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2007ペルーの旅#3|森の焦げる匂いにグレタさん級のしかめっ面をした話|Travelogue

クスコでプエルト・マルドナド行きのチケットを購入し、空港までの赤茶けた道をタクシーに乗って走る。アレハンドロ・ベラスコ・アステテ国際空港という覚えにくい名前の小さな空港で、リマから来る飛行機を待つ。マルドナド行きの飛行機はリマからクスコを経由してマルドナドへと運行している便なのだ。

幸いにして窓側の席だったので熱心に外を眺めていたのだが、高度を下げてそろそろアマゾン上空にさしかかったと思われるのに、緑の絨毯はいっこうに現れない。白く曇った気体に視界はさえぎられるばかり。誰かに尋ねたわけではないが、これは森を焼いて立ち上った煙だと理解できた。

その不分明な理解は、空港から出て街に向かう途中の車内で正しいと証明された。窓から流れてくる空気が焼け焦げた匂いだったからだ。農業のための焼畑なのか開拓のための野焼きなのかはわからないが、おそらく尋常ならざる規模なのだろう。空気は一面にごっていて、太陽も薄曇りのフィルターの向こう側にある。今ならPM2.5濃度が高いと迷わず言えるレベルだ。

薄ぼんやりと・・・

いよいよアマゾンの熱帯雨林も資本主義の商品として大量消費されるのか――文字どおりの対岸の火事だった出来事が眼前で起きているのがわかると、焦燥感が倍加する。自分の国の出来事ではないから余計に、何もできない無力さに押しつぶされそうだ。先住民からの土地の収奪も続いているらしい。いっそ国連が管理する中立地帯とか国際CO2吸収源保護公園とかの枠組みがあればいいのに、とマジで思った。

* * *

マルドナドの中央広場にはバカでかいマンゴの木があった。ラテンアメリカでは、マンゴは青い果実に塩をまぶして食べることが好まれるが、この木は大きすぎて、実がつく高さまで人の手が届かず、マンゴの実を青いまま鈴なりにぶらさげていた。

マンゴの木に抱かれて

街なかで泊まった宿は公設市場の近く。市場はさほど大きくもなく、歩いて眺めるにはちょうどよいという印象。アグアへというヤシの実のジュースが初見だったので、試しに飲んでみた。ドロッとしていて喉越しはよくない。だが、ミネラル豊富で、がんを予防する効果もあるというからよしとしよう。

さて、ここへ来た目的はジャングルツアーに参加するためだ。マルドナドはアマゾン川支流のマードレ・デ・ディオス川とタンボパタ川とが合流する地点に位置しており、近くの川沿いにジャングルロッジが点在する。目抜き通りでいきあたりばったりツアーオフィスを探し、無事1泊のツアーに潜り込んだ。翌朝、ミニバスと舟を乗り継ぎ、いくつかのアトラクションを楽しみながら、ディオス川沿いの小洒落たロッジへと向かうスケジュールだった。

おぼえているのは、まずピラニア釣りだ。木の棒に太いテグスを結わえつけ、鶏だったか魚だったかの餌をぶっ刺せばタックルのできあがり。竿代わりの棒で水面を叩きながら、ピラニアを狙う。餌のベイトがなにかに追われて暴れていると勘違いするのだそうだ。ロッジ近くのウッドデッキからツアー参加者全員が群がるように水面を叩く。ポツポツと小さなピラニアがかかるが、オレの棒、改め竿にはあたりは来なかった。

ピラニア釣りたい

軽いハイキングも体験した。途中で先住民の家に立ち寄り、家屋やら畑やら生活空間をみせてもらう。別に驚くようなものは何もなく、なんだか拍子抜けだが、ガイドの話によると、ツアー客から現金収入を得てもらうことで、ジャングルでの焼畑をやめさせているのだという。しかもそれは、自治体からロッジ経営者に義務づけられたツアー催行の条件なのだそう。

夜はこれまた定番のカイマンウォッチングに勤しむ。夜の川なのか湖なのかをボートで移動しながら、懐中電灯で照らして小さなワニを探す。遠くの水草に潜む仔カイマンや、岸から川に飛び込む青年カイマンをかすかに見ることができた。

土食うコンゴウインコも見たっけ

でも、正直たいした感動はなかった。想像の範囲内ってやつだ。ただ、ガイドの一人、まだ高校を卒業したてのトーニョ(仮称)と妙にウマがあって、次の日一緒に釣りに行くことになった。釣りといっても、手釣りで餌をぶっこんでナマズを狙うという大雑把なもの。バイクに二人乗りして川べりまで行き、トーニョが借りたやや小さめのカノアで近場をランガンする。ナマズは稚魚サイズ一尾だけだったが、親子ほど年の離れている割には、パンツ一丁で泳いだりバカ話で盛り上がったり楽しかった記憶が残っている。

セピア色の思い出にしてみました

トーニョが「家に来い」というから帰り際に立ち寄った。橋を渡った郊外の決して裕福とはいえないエリアにあるバラック風の家屋で、原料がなんだかわからない現地の飲み物をごちそうになる。まあ事前に予想していたとおり腹を壊すことになるわけだが、これが思わぬ代償を払うハメとなることを、このときは知る由もなかった。

* * *

次の日、リマ行きの飛行機に乗った。帰国日が近づいている。

リマでは旧市街に宿をとり、しばし街を歩く。そして、儀保カルリートス(仮称)に電話する。沖縄で仲良しになった日系人の友だちだ。ひげが濃ゆくて歌がうまい。普天間にあったチキン丸焼き専門店のご主人に言わせると、ペルー時代のアルベルト城間より歌唱力は上だそうだ。

そんなカルリートスの車に乗せられて、リマの海岸や住宅街のほうをひとしきり走る。そして、おしゃれな雰囲気のレストランに到着。伊勢海老のセビーチェやら仔牛のステーキやら高そうな料理をごちそうになったのだが、いかんせんお腹の調子が悪い。というより完全な下痢状態で、出されるものを平らげることができない。ごめんカルリートスと何度も詫びつつ、昨日の怪しい液体を怪しいと知りつつ飲み干したことを後悔するばかりであった。

いやペルー料理って南米一と評判でしてね、いろいろおいしいものはあるんだけど、もうそこからは何も食べれないまま帰国便に乗り込むしかなかった。こんな失敗を毎回のようにしでかしてしまう。でも、庶民が愛する道端の食べ物・飲み物をどうしても試さずにはいられない、前世も前前世もその前も庶民のオレが好き。

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