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昨日、アイドル解雇されました

「今日でクルメロリを辞めてほしい」

​​マネージャーからそう告げられたのは、ライブが始まる3時間前のことだった。

ファンとは繋がってないし、闇営業もしていない。規約違反をしたわけではないし、大きな問題も起こしていなければ、炎上もしていない。メンバーとのトラブルもないはずだ。けれど、人生を賭けたアイドルグループ『クルメロリ』を、私はどうやら辞めなければならないらしい。それはあまりにも急な解雇通知だった。

私が6年前に所属したクルメロリのプロデューサーでもある彼の言葉は、いつだって妙に強制感がある。マネージャーが言ったことは絶対。29歳という若さで、社長の次に偉いのが彼だ。

オーディションに受かり、初めて顔を合わせた日から、この髭面の乾燥しきったパリパリの顔を見なかった日は数える程度しかないだろう。アイドルに、ライブもレッスンも打ち合わせも撮影もないオフなんてほぼなかった。7年ぶりに同級生と再会できる高校の同窓会も、大学の卒業式も、従兄弟の結婚式も全部欠席した。

休みがなくてたって全然良かった。軽度の肺炎になり、強制的に1週間ライブを休まなければならなかった期間は生き地獄だった。私がいなくてもクルメロリは成立してしまうということが、みんなにバレるのが怖くて怖くて仕方がなかった。私がいない間に、メンバーに新規のファンがついていないか、止まらない咳に奮闘しながら血眼でSNSをチェックする日々は辛かった。フォロワーが1人でも増えているだけで、もどかしく胃のあたりがムカムカした。

それでもアイドルでいたくて、アイドルという仕事がしたかったから、プライベートな理由で仕事を休みたくはなかった。お葬式が6年間なかったのが唯一の救いだ。

女として若く貴重な時代を全て捧げたのに。体調不良や学校と言ってライブやレッスンを定期的にサボったり、アイドルという肩書を使いメンズ地下アイドルと飲み歩いたり、ホストに通ったりするメンバーを横目に、私は真面目にやってきたのに。

「なんでですか?」

生まれて初めてのクビ宣告に喉が乾き、情けない掠れ声になるかと思ったが、シーンとした事務所内では私の声は意外と大きく、堂々と響いた。

「お前はもう、アイドルの顔をしていない」

私を真っ直ぐ見たその目の圧が強い。どんな顔をしたら良いか分からなくて、つい目線を下に逸らしてしまう。彼は、右手の親指を同じ中指の横腹に繰り返し擦り付けているのが見える。

メンバーに言いにくいことを伝えるときと同じだった。例えば、決まっていたCDデビューがなくなったときも、目標だったフェスの出演オーディションに落ちたときも。伝えづらいことを言わなきゃいけないとき。もう、その決定をどう足掻いても変えられないときの癖だ。

彼の言うアイドルの顔というのはどういう顔だろうか。私は今どんな顔をしているのだろう。毎日人より鏡をみているはずなのに、自分の顔が思い出せない。同年代の友達より、明るい色のアイシャドウに彩られた瞼と濃い色の唇。不自然なくらい強調された涙袋。手鏡で見るパーツばかりが頭に浮かぶ、自分の顔面の全体像がはっきり出てこない。

「お前は今ステージに立つことが楽しいか?ファンの”偶像”としてじゃなく、1人の女として表舞台に立っていないか?お前が見せなきゃいけないのは、江本ゆりこじゃない。6年前にお前がお前自身で作り上げた宮澄りんなんだぞ。」

ファンが「宮澄りん」を推しに選んでくれるのは、飛び上がるほど嬉しいものだった。何百人もいるアイドルの中で、何十人もいるライブハウスで、8人のクルメロリのグループの中で、たった1人私を選んでくれることが嬉しかった。私にとっては奇跡だった。生きているだけで、恥ずかしいほど湧き上がる承認欲求をファンが満たしてくれる。

”選ばれる”という感覚は麻薬だ。

袖からステージに出るとき、客席にいるお客さんの視線がこちらに注目していると、鼻がつんとして自然にアイドルの笑顔になった。私を見てくれている。私だけを見てくれている。ステージに出ることが楽しみで楽しくてたまらなくて、誇らしかった。自分がここに存在しても良いと思える唯一の時間。アルバイト先の店長に嫌味を言われるのも、大学時代の友達に「ゆりこってノロマちゃんだよね〜」と馬鹿にされるのも、親に「安定した企業に就職しろ」とせっつかれるのも、全部どうでも良くなる。ステージの上の私は、無敵だった。

ファンは、ステージで踊る私を1秒も見逃すまいと言わんばかりの眼差しで追い、マイクを口元に持ってきた瞬間から、歌声に合わせてサイリウムを力一杯振ってくれる。私に会うために、私と話すためにお金を使う。彼らは私を「尊い」と崇める。

そんなファンに飽きられないよう、魅力的なアイドルになれるように、歌もダンスも人一倍努力した。ファンの自慢の推しでい続けるために。深夜の公園でのダンスの練習、動画サイトで見つけたボイストレーニング。どの角度のどんな表情が可愛く見えるか、色っぽく見えるか、家の中で一番大きい風呂場の鏡で何時間も研究した。

ライブが苦痛になったのはいつからだろう。鼻がつんとする感覚。もうしばらく味わっていない。

でもなぜか、私の中に”アイドルを辞める”という選択肢はなかった。稼げなくて生活が苦しい上に、怒涛のスケジュールで風邪を引きやすくなっても、アイドル以外の職業で生きていく自分が想像できなかった。

「宮澄にはガチ恋が多すぎたね」

"ガチ恋"とは、ファンが推しやアイドルに本気の恋愛的な感情を向けてしまうことである。それゆえに、嫉妬心や独占欲も激しく、自分勝手な行動をしてしまう人も多いのだ。

彼らは、私をアイドルとしては見ていない。1人の女として見ている。女として恋愛的に好かれるのではなく、アイドルとして愛されたかった。それなのに、私には常にこういうガチ恋のファンが付き物だった。ガチ恋たちは、新しいファンを陰で排除した。女の子のファンですら目の敵にして、まさに彼女たちが嫌がるようないやらしい言葉を連発したり、わざと近くに行って食べ物をクチャクチャ音を立てて食べてみたりした。”良いファン”ほど、遠慮して去っていった。

「りんちゃんは大好きなんだけど、りんちゃん推しの人たちはなんかきつい」

そう言って現場に来なくなっていく人たちを何度も見送った。その度に悔しくて悔しくてたまらなかったけど、何も言えなかった。そんな自分が忌まわしくて嫌いで仕方なかった。

アイドルを始めた当初は、歌とダンスをとにかく頑張れば良いと思っていた。でも、アイドルの収入を大きく左右するのは歌って踊った後の特典会なのだ。いくらパフォーマンスがよくても、顔が可愛くても、チェキ会でファンを喜ばせないと、アイドルは生きていけない。

購入された個人のチェキ券のバックが、アイドルとしての給料だ。1枚1000円のチェキ券をを買われると、入ってくるのは300円。すずめの涙のような給料でも、アイドルとして稼いだお金というだけで非常に貴重だった。チェキを撮ってもらわなければその日の給料は0円。交通費なんて出ないから、むしろマイナスの日もある。

ガチ恋との特典会では、至近距離で「自分のこと好きなの?」と思わせるようなリップサービスを超えるような会話を繰り返した。「初めは我慢。最初は色恋営業でヲタクにお金使わせて!売り上げを出してから初めて大きなチャンスがもらえるから」というようなことを、マネージャーや他のスタッフ、イベンターから耳にタコができるほど言われた。

その言葉を信じて、いや、その言葉に取り憑かれて、6年間あらゆるガチ恋に好きだと伝えて「付き合おう」「アイドルを辞めたらデートしよ」などと、腑が煮え繰り返りそうなことを言われても、まるでアイドルとファンとの関係には”その先”があるかのように、可愛く笑ってかわした。そうやってお金を稼いでも大きなチャンス"はやってこなかった。「初めは」が、6年も続くなんて思っていなかった。

「りんちゃんも俺のこと好きだから嫌じゃないよね。」

ファンのお兄さんに、他のファンや運営スタッフにバレないように、こっそり太ももを触られたあの日、私は声をあげられなかった。お兄さんに「止めてよ」と言う勇気も、運営に助けを求める勇気も芽生えなかった。

ファンが1人でも減ったら、歌割が減る。立ち位置が端っこになる。ラジオやイベントの仕事がもらえなくなる。「触らないで」と拒否したら、お兄さんが機嫌を損ねるのは目に見えている。運営に言えば、彼に厳しく注意するだろうし、もしかしたら出禁にするかもしれない。どちらにしろ、私も自分のことを恋愛的に好いていると思っているお兄さんはもう来てくれなくなるだろう。

その日は家の風呂場で、触られた右の裏ももにボディーソープをたっぷり付け、力のまま擦った。泣きたかったけど、泣くと次の日目や顔が腫れぼったくなり、新しいファンを掴むチャンスが減るので、必死で我慢した。目が腫れるのを気にして、もう何年泣いていないのだろう。太ももを赤くなるまで掻きむしった。触られた皮膚が全て垢となって排水溝に消えていくように。普段のお湯の温度より熱いシャワーで、熱湯消毒するかのように。

大きな声で叫んでやりたかった。もう嫌だと声が枯れるまで「ばかやろう」と喚きたかった。でも、薄給のアイドルが借りられる家賃5万5千円の安アパートじゃ、壁が薄すぎて大声もあげられない。

このときにはもう、私の中のアイドルは壊れ始めていたのだろう。

「辞めたくない」と騒ぐこともできた。規約違反による解雇がほとんどのアイドル業界において、マネージャーが今伝えた解雇理由は、マインド次第ではまだ全然改善できる内容なのだから。

しかし、私のアイドル寿命はもう老衰を迎えていたようだ。「辞めてほしい」と言われたとき私の中に浮かんだ1番の感情は、悲しみでも怒りでも悔しさでもなく、安堵だったのだから。私をしばっていたのは、運営からの差別やファンとの関係性、夢を叶えられない苦痛ではなく、ステージでキラキラ輝いていた幸福な思い出だった。

マネージャーは前々から念密に準備していたらしい。解雇が告げられた30分後には、くるめろりの公式アカウントから、本日付けで宮澄りんが辞める旨が告知された。

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クルメロリから大切なお知らせ

平素より、クルメロリを応援くださり、誠にありがとうございます。
宮澄りんですが、諸事情により本日のライブを最後にクルメロリを卒業、現事務所を退所することとなりました。
​​SNSアカウントも契約の都合上、本日の午前0時に削除されます。

今後は7人体制で活動を続けて参ります。

突然のご報告となり日頃より応援いただいておりますファンの皆様、ご心配ご迷惑をおかけすることになり、謹んで深くお詫び申し上げます。

この件に関しまして、SNSや物販等でメンバーに対する質問はお控えください。

クルメロリ運営

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ファンの混乱やこれからのグループの印象の悪化を防ぐため、解雇ではなく退所という発表になっていた。急な告知に対してのファンの反応は、思いのほか騒がしくなかった。

「今までお疲れ様」
「よく頑張ったね」
「寂しいけど…これからの人生に幸あれ!」

など、物分かりの良いコメントばかりで少し寂しかった。急にその日のライブでアイドルが辞めるなんて、大ニュースのはずなのに。私がいなくなることで、寂しさで気が狂ったり怒りを示すくらい感情を動かしてくれたりしても良いのに。そう思いながらも「クルメロリを捨てるのか」「人気ないんだから辞めて清々!」など、罵詈雑言を浴びなくて良かったとも安堵する。アンチも湧かないくらい、私の認知度なんてそんなものなのだ。傷付かないけど、傷付けないことが悔しい。

最後の楽屋。最後の舞台袖。

「今日で最後なんて残念」「知らなかった」メンバーが口々に言って私にハグをする。「りんちゃんがいなくなるの寂しいよういやだよう」特に顔を真っ赤にして泣いている、最年少のるいちゃん。

でも私はさっき、マネージャーがトイレに立ったときに見てしまっていた。パソコン画面に表示された、私抜きの新しいフォーメーション。レッスン済みというフォルダ名だった。

みんな知っていたんだ。私がこの日のライブを最後に解雇になることを。知っていて、さっき初めて知ったみたいにしてくれているんだ。優しさかもしれないし、私なんて早くいなくなれと思っているのかもしれない。るいちゃんの涙は本当かもしれないし、嘘かもしれない。アイドルは比較的自由に涙を流すことができる。でも、もうそんなのどうだって良い。

あっという間にもう最後のライブが始まる時間になる。握りしめていたジンジャエールを2口だけ飲む。

楽屋入り前にメンバーと寄るコンビニで、毎ライブ前に買ってしまうジンジャエール。強い炭酸は元々苦手だが、いつからかこの甘辛い炭酸を喉に通すことが、ステージに出る前のルーティーンになった。まるでお酒を仕込んでから合コンに挑むOLのようだけど、これがあるおかげで、体がビシッとしてより緊張感が生まれるのだ。やる気スイッチみたいなものかもしれない。

ちなみに市販のジンジャエールには生姜は入っていないので、健康に良い訳ではないらしい。コーラやサイダーを飲むよりは低カロリーなので、ジンジャーエールを選んだだけだ。

衣装やコンセプトまでが変貌を遂げた中で、なぜか1度も変わらなかったSEが流れ出す。ライブが始まる前に流れる登場の音楽。私が出るのは3番目だ。SEのときだけが私がステージトップのセンターに立てる時間。センターに立てるのは、たったの1.5秒。

最後のステージ。私のアイドル人生最後のステージ。もうアイドルをやることはないだろう。

一歩踏み出すと、舞台袖の幕が右肩に当たる。背筋を伸ばして真っ直ぐ歩き出す。右目の端に、緑色の明かりが見える。私の担当カラーだ。どうしても真ん中には立てない色。中心にはなれない緑色。それが、私に与えられた色だ。

前を向く。そこに見えたのは、一面の緑—————————————————。

ではなかった。流石にファンの人達も気遣ってはくれたのだろう。他のメンバーの色は、今日は見当たらない。それでも、緑色のサイリウムは、ザッと数えられる程度。私の色のサイリウムの本数は20本ほどだった。私の6年間の成果は、この20本だ。

いつか訪れるとは考えていた最後のライブは、私が今まで話したことがある人全員に見に来て欲しいと思っていた。しかし、そんなことは叶わなかった。仕事を休んでまで、既に入っている飲み会をずらしてまで、会いにいかなければと思ってもらえる人ではなくなった。それほど私の優先順位は下がってしまったのだ。

私たちは、所詮趣味の一部だから、熱中したり飽きられたりするものである。給料とは関係なく「会いたいな。久しぶりに話したいな」と思っても、自分からコンタクトを取ることはできない。会いに来てくれないと話すことができないのが、もどかしい。

それからのことはよく覚えていない。演る歌もダンスも体に染み付いてしまっている。意識しなくても、体が勝手に動く。歌詞を頭から呼び起こさなくても、勝手に口は動く。録音されたデータのように声が出る。取り付けられた仮面のように私は笑う。今日も鼻はつんとしなかった。

驚くほどいつも通りの20分のライブは、あっけなく幕を閉じた。感傷に浸る間もなく、特典会が始まる。

私とその人だけの、歴史がある。関わった時間は短くても、会った回数は数える程度でも。どのライブハウスでどんな風に出会って、初めましてのときはどんな会話をして、どのくらい通ってくれて、どんなポーズをして、どんな話をして、SNSではどんなコメントをくれて、出会ったときから今までの記憶の全てが走馬灯のように駆け巡る。どんな人とでも。

泣いていたファンの女の子が1人だけいた。

「ずっとずっと大好き。親が離婚したときも受験のときもりんちゃんがいてくれたから。きつくても死にたくても、りんちゃんも頑張ってるからって。体には気を付けてね。私りんちゃんのことこれからもずっとずっと応援してるから」

握りしめた携帯のホーム画面には、ツインテールでくしゃっと笑う私がいる。つられて、涙が滲んだ。再来月は、この子の誕生日だ。直接会って「おめでとう」を言ってあげたかった。私に落ちサビが当てられたときも、彼女は泣いて喜んでくれた。「りんちゃん良かったね。良かったね。いっぱい頑張ってるからだね」と、目を潰してくしゃっと笑ってくれた。その笑い方はちょっぴり私に似てきていた。

4ヶ月ぶりに現れたガチ恋おじさんに「来週の木曜の夜、ジンギスカン屋さんに行こうよ。DMするから返信ちょうだいね」と言われた。「行くわけないだろハゲチャビンめ」と吐き捨ててやりたかったが、堪えて「ラム好き〜」と言って笑顔を見せた。今日まで必死で我慢したんだ。告知文にあった通り、本日が終わるまで私はアイドルだ。ガチ恋おじさんの偶像でいよう。

物販が終わると「ちょっと待った!」という声がファンの中から上がった。誕生日や別の仕事の決定、卒業時など、ファンがサプライズでお花や色紙をアイドルにプレゼントするときに、この掛け声が使われるのだ。

急な発表だったから、お花なんて用意されないと思っていた。さっきの女の子と、頻繁に来てくれるお兄さんが、花束と急いでかき集めてくれたのだろうメッセージアルバムを渡しに来てくれた。

「りんちゃんしか愛せない。一途!単推し!」と自分のSNSアカウントのプロフィール欄に書いてくれているお兄さん。彼には、私の他に推しているアイドルがいる。ある日、ベッドに横になりながらSNSを漁っていたら、別アカウントで他のアイドルの女の子とのチェキを載せているのを発見してしまった。チェキに写っている顔をスタンプで隠していたけれど、服装ですぐ分かってしまった。スポーツブランドのロゴが胸元に書いてある群青色のパーカーに、小さな黒のショルダーバッグ。髪型も体格も、SNSの書き込み方も全部いつものお兄さんそのものだ。

毎日愛を囁いてくれる彼氏に浮気されていたことを知ってしまったような、心臓がヒュウっとした感覚に襲われた。私しか愛せないなんて嘘じゃん。こんなことでくよくよしたくないのに、枕が少し濡れてしまった。私が本命だったのか”2推し”と言われるサブだったのかは分からない。けれど、私が居なくなったらその子に専念するのだろう。私は最後まで知らないフリをしてあげる。

20人弱のファンとメンバーが拍手をしてくれる。最後の晴れ舞台は、チェキ撮影を行っていたステージの下のフロアだ。ステージでの姿で締めくくらないところが、地下アイドルらしい。

みんながフロアから出て行くまで、ずっと手を振った。マネージャーが促してみんなが出て行くまで、繰り返しありがとうと言った。ガチ恋おじさんがニヤニヤして、最後まで入口のところにいた。

楽屋戻るとすぐに「お疲れ様ー!」とパウダーで真っ白の顔をしたるいちゃんとリーダーが颯爽と出て行った。お互いの誕生日もクリスマスもお正月も全部一緒に過ごしたメンバー。家族よりも親友よりも恋人よりも一緒にいる時間は長かったはずだ。終わりはあっけない。

その終わり方は、マンネリ化してもう好きなのか好きではないのか分からなくなってしまった恋人との別れを彷彿とさせた。もうアイドルではなくなってしまう私には、みんな微塵の興味もないのである。私と話す時間も気力もないだろう。私が今までそうだったように。

みんなはもう次のステップに目を向けている。8人体制のクルメロリに感傷に浸る余裕なんてないのだ。7人体制はセンターもできて見栄えも綺麗だろう。センターはみわちゃんだろうか。

「お先に失礼します。お疲れ様です。」人が居ようといなかろうと何千回言った言葉だろう。頭を下げながらライブハウスを出る。マネージャーに言われたように衣装は楽屋に置いてきた。衣装がないだけでこんなにも軽いんだ。もわっとしていた空気から飛び出すと、そこは途端にひやっとした夜の渋谷。

ライブが終わる毎にSNSで「ありがとう投稿」をするのがルーティーンだった。来てくれた人へのお礼はもちろん、来なかった、来れなかったフォロワーにも次は会いたいと思ってもらえるよう、盛れた顔写真と一緒に投稿する。

いつもは、三脚で撮った50枚ほどの他撮り風自撮り写真の中から、一番盛れているものを選び加工をする。肌質をレベル4まで上げて、鼻を3段階細くし、目の縦幅のサイズを大きくし、涙袋メイクを追加してリップもツヤツヤのピンク色を足す。全体のバランスを見ながら、タッチ機能で顎を削り、頬のニキビ跡を繰り返しタップして消す。最後に背景に映ってしまっている人や散らばった荷物をモザイク機能で消して完成だ。アイドルの投稿写真には、結構労力が要るのである。

アイドルとしての最後の投稿。どんな風にまとめよう。私の歴史、アイドルを始めた理由、なんで辞めることになったか……。色んな言葉が頭の中を走る。本音も嘘も。どんな嘘や建前を打ち込んでも、それは宮澄りんが文字にすることで、本当の言葉になる。

「私がアイドルを始めたきっかけは」まで打って、全ての文字を消した。140字で全てを語るには足りなすぎる。私には時間もなかった。あと数分で「宮澄りん」のアカウントは消えてしまう。マネージャーが送ってくれた最後のステージ写真を、加工せずにそのままアップロードして「ありがとうございました」と一言打ち込み投稿ボタンをクリックしたその瞬間、0時を迎えてしまった。

いつもは帰りの電車でエゴサをし、宮澄りんについて書かれたツイートやチェキの感想があればいいねをしていたけど、もうそのアカウントはない。世界から私は消えてしまったみたいだ。最寄駅で降りてひと気のない帰路に就くと、クルメロリの曲を聞いて小刻みに踊ったり、口ずさんだりして練習していたけど、今日は何を聞いたら良いか分からない。タスクのない帰り道。駅から家までってこんなに遠かったっけ。

家に着いた瞬間、身を纏っていた全ての布を体から剥ぎ取り、洗濯機にぶち込んだ。もう衣装をネットに入れて、おしゃれ着モードで洗濯する必要はない。

シャワーを頭っからビシャビシャ豪快に浴びる。急に全身をお湯に包まれたい衝動にかられたので、湯船にお湯をためることにした。小さな湯船にお湯がたまるまで、足を壁に沿って上げながらストレッチ。思い切り伸ばすと、赤い点々の内出血と小さな瘡蓋がいくつか散らる太ももが目に入る。ちょうど衣装のスカートに隠れるあたり。あの日から、太ももを掻くのが癖になってしまって、真っ白な太ももの肌には常に赤い斑点が住んでいた。

もうこの太ももに「赤」が増えていくことはないだろう。やっと湯船が胸のあたりまで溜まり、あったかい。

朝になるまで一度も目を覚まさなかった。久しぶりの長風呂で湯当たりしたのか、髪の毛も乾かさず、化粧水の類も何もつけず、ベッドにダイブしてしまった。アイドルだった昨日まではそんなのあり得なかったことだけど、少しの罪悪感もなかった。

夢すら見なかった。普段の私はステージで踊っていたり、ファンと話している夢ばかり見ていた。メンバーともファンとも夜中会わなかったのは久しぶりである。目覚ましをかけなかった日も思い出せないくらい昔だ。アラーム音に起こされず、自然に目が覚めるというのはなんて清々しいのだろう。

6年ぶりに、私はアイドルじゃなくなった。ベッド横の壁にかけられた鏡をじーっと見る。そういえば私の顔はこんなだった。涙袋なんてこれっぽっちもなくて、のぺっとした目。高校のとき抜き過ぎて生えなくなった薄い眉毛。ボリュームのない唇。黄色人種ならではの黄色い肌。血色が良いのはよく寝たからだろうか。

強制的に解雇されなければ、きっと私はいつまでもステージにしがみつき、アイドルという職業から離れられなかったはずだ。考える暇がないように1日で解雇させたのは、マネージャーなりの配慮だったのかもしれない。

枕元に転がっていたジンジャエールを一口飲む。ライブ前に飲んでいたキンキンのジンジャエールより、甘さを感じやすい。一晩置きっぱなしだったので炭酸が抜けてぬるくなっている。今の私には、これくらいがちょうど良い。


#創作大賞2023 #エッセイ部門

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