ピンポンにおけるヒーローの表現

漫画『ピンポン』におけるヒーローの表現
ー描写、セリフ、まつわる文献から読み解くー

序

1  僕の血は鉄の味がする

2 ヒーロー不在

3 ロボット侵略

4 ヒーロー見参

5 僕の血は鉄の味がする

考察

・序
『ピンポン』は松本大洋原作であり、週刊ビックコミックスピリッツで1996から1997年にかけて連載され、卓球をテーマとしたスポーツ漫画である。あらすじはおかっぱ頭の「ペコ」とメガネの「スマイル」の2人の高校生の主人公の物語である。小学生からの幼馴染である彼らが卓球を通して、様々な人達と出会い成長する高校部活動の青春ストーリーだ。僅か5巻の短い物語ながら販売部数は100万冊を超え、アニメ化、映画化もされた。この漫画には「ヒーロー」という一つのテーマがある。このテーマは『ピンポン』においてどのように表現されているか。台詞、描写、客観的資料から読み解いていく。一つ注意点として、この作品を引用するにあたり、コミック版、アニメ版の両方の描写を用いてる。しかしコミック版、アニメ版で明らかに異なる部分は引用はしていないのでご了承を。


・1章  僕の血は鉄の味がする


「僕の血は鉄の味がする」


 この言葉は主人公の1人であるスマイルの台詞だ。スマイルは幼い頃から笑わず、他人に興味を示さない性格であった。その様子から常にいじめにあっていた。


スマイル「どうしてみんな僕に構うの?何もしてないのに、怒ってもないのに、笑ってもないのに、ただ居るだけなのに。息も殺してる。言われたことだけを静かに、ロボットみたいにしているのに。」
(アニメピンポン2話、17分40〜57秒)


「僕の血は鉄の味がする」の解釈について。スマイルはいじめられる際に同級生から「ロボットみたいだ」表現される。
ロボットには血も涙も感情もない、全て鉄で出来ている。笑わない感情を表に出さないまさにスマイルそのものである。そして自分を卑下するかのように「僕の血は鉄の味がする」と表現したのだ。以上の描写から、スマイルはPTSDであると言える。
「心的外傷後ストレス障害は極度の外傷的出来事により引き起こされる反応性の精神症状であり、フラッシュバックを代表とする侵入症状、感情のネガティブな変化などが1ヶ月以
上みられたときに診断される。」
(杏林大学医学部 伊東杏里 PTSDについて)
アニメ2話17分40秒から57秒のシーンにおいても、スマイルの回想では、いじめた人達の顔と言われた事を思い浮かべていた。この現象はフラッシュバックである。上記の診断基準にスマイルは満たされているのだ。
しかし、彼にも唯一心を許せる人間がいる。それがもう1人の主人公である「ペコ」だ。ペコは小学生の頃、いじめられていたスマイルを何度も助けた。スマイルに卓球を教えてたのもペコである。スマイルにとってペコは「ヒーロー」そのものなのだ。


ペコ「チャンスの時には3回唱えろ!
ヒーロー見参!ヒーロー見参!ヒーロー見参!そしたらオイラがやってくる!ピンポン星からやってくる!」
スマイル「僕もペコみたいになれるかな。ペコみたいに、なりたいんだ。」

ー松本大洋作 『ピンポン』4巻 59ページー

 ペコは卓球の才能があり、大会に出れば毎回優勝し、トロフィーも自慢げに見せてくる。
上記のセリフからスマイルはそんなペコに憧れている事が伺える。


・2章 ヒーロー不在

 
 時は経ち、2人は同じ高校に進学し卓球部に入る。才能のあるスマイルは先輩に毛嫌いされながらも毎日部活参加する。しかしペコは自分の才能に溺れ部活に参加しなくなる。


ペコ「この星の一等賞になりたいの、おれは!」

ー松本大洋作 ピンポン 1巻 136話ー

 
 かつてスマイルが憧れたペコの面影はそこにはもう無い。それにも関わらず説得力の無い夢を語るペコに対して、スマイルは次第に憧れの気持ちが薄らいでいく。


スマイル「個人的に嫌いなんだ。カッコ悪いペコ見るのが」
ー松本大洋作 ピンポン 1巻 100ページー

 
 憧れのペコは消え、スマイルにとってのヒーローは不在となる。

 
 夏になりインターハイが始まる。
インターハイ予選大会当日、スマイルはペコに尋ねる。


スマイル「ペコはヒーロー信じる? ピンチの時には必ず現れるんだ。僕がどれだけ深く閉じ込められても助けに来てくれる。僕は信じてた…。もうずっと長い事彼が来るのを待ってい
た。」


ペコ「いるかい。そんなもん。マンガの世界だ」


ー松本大洋作 ピンポン 2巻 82〜85ページー

 
 スマイルはペコにヒーローの存在を問う。ペコにヒーローとして帰ってきて欲しいことが読み取れる。
 
 試合がはじまる。自信過剰なペコは自分ならば予選突破できると踏んでいたが3回戦で敗退してしまう。相手は幼馴染のアクマという人物で、小さい頃は実力が下の相手であった。彼は極度の裸眼で卓球の才能はないが、強豪海王高校の卓球部に入部して日々努力した。そして自分よりも才能のあるペコに勝つまでの実力を身につけた。自分に卓球の実力の無さを痛感したペコは自暴自棄となり卓球から足を洗う。
 
 この章において、スマイルにとってのヒーローが不在する事を述べた。ペコはスマイルにとっての憧れであったが、卓球から逃げ出してしまうペコはスマイルの中のヒーロー像とは異なる事が理解できる。


・3章 ロボットの侵略

 
 夏のインターハイでは元上海ジュニアの実力者の中国人に敗北したスマイルであったが、あと一歩まで追いつめ、善戦したことが評価され強豪海王学園からスカウトがくる。しかしスマイルにとって卓球とはヒーローであるペコと繋がるための道具なのであり、卓球に真剣ではないスマイルはそれを断る。
 
 海王学園からスカウトが来たものの、スマイルを高く評価したのは唯一ドラゴンという人物だけだ。彼はスマイルの学年の一つ上で、海王高校のキャプテンでありインターハイ2連覇中の絶対王者である。海王高校は強豪でありながらも、チームの総合力が足りておらず、団体戦では優勝できずにいた。ドラゴンはキャプテンとしてチームのために実力のあるスマイルを執拗に誘う。この一連の流れに不満もったのがペコを下した幼馴染のアクマだ。アクマにとってドラゴンこそがヒーローであり、ドラゴンのように強くなれるように必死の努力をしてきた。それなのにドラゴンの目にはスマイルしかなく、アクマは不満もつ。努力に努力を重ねたアクマは、自分より努力のしていないスマイルより実力がないことを信じたくなかった。そしてアクマはスマイルに練習試合を持ちかける。しかし結果はスマイルの圧勝であった。

 
 アクマ「畜生ォォォっ!!!どうしてお前なんだよっ!一体どうしてっ!!俺は努力したよっ!!お前の10倍、100倍、いや1000倍したよっ!風間さん(ドラゴン)に認められるために!!ペコに勝つために!!それこそ朝から晩まで卓球の事だけを考えて…卓球に全てを捧げてきたよ、なのにっ………」

 
 スマイル「それはアクマに卓球の才能がないからだよ。単純にそれだけの話だよ。大声で騒ぐほどの事じゃない。試合続ける気がないなら帰って欲しい。僕もそれほど暇じゃない。」

 
 この様子を見ていたペコは自分とスマイルではもう既に遠く実力が離れていた事を知る。それに気が付かなかったのはスマイルとペコが卓球する時は常にスマイルが手を抜いていたからだ。それが意識的か無意識的かは明かされないが、恐らく無意識の中でスマイルはペコにヒーローを投影させて、自分が負ける事で、ペコに対しての尊心を保っていたのだろう。
 
 ここで再びスマイルはロボットに例えられるようになる。スマイルのスタイルは「機械のような精密なコントロール」「燃料の切れないスタミナ」「相手の弱点を執拗に責める無情な戦術」と例えられていた。これらはロボットの性質をスマイルの卓球スタイルに当てはめて、ロボットであるとことを隠喩しているといえる。また、上記のアクマに放ったスマイルのセリフは無情であり、ロボットように無機質といえる。
 
 この章ではスマイルが自らロボットとなり、ヒーローを求めていることが理解できる。小学生の頃、ロボットのようだといじめられていたスマイルをヒーローは助けてくれた。ロボットのような自分に笑顔と卓球の面白さを与えた。そして再び今度は敵のロボットとしてスマイルはヒーローを呼ぶ。ヒーローは敵が来ると必ず現れるからだ。ピンポンを描いた作者松本大洋はこのような比喩表現を用いてヒーローと敵(ロボット)を表現する。ヒーローは敵がいれば現れると表現している。


・4章ヒーロー見参


 時は経ち、卓球を捨て、遊びほうけるペコはヒーローの見る影もなくった。そんなペコのもとにある人物が訪ねた。無断で道場破りをし挙句の果て負け、学校の面子を落とした事で退部となったアクマ姿だ。
アクマにとってもペコはヒーローであった。
ペコが右を向いたらアクマも右を向いた。ペコの使うラケットを欲しがった。戦型もなにめかも真似た。憧れであったのだ。
だからこそ、才能があるのにも関わらず怠慢と妥協満ちた卓球をするペコが許せななかった。

 ここでアクマにとってもペコはヒーローであった事が理解できる。ここでは「憧れ」としてのヒーロー像であることが分かる。


ヒーローであることを思い出したペコは昔の自分を取り戻すべく再びラケットを握るのである。そして、かつての恩師、オババの指導のもと練習を始める。

 そして夏、再びインターハイが始まる。「ロボット」の異名で恐れられていたスマイルはドラゴンと並ぶ優勝候補とされた。無名のペコの1回戦の相手は昨年スマイルを倒したエリート中国人だ。ペコも過去に練習試合で11-0で負けていた。しかし急成長を遂げたペコはエリート中国人に勝利をあげる。


スマイル「おかえり。ヒーロー」

ー松本大洋作 『ピンポン』4巻 112ページ


スマイルはヒーローが戻ってきたことを感じる。

 
 ここでペコのヒーローとしての才能の大きさが描かれている。乱視に悩まされながら膨大な努力したアクマと短時間の練習で大きな実力を手に入れたペコの明確な才能の差が無情にも描かれている。

その後ペコとスマイルは勝ち上がる。スマイルはドラゴンに次ぐ海王学園の選手「真田」にも勝利を収める。スマイルは準決勝も勝ち決勝に進む。対するもう一方の準決勝ではドラゴンとペコの試合が控えていた。しかしペコの膝は壊れていた。急成長と引き換えにオーバーワークともいえる練習をこなした代償である。


オババ「いいかいペコ。確かにお前さんぐらいの年には無茶だの無謀なは必要だ。そいつは認める。ただお前がこの世界でてっぺんを目指すなら白旗をあげる勇気っての?覚えないとね。」


ペコ「スマイルが呼んでんよ。アイツはもうずっと長いことオレを待っている…ずっと長いこと、オレを信じている…。気付いてたけど知らんフリしてたよオイラ。びびって必死に耳塞いださ。おれは」



幼き頃のペコ「心の中で3回唱えろ。ヒーロー見参!ヒーロー見参!ヒーロー見参!そうすりゃオイラがやってくる!!ピンポン星からやってくる!」

ー松本大洋作 『ピンポン』5巻15〜20ページ


 ・この章における「ヒーロー」の表現
ここではヒーローの凋落から復活まで描かれている。この作品ではヒーローは完璧でなく、人間的な部分(スマイルやアクマに対する劣等感)が描かれているのが分かる。またスマイルの呼び声に対して応えらないため耳を塞いでいたという、人間的なヒーローの一面も描かれている。


・5章 僕の血は鉄の味がする
この章では完結に向けてのあらすじとヒーローの表現について詳しく説明する。


 ペコは膝に怪我をかかえながらもインターハイ2連覇王者であるドラゴンに勝利を挙げた。そして決勝戦が始まる。ついにペコとスマイルは対峙する。以下は試合直前の廊下で、遅れたペコと待っていたスマイルとの会話である。


スマイル「遅いよ。ペコ。」

ペコ 「そう言ってくれるな。これでもすっ飛ばしてやって来たんよ。」

スマイル「うん」

ペコ 「行くぜ、相棒」

スマイル 「うん」

ー松本大洋作 『ピンポン』5巻 145〜146ページー

 この一連のセリフは2つの意味で捉えられる。1つは遅刻してきたペコに対して。もう1つはヒーローとして遅れてきたことに対してである。2重の意味がありとつらも筋が通っていると言える。
 試合が始まる。セリフのない2人のスピード感ある試合が20ページにも渡って描かれる。

小学生のペコ 「球乗せるは握ったらダメだ。ほいでコートより高く構えんよ」
ー松本大洋作品 『ピンポン』5巻 166ページー

ペコがスマイルに初めて卓球を教えた回想描写が入ってくる。これは卓球の楽しみを教えてくれたヒーローとして表現されている。
彼らの真剣勝負は徐々に昔遊びでやっていた卓球と重なるようになる。無邪気に卓球をしていた昔の2人に戻る。転倒したスマイルの膝からは血が流れる。その血を指で触り、その血を舐める。同時にスマイルは微笑みながら、心理描写でセリフを述べる。

 「僕の血は鉄の味がする」
ー松本大洋作 『ピンポン』5巻164ページー

 このセリフは1章でも用いられたセリフである。しかしながらこのセリフは最初と最後で全く違う意味を持つ。最初は、笑うことなく、他人に興味を示さない性格であったスマイルが全身鉄で出来たロボットのようであるがゆえに「僕の血は鉄の味がする」と自分を卑下するための表現としてのセリフであった。しかし最後ではヒーローによって笑顔を与えられた。かつてロボットと揶揄されいじめられていた少年時代のスマイルをヒーローがいじめを救い、感情と人間性を与えたように、時を超えて、再びヒーローとしてロボットからを感情を与えた。ロボットから人間へと変化したことを示すために、人体の血管に流れる、鉄分の含まれる血の味がすると述べたのだ。つまり最初はロボットだから、最後は人間だから「僕の血は鉄の味がする」とスマイルは述べたのであった。これらからヒーローは喜びを与え、ロボットになった少年を救いだす、いわば「救世主」として表現されている。
また1章でスマイルはPTSDの症状を持っていることを説明したが最終話では感情豊かによく笑う青年としてスマイルが登場した。これらの描写からスマイルがPTSDを克服したことが理解できる。この点からみてもやはりヒーローは「救世主」として表現されているのが分かる。
・考察
この作品において「ヒーロー」とは「憧れの存在」「喜びを与える存在」「救世主」として表現されていることが理解できる。それと反対に、凡人とは違う才能を持っていることも残酷かつ現実的に表現されている。
だからこそヒーローは人の心を動かし、スマイルのように助けを求める人々の力となるとこの作品では表現されたのだ

「ヒーローは理屈を超えてゆく。ヒーローは常識を覆し、闇を吹っ飛ばす。何より単純で、明るく、楽しく、輝いている。」
          月本誠


*引用
・『ピンポン』(週刊少年スピリッツ)松本大洋作 1996〜1997年

・「PTSDについて」伊東杏里 杏林大学医学部急医学消失 


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