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増税値上げクソメガネ、世に憚る|Report

戦後の復興期の沖縄そばをめぐっては、価格に一喜一憂する話題が多かったようです。というよりも、新聞に取り上げるそばネタとしては、市民が興味を持つような公共性の高い話題が優先されたということですかね。

ソバ一杯で二十四円 那覇市が十日から付加税 入場、建築、サービスの三つ

<前略>加税(理髪業を除く)は本税の百分の百で本税の同額が加算される。即ちサービス業は第一級と第二級に分れ、本税々率は第一級ではニ〇%、第二級では一〇%となっている。<中略>即ち二十圓のソバ一杯を食べると、二級であるから本税ニ圓、付加税で計二十四圓となる。

【出典】1950.06.09 うるま新報

店で沖縄そばを食べるにも本税と付加税の2種類が必要になる、と那覇市が改定したという話題です。付加税は他の租税の課税標準と同じ課税標準に課税するもので、法人税だの事業税だのが対象であるはずですが、このへんの事情は定かでありません。

サービス業の他については、建築業はわかるとして、「入場」とはなんでしょうか。入場料を払う業種全般なのだとひとまず理解しておきましょう。

『メシ付で二十圓也』 夏枯れにソバ安くなる

原料が安くなっても値段に変りをみせなかったソバが、昨今の夏枯れ攻勢に見舞われたためか、最近ようやく値下り気味の傾向を示してきた。夏枯れこく<読み取れず>秘術をつくしてついに値下げの新戦法を用い、中にはメシ付でたった二十円という店や二十五円から二十円に値下げした店が現われるなど、売りつけ合戦で客を引きつけている。
従来ソバは、原料のメリケン粉が一袋で最も高かったころの二千五百円、香港ものが市場にはんらんしはじめてからの千五百円、最近ではたった五百円とどんどん下落したにも拘わらず、値段には何の変動もなく二十五円乃至三十円と据置にされ、そのままこれまで長い間その値段は維持されて来た。これについて業者は、値段はそのままにして質や量をよくすることなどで原料の値下りとマッチさせるようにして行くとの意向だったといわれて来たが、最近業者側の云い分では、ソバの原料用にするメリケン粉は一袋で六百円、百五名分のソバが作れるが、これに要する調味料が原料の二倍の千円かかり、その他の労務費や税金或は売れ残りの損失などを勘定に入れた場合、二十五円ではせい一杯で、それ以下にすると結局欠損して採算がとれないと云っているが、まずまず客をひくことだと値下りの傾向を見せている那覇市内桜坂通りの某飲食店ではおいしい島産米のメシ付でソバがたった二十円、これまで二十五円していた某食堂のソバが最近二十円に値下げして夏枯れの切り抜け(?)に対処しているなど、今のところソバ族は大喜びだ。

【出典】1952.08.11 沖縄タイムス

それから2年後、沖縄そばの価格が下落します。小麦粉の仕入れ価格が安くなっても値下げに踏み切らなかったそば業界でしたが、夏の暑い時期は売上が落ちてきて、客足を取り戻すために値下げやむなしとしたという内容です。採算ラインのギリギリまで落としたよ、と必死にアピールしています。

以前減らぬ麺類輸入 需要の多い中華そば

米生産の少い琉球では戦前、戦後を通じ主食代用たるソーメン、ソバ等の麺類需要が広く、日本各県と比較しても琉球がその消費量は最も多いと云われている。沖縄県統計によると昭和十年から十二年までの三年間における年平均輸入高は十六万箱となっているが、これに対し昨年(五ニ年)の輸入量は五十五万箱(百八十七万六千ドル)となっており、戦前の三倍を上廻る輸入量となっている。なお戦前の価格一箱当り五円に対し、現在の輸入価格約三百六十円で戦前の約七十倍となっている。仕入先は殆んど全部日本であり、輸入高の中約四十%は鹿児島から、二十二%は本場の兵庫、岡山となっており、その他東京、福岡、大阪等がこれに次いでいる。
一昨年あたりまでは殆んどソーメンに占められていたが、その後中華そばが入りはじめこの方が好みに合うとみえぐんぐん輸入量が増加し、昨年は二対一の割合でそばが多くなっている。この中華そばは日本で◉◉前にはなかったが、琉球の一商社が島内で最も愛好されている沖縄そばに目をつけ、島内産そばの見本を日本のメーカーに送り、これと同様な製品を造って送るよう依頼したといわれ、これが当って今では殆んど中華そばがソーメンに取って代った恰好になっている。お蔭で一頃盛んだった島内のそば製造業者は輸入品に押されて殆んどその姿を消してしまっている。しかしそば屋で売っているそばは長いものが好まれ、その点輸入そばは短く、従ってそば屋は自宅製造或は島内産のものを利用している。<後略>

【出典】1953.06.06 琉球新報

この記事のポイントは、①この頃コムギ麺の消費量は沖縄県が最も多いこと(たぶん一人あたり)、②中華麺の製造は沖縄が本土にもたらしたものだったこと、です。

沖縄がソーメン大好き県民性なのは、下手をすれば明治よりも前からだと考えられます。婚姻に際して「ソーミンムスビ」という結納にも比せられる儀式が執り行われていたほど、縁起がいい食べ物でした。

そのソーメンよりも中華麺の需要のほうが高くなったのがこの頃で、これはすなわち沖縄そばの家庭内消費が増えたためだと思われます。「家庭内」と書いたのは、この記事の最後の「そば屋は自宅製造或は島内産のものを利用している」という一文を根拠にしました。

そもそも中華麺は沖縄発祥だよ、というのも首肯できる話です。中国との冊封関係の中で中華風の調理法や食材が琉球王国時代から連綿と受け継がれてきた沖縄で、公式に沖縄そばを出す店が現れたのが明治の中~後期だと指摘されています。対して、本土でラーメンが普及し始めたのが戦後の闇市からなので(◉の潰れ字は意味としては「戦前」でしょうね)、さもありなんといえます。記事によると、中華麺はOEM生産だったことになります。

安くなりますメリケン粉 九ヵ月ぶりに輸入解禁

<前略>メリケン粉は去る九月二十二日付輸入公表において、指定輸入から一般輸入に繰入れ一応解禁の形となったが、これには“輸入品が十一月十五日以降到着のものに限る”との条件がついており、このため市場は品薄で価格の高騰を来したので、政府では即時輸入解禁方を連日民政府に折衝の結果、十九日これが認可されたわけである。<中略>このような相場の高騰により悲鳴をあげたのはソバ屋、製菓業等の大口需要者で、あるソバ屋等は窮余の一策として輸入中華ソバやソーメンをツブして粉にし、更にこれを練り直してソバを造っている所もあり、この方がメリケン粉を買うより安くつくという奇現象を呈している。<後略>

【出典】1953.10.20 琉球新報

まだまだ小麦粉をめぐるトラブルは続きます。乾麺を粉々にして沖縄そばとして練り直すなんて、人件費まで計算すると高くなりそうな気がしますが、背に腹は代えられないといったところでしょうか。どんな味だったのか興味がありますね。

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