ人間になる」と思い、わざわざ地方の大学を選んで受験し、19歳で実家を出ました。
以来20年以上、ずっと離れて暮らしています。


最初の告白

私が精神疾患を持っていることを初めて両親に伝えたのは、8年前に10㎏以上激ヤセした時です。
ゴールデンウィーク、お盆、お正月の年3回は実家に帰る決まりになっていたので、“ガリガリの見た目”を隠せませんでした。
大食いだったはずがほとんど食事を食べない娘に、母親は酷く心配しました。

その後も休職したり、大きな決断をした際はこちらから報告していましたが、電話やLINE程度で済ませてしまっていました。


子供が“障害者”になるということ

今回、障害者手帳を取得したことをきっかけに、「一度しっかり両親に病気のことを話そう」と決意しました。

自分の子供が“障害者”になる

ということが、両親にどれほどのショックを与えるのか想像もできません。
あらかじめLINEで軽く説明し、申請の際に主治医に書いてもらった診断書を撮影した写真も送ってみました。
そして、LINEでは書ききれないのでゴールデンウィークに直接説明するから、と伝えました。


A4サイズの診断書

まずは今回取得した「自立支援医療制度」と「精神障害者手帳保健福祉手帳」について、どんなものなのかを説明しました。
そして、私の病気「双極性障害2型」を説明しました。

驚いたことに、両親は事前に送った診断書をA4サイズ4枚分にプリントアウトして用意していました。スマホでは字が小さくて読めないので、何が書いてあるのか、どうにか拡大して読もうとしたそうです。
正直、そこまで興味を持って読んでくれると思っていなかったので驚きました。 
ぼやけて読めないところも含めて、最初から最後まで私が読み上げ、両親は頷きながら聞いていました。


病気について両親が知りたがったこと

双極性障害という病気について、両親が知りたがったことは、「どんな病気か?」では無く、「親としてどう接したら良いのか?」でした。

父親に「色々ネットで調べたけど難しくて分からなかったよ。病気を理解するのは難しい。俺たち知りたいのは結局、どう接したらお前にとって良いのか?ということが一番だよ」と言われました。

あぁ、なるほど。親はそんな風に考えるのか。

「私がイライラし出したら、一緒に感情に乗っからないで欲しい。エスカレートしちゃうから。私がその場から離れて行かなかったら、2人から離れて欲しい。“あぁ、今放っといた方が良いんだな〜ハイハイ”みたいな?」

いつも主治医に指導されている通りの対処方法を伝えました。
両親は「なるほどね。それで行こう!」と納得してくれました。
「じゃあLINEの時も“ほっといての合図”のスタンプ送るわ」と取り決めをしました。

その後、両親からの質問タイムに入りました。


母親の不安

母親からは「診断書の日常生活って項目の“援助が必要”ってとこに先生の○印が付いてるけど、手伝いに行かなくて大丈夫?」という思いがけない質問をされました。
手帳申請の診断書をもらった人ならわかると思いますが、この項目ありますよね。
まさかそこまで母親が心配してくるとは予想外でした。
「そのために通院して主治医に指導してもらってるから大丈夫だよ」と答えました。
“母親の愛情恐るべし”です。


父親の不安

父親に質問されたのは障害者手帳のことです。
「どこまで周囲に公表するのか?」と聞かれました。「どんどん差別のない世界に近づいてはいるけど、まだまだ全員が理解ある訳じゃない」と言われました。

それについては、「私も全員に理解があるとは思ってない。“私が障害者”という言葉だけが一人歩きして変に広がる可能性もある。だから、上司3人と人事部長1人にしか言っていないし、これ以上言うつもりはない」と答えました。

父親も「俺もそれに賛成だな。言わない方が良いと思う。でもいつか、普通に話せる世界になったらいいけどな」と言ってくれました。


親は永遠に親

父親は「今日はしっかり話せて良かったよ。ずっと母親と2人で話してきたけど、病気の話題に触れていいのかどうか迷ってたから。腫れ物みたいなままでいいのか、ズバッとこっちから聞いたほうがいいのか。ホント、良かったよ」と言われました。

そっかー。
だいぶ悩ませちゃったな。

「離れて暮らしてるし、いつか話せばいいや。そもそも私の病気に興味あるんかな?」くらいに考えていたけれど、“親は永遠に親”なんだなと改めて思いました。


幻の妹

私には妹が1人います。
しかし本当は私と妹の間に、死産で亡くなった“幻のもう1人の妹”がいます。
臨月近くで亡くなったので、火葬することができ、お骨も残っています。
両親のいささか過保護な傾向は「子供の死」の体験が大きいのだと思います。

私は子供を産まない人生を選びました。
今後一生、父と母の喜びも苦悩も、真に理解できる機会はありません。

私が両親をどれだけ幸せにし、
どれだけ不幸にしたのか?
永遠に分からないままです。

それは仕方のないことです。
お互いにわからないままでも。

心配するのは親の権利。
伝えることは子供の義務。

今回少しだけ、乗り越えられた気がします。

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