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緩やかな個別学習の、「何」がいいのか?/おやこで通う小学校⑱

8月の終わりに、2学期が始まった。

驚いたのは、夏休み明けの初日から授業があること( ゚д゚)!
更に普通学級の時間割を見ると、『テスト』とある( ゚д゚)!!

わたしが小学生だった頃は、確か夏休み明けは始業式なるものがあって
それが終わればもう、下校だったような…。
というかそもそも、始業式は9月1日だった。

何でもかんでも「昔はよかった」というつもりはないし
むしろ、先生たちの間で「子ども1人ひとりに寄り添う」という意識が欠落していた(ように見えた)点など
今と比べて昔の方が、“よろしくなかった”と思えるポイントがたくさんある。
まあ、自分の立場が子どもから保護者へと変わったことも、見方に関係していると思うけれど…。

でも、学校生活が、勉強にまつわるスケジュールで埋め尽くされ
余白や逃げ場がない、この感じは
やっぱりどうかと思う。

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珍獣(兄)の在籍する特別支援学級でも、初日から授業が始まった。
ただ、皆が一斉にテストに取り組む様子は見られなかった。

珍獣(兄)の通う支援級では、3つの教室を使用している。
このうち、A教室が基本の教室。
2年生以上の学年の子どもたちが、主に授業で使うほか
全学年の子どもたちが集まる、学活や英会話の授業でもこの教室を使う。

隣のB教室は、真ん中が収納でゆるく仕切られていて
半分がプレイスペース、もう半分が学習スペースとなっている。
学習スペースには大きな作業机と、1年生数人分の小さな机・椅子が並ぶ。
B教室は主に1年生が使っているが、A教室での授業に疲れた上級生たちも、先生の許可を得てよくやって来る。
B教室はあまり“教室感“がなく、物理的な余白も多いから
きっと、ホッとするのだろう。
珍獣(兄)もB教室が一番のお気に入りで、朝の支度を終えると速攻でここに入り
以降はほぼ、入り浸りである。( ゚д゚)

とか言うわたし自身も、B教室が一番居心地がいい。

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2学期も初日から、AとBの教室で、1学期と変わらない授業風景が広がっていた。

A教室の前方では、2年生と4年生の男の子2人が1人の先生と、算数とみられる授業をしていた。
2つ用意されたビーカーにそれぞれ水を入れ、そのかさを測っているようだ。

「リットルのビーカーは、いくつある?」
「じゃあ、小さい方のデシリットルはいくつ?」

先生からの問いかけに、勢いよく答える2人。
落ち着かず、椅子がブランコ状態だ( ゚д゚)
でもそれは、学びへの前のめりな姿勢を反映しているようにも見えた。
とにかく元気いっぱいで、楽しそう。
先生も「ちょっと2人、姿勢何とかならないかな…」と注意しつつ、丁寧に説明していた。
そして2人が問いに答えると
「正解!!」と、2人に同じくらい嬉しそうな顔で褒めていた。

同じA教室の後方では、6年生の2人が先生と国語の授業。
隣のB教室をのぞくと、3年生の子が、先生とマンツーマンで算数の授業をしている。
そして、仕切りを隔てた隣の作業机では
珍獣ともう1人の1年生の男の子が一心不乱に


アイロンビーズをしていた。( ゚д゚)
1学期に芽生えた職人魂の火は、消えていなかったのだ!!

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緩やかな個別学習が当たり前に実践されている、支援級の日常。
一斉授業のスタイルに疑問を持ちつつ、子ども時代にそれしか経験してこなかったわたしは
新鮮さと共に、個別学習の“具体的なよさ”を実感している。

それは、《周りと比べなくていい》ということ。
みんな、学んでいる内容もペースも違うから、誰とも比較しようがないのだ。

「出来た!」
「すごい!花丸あげるね」

そんなやり取りを聞いていると
「できる・分かる前の自分」と、「できた・分かった後の自分」との差分が、その子に達成感をもたらしているように感じる。
そしてそれは、もしかしたら
外部との競争で得た達成感よりも力強く、その子の土台を作ってくれるのかもしれない…とも思う。

同時に、《1人ひとりに寄り添う》を、文字通り実践してくれている支援級の先生たちには、本当に頭が下がる。
先生たちが少しでも、その志を形にできる環境がもっと広がりますように
と、切に願う。

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