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とりあえずウミガメのスープを仕込むのをやめさせよう|Episode

みなさんはウミガメ保護にどういうイメージを持っているだろうか。

総じて肯定的だとは思う。
多くの人々がウミガメを美しい生き物、保護すべき生き物だと感じている。
だけど、海草を食べ海底をかき混ぜることで、他の生物の生息環境をつくりだすなどの生態的価値が広く知られているようには思えない。

産卵のとき涙を流す(間違った情報です)やさしい生き物が、べっ甲等の用途での乱獲や海浜の埋立、ビニールごみの誤飲などで危機に瀕しているという弱者のイメージが先にあって、判官贔屓的に肩入れしている部分が多分にあるのだろう。
日本人ならひょっとして、浦島太郎の昔話が深層心理にまで影響しているのかもしれない。

日本でも過去に一部地域でウミガメの肉や卵が食用とされたが、1950年代以降、食用や捕獲が地域の条例等で徐々に規制されるようになり、1993年のワシントン条約や種の保存法(日本)によって保護が強化された。
ただ、ウミガメ保護についてきちんと定めた法律は日本にはまだない。
また、沖縄県や東京都(小笠原諸島など)では捕獲枠が設定され、許可を得れば食用として捕獲できるようである(沖縄県ではアオウミガメ200頭の捕獲枠があるらしい)。

新型コロナウイルス対策のため、世界中で人々が活動を停止したことで、ウミガメの繁殖が増えたという情報がある。
2023年には、久米島の漁業者が網にかかった何匹ものアオウミガメを殺傷処分したというニュースも流れた。
これに関して補足すると、カメが網に絡まると、それを外す際に魚は逃げるし漁網は痛んでしまうし、という事態が頻発していたことが背景にある。また、草食のアオウミガメの個体数が増加しすぎると、海草が減少して、沿岸漁業に甚大な影響を与えることが知られている。

少なくとも沖縄近海では、一時減っていたウミガメの数は回復傾向にあるようだし、実際にSUP中にもよく見かける。
一方、ウミガメ保護活動はいまでも国際的に高い関心と支持を集めていると言えそうだ。

さて、ここまで読んだみなさんは、私がウミガメ保護賛成派なのか反対派なのか判断がつかないのではないかと思う。
だから声を出して言おう、「私は賛成派です」と。


1999年のコスタリカでのエコツーリズム研修のときに、ウミガメ保護プロジェクトに2ヵ所で参加した。
地球上でみられるウミガメ8種のうち5種がコスタリカ近海に生息しており、ウミガメを食べる文化もバリバリ現役だったので、保護活動もさかんだった。

ひとつは太平洋側のニコヤ湾プンタレナスの近くだ。
黒い砂浜で、後背地にイグアナが多かったおぼろげな記憶がある。

当時の写真ではありません

前回のサンタ・エレーナ保護区でも一緒だったスウェーデンの大学生と、受け入れ側のコスタリカの大学生を組織したNPOの保護プログラムだった。
1泊2日の雑魚寝の参加で、海浜のゴミをひたすら拾い続けた。
シーズンオフだったのか産卵はなく、翌朝の巣立ちを見送ったのはわずか1匹だけだった。

本来、この地方(といっても半島の反対側)に多いのはヒメウミガメという種で、集団で産卵するらしい。
この模様はアリバダと呼ばれ、世界でも数ヵ所でしかみられず、エコツーリズムの対象となっている(上の写真)。
アリバダ発生から36時間は、村の自治会登録メンバーに限り卵の採集が認められている。

もうひとつはカリブ海側のトルトゥゲーロ国立公園。
蛇行する運河をスピードボートで疾駆した先にある僻地だ。

当時の写真ではありません

ここでは、カリビアン保護協会(Caribbean Conservation Coorporation)の保護活動の様子を見学した。
この団体は、ウミガメ生育状況の調査研究、その成果をもとにした保護プロジェクトの実施、保護活動を通した環境教育の3つが活動の柱。
1959年にカー博士を中心に米国フロリダ州で設立され、トルトゥゲーロ事務所には約10名の職員と最高30名のボランティアが共同作業していた。
大学や研究所等からの援助、ボランティア参加費、博物館入場料、個人や団体の寄付が主な資金源である。

トルトゥゲーロでは1956年にウミガメ調査が始まり、ほんとかどうかわからないが、世界で最も古い歴史を持つらしい。
トルトゥゲーロ国立公園に隣接した3haの土地を所有しており、事務所、ドミトリー、博物館の施設に当てている。
調査は公園内でのモニタリング調査が基本で、長期的にウミガメの行動様式を追跡する必要があり、そのため研究補助ボランティアは最低6週間から受けつけている。

一般の保護ボランティアは、ウミガメ及びその卵の捕獲を防ぐパトロール、海岸清掃、博物館での展示、施設や敷地の補修、協会ホームページの情報更新、簡単な研究補助などを行う。
参加費は当時で1週間1,585USドルとかなり高額(研究補助ボランティアは不要)。
インターネットで応募した欧米からのボランティア参加が多かった。
仕事の合間には、野鳥調査、カヌー遊び、公園内散策などの余暇アクティビティを提供していた。

当時の写真ではありません

夜の産卵をボランティアたちと一緒に観察する機会があった。
ウミガメ(大きかったのでオサガメだったのかな)を刺激しないように、懐中電灯は赤い光のものしか使わず、カメラはいいがフラッシュは使うなと指示された。
数ヵ所で産卵が始まっており、私たちは数名ずつ分かれて行動した。
赤い光に照らされてもウミガメは動じず産卵を続けていた。
他の人が撮影していたので、私も、と一眼レフを構えた。
カシャ…という音と同時に、フラッシュがたかれてしまった。

確かにフラッシュなしにセットしたのに…とつぶやいても後の祭り。
グループリーダーからは叱られるし、他のメンバーからは白い目で見られるし、で強い自責の念にかられた。
「保護活動を学ぶ立場なのにルールを破ってしまった」と落ち込み、「ああ、龍宮城に招かれるのはもう一生無理だ」と悟った。
ウミガメがめげずに産卵を続けていたことが唯一の救いだった。


アオウミガメの肉はプロテインを含んでおり、コスタリカ先住民の伝統食で、当時年間約1,800頭が精肉されていた。
保護団体はウミガメを肉食する人々を啓蒙する環境教育も行っていた。

幸い私はウミガメの肉も卵も食べたことがないし、これからも食べるつもりはない。
ただ、第三次世界大戦が勃発して、食べるものがなくなったときに同じことを言える自信はない…

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