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津堅島の年中行事 9月と10月|Field-note

沖縄県の現うるま市津堅島で、1990〜1991年当時あるいはそれ以前に行なわれていた年間の行事や祭祀等の採集記録です。不定期に掲載します。


カーウガン(旧暦9月13日)

かつて生活用水として使っていた泉や井戸を巡拝し、村落の繁栄、村民の健康を祈願する祭祀である。

巡拝コースは、①シンジャーガー→②アラカー→③スーガー→④トウバルガー→⑤カミシムガー→⑥ミーガー→⑦クラチャガー→⑧ニーガー→⑨イシチガー→⑩ホートゥガーの順である。

各場所ではヌル、ニーガンらによって祝詞が2回唱えられるが、その前後にヒジュルウコー2本を2回供え、また供物の酒、花米を2回儀礼的にこぼす行為を行なう。この2回の所作は、1回目が本年の感謝(願いをさげ)であり、2回目が来年の祈願(新たに願いをたてる)だとされている。礼拝の前に、井戸に石を投げ入れたり釣瓶で水を汲んだりして、カーヌカミ(水の神)に来訪を知らせる。

各拝泉について若干の説明を加えておく。
②は出産のとき、死亡のときの湯浴みに用いた。
③は塩分が混じっており、洗濯用の井泉である。
④は土地改良の際に埋め立てられ、現在は祠が③の傍に建てられている。
⑤での礼拝は2ヵ所に分けられ、以前はその間に人工の溜池があった。
⑥は水不足を憂えた徳田のタンメーという人物が掘った井戸である。
⑦は首里へ徴収される農作物を滞留する蔵があったことから命名された。
⑨は周囲をソテツが覆っていることから命名された。
⑧は村の根屋の仲真次家のみ使用する井泉である。
⑩は鳩が発見したと伝えられており、傍には子孫繁栄の象徴とされる鍾乳石のビジュルがある。
これらの井泉は使用者が定まっているわけでなく、近くに住む者が自由に利用していた。

⑩での儀礼が終了すると、参加者は近くの広場で宴会を催し、歌い踊る。夜には青年たちも加わり、いっそう賑やかさを増す。

キシャバウガミ(旧暦9月18日)

ナカグスクウガミ、カミウガミともいう。津堅島の祖とされる喜舎場子、その郷里である中城村喜舎場にある仲間家を礼拝に行く。

仲真次家、神人たち、村の役職者、その他島の内外の希望者が参加する。現在はカミヤー(神棚を安置するのみの家)となったその家に、供物(カガンウチャナク=鏡餅が含まれる)を供え、お金を寄付する。昔は津堅からはスクガラスを持参し、その返礼として喜舎場側からはチンブクダキで作った釣り竿が贈られたという。

ヤシチヌウガン(旧暦9月吉日)

一家の主婦が屋敷内にて家族の健康祈願を行なうもの。日決めは各家の判断による。2月の儀礼と同じ内容。

アミルシグヮー(旧暦10月13日→消滅)

この1年間で男児が生まれた家では、米を炊いて仏壇に供え、おにぎりにして親類や隣近所に配る。夕方には仲良しの子ども同士が集まって、素麺などを会食する。

昼間のうちに老人男性の会合が、津堅バラは泊浜で、神谷バラはニンギ浜(前の浜)で行なわれる。異説もあり、ニンギ浜で一緒にとも、午前中はニンギ浜で、午後からは泊浜でともいわれる。

豊漁の祈願をするのだが、翌月のマータンコーの際のウクラサトヌシ(御蔵里主)を選出する目的も持つ。ウクラサトヌシは酒代を負担する財力が必要なため、ある程度年配の人が選ばれた。

シマクサラー(ヌルによる日決め)

旧暦10月のフーチ(疫病)よけの儀礼で、津堅では各クミ(班)単位で行なう。津堅バラ、神谷バラの双方で豚を各1頭つぶして、人数に応じて各クミに分配する。分配する場所はカンサギの前である。神人による祈願はないという。

豚の肉はクミ内の定められた十字路、または村はずれで煮る。この場所では豚肉、酒を供物にして、クミ内の戸主たちによって祈願が行なわれる。また、この場所には豚の骨を1本挿した左縄を道を遮るような形で高く渡す。

各家庭でも、戸主が二番座の入口で無病息災の祈願をする。また、屠殺の際にトゥビラギーの葉に豚の血を塗りつけておいて、家の戸口や壁などに差し掛けることも行なう。

左縄を張る場所は、各クミ次のとおりである。
1班: ミーコーラグヮーとアガリウンナの間を南北に。
2班:ナカマシからハンタ(崖)に抜ける道を南北に。
3班:不明。
4班:不明。
5班:不明。
6班:ンジャーフサトゥに面した十字路を東西に。
7班:アファゴングヮーを下った所を南北に。カマミーヤーの前を南北に。
8班:タバグヮーとカミトゥクラの間を南北に。
9班:アガリアカッチュの前を南北に。
10班:メートナキとニブの間を東西に。
11班:不明。
12班:不明。
13班:ンターナカグヮーとチニンの間を東西に。フスガナーの前を南北に。

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