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沖縄キュイジーヌ#1 沖縄料理のルーツをたどる|Studies

昔の宮廷料理

こんにちの沖縄料理(琉球料理とは定義が異なる)のルーツは、宮廷料理/庶民料理に便宜的に分けられる。

宮廷料理とは、琉球王国時代に王府が各種接待のために饗応した料理を総称する。これは中国皇帝から派遣される使者を接待するための料理(御冠船料理)と、薩摩藩の在番奉行を接待するための料理からなり、中華風・和風の両要素を取り込んだ点に特徴があった。

東道盆に盛られた料理

沖縄が琉球王国だったころ中国との関係が取り結ばれており、国王が代替わりするたびに中国皇帝は使者(冊封使)を派遣して先王を供養し新王を任命した。正式な冊封は計23回行われており、冊封使の在留期間中に王府は幾度となく宴席を設けてこの一行を歓待した。

冊封使一行には中国の料理人も随行しており、延べ千人にも及ぶ琉球側の料理手伝い人との交流によって宮廷料理の調理技術の向上が図られた。また、17世紀の半ばからは王府の属官を中国へ料理研修のために派遣することも行なわれている。御冠船料理には、つばめの巣、ふかひれ、なまこ、乾しあわびなど中華料理に特有な乾貨の材料が用いられているほか、松の実(長生不老の効能)、火腿(中国ハム)、筍乾(しなちく)、馬蹄(ナッツの一種)、鹿筋(鹿のアキレス腱)など庶民の食卓にはのぼることのない中国産の食材が確認されている。

五段料理の構成 『迎恩の宴「五段料理」』より

一方の日本料理との接点は、13世紀の仏教伝来と同じくして精進料理や茶の作法が導入されたのが端緒だとみられるが、それは1609年の薩摩藩の琉球侵入以降に本格化する。薩摩藩の料理人だった石原家に伝わる古文書には、琉球の包丁人が薩摩に派遣され料理技術を学んだことが記されている。琉球に駐留する大和役人を饗応する際には、本膳料理の体裁を整え、三汁七菜、肉食なしの構成であったらしい。れんこん、つみれ、茸などの使用された食材をみても日本料理らしさを感じさせる。

このように宮廷料理は中国と日本の食習慣を反映し、そのエッセンスを調理に導入することで成立した。それは当時の沖縄がおかれた国際情勢を反照しており、きっかけは政治的な必要性に迫られたものだったかもしれないが、結果として料理人の調理技術や創意工夫をきたえ、食においても沖縄の独自性を主張するもととなったといえよう。

昔の庶民料理

島嶼であり石灰岩質である沖縄は、決して農作物に恵まれた土地柄だとはいえない。凶作のときには野生のソテツの実や幹からでんぷんを濾しとって飢えをしのいでいたが、この「ソテツ地獄」は、第一次大戦後の世界恐慌のあおりで沖縄経済が大打撃を受けた大正期まで続いている。ここまで極端でなくとも、農村部のふだんの食生活は非常に質素で、例えば1962年に伊計島で聞き取りされた昔の食生活の様子は次のようだった。

朝が早やいので大抵前夜の残り物(イモ)と、スクガラス、ラッキョウなどの漬物を食べて済ます。一仕事終えて一〇時頃に朝食(アサバン)をとる。昼間は三時頃ナーハビという軽いおやつが出る。大方どの家でも芋を常食とするので朝で一日分の焚込みをやっていた。お汁はヨモギ、ニガナ、桑の若芽などを浮けて腹ごしらえをした。

琉球大学民俗研究クラブ1988年『沖縄民俗1創刊号~第5号』(20頁)より

農村で一般庶民が口にする食事としては、主食はおもに甘蔗(さつまいも)で、副食に季節の野菜や野草、沿岸でとれる魚が入った汁物、小魚の塩漬けやらっきょうの漬物などで構成されており、その食事風景は地域によっては戦後までも続いたのである。豚肉は年に1~3頭ほどを家族や親戚で消費するくらいだったし、17世紀に那覇や首里の市場で売られた記録がある豆腐でさえも、農村のふだんの献立にはほとんど登場しないハレの行事食だった。

ただし、琉球王国時代から城下町の様相を整えていた首里や明治以降に都市化が進んだ那覇では事情が異なり、明治後期ごろには今日の沖縄料理の原型がみられたようである。それは当初は行催事の際の食事として受容されたと考えられ、さらには外食産業の発達がそれに続いた。

サーターアンダギー

このとき食文化の継承と創造に大きな役割を果たしたのが辻だと思われる。辻は冊封使一行をもてなすための公娼街で、1672年に御冠船を迎える港の近くに築かれた。琉球王国時代には中国人や薩摩の役人に食事をふるまい、明治以降もその旧慣のまま存続した辻は、かつての中華風および和風の接待料理がどのようであったかを地元民に知らしめる場としても機能したのではないだろうか。

宮廷料理✕庶民料理

ともあれ、宮廷料理を受容しつつ、沖縄にある食材、庶民でも手に入る食材でアレンジを加えた料理文化が明治以降には模索された。特に、素材の調達が容易だった豚肉料理、豆腐料理、かまぼこ、菓子類に中華料理との類似性が色濃く認められる。「鳴き声以外は全部食べる」といわれる豚肉料理は、豚の解体法から各部位の調理法にいたるまで中国と類似しており、例えば沖縄料理のラフテー(豚肉の角煮)は中国の紅焼猪肉であるし、ティビチ(豚足の煮込み)は乾焼猪脚である。豆腐の製法も本土より中国に近く、庶民料理の代表格である豆腐チャンプルーは中国の炒豆腐に似ている。

足ティビチ

また、中華風の調理法として豚脂の使用があげられる。炒める、揚げる、炒め煮るなどに豚脂が用いられ、油っこいと評される沖縄料理のイメージが形成されるもととなった。煮込み料理についても、中国と同じように複数の食材をじっくりと火にかける点で共通している。煮込むことは、例えば豚肉から脂肪分をとばす役割を果たし、また、イラブー料理(イラブウミヘビの煮込み)などオリジナルな滋養強壮の食文化の開発にもつながった。

手前の黒いのがイラブー

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