痛いおばさん




例え、不幸だろうと幸せに見えるならそれでいい

そう思うのが"大人"なのだろう。


拗らせおばさんは、不幸なのに幸せに見えてる事が嫌なのだ。


何故ならば、こんなに不幸でも頑張っている私をちゃんと知ってほしいから。

ただの幸せな人間じゃないんだよ。


沢山の不幸があってからの幸せな人間なんだよ。


あの時の辛さや悲しさや苦しさを消化しきれていない。違う、その不幸に浸かっている自分が好き。痛い、痛いよ。


不幸なんかに浸かるもんじゃないのに。

悲劇のヒロインぶるもんじゃないのに。


普通になりたい、そう呟きながら自ら、普通の人から避けられる人間になっている。


普通の人間が不幸なのを必死に隠すのも、悲劇のヒロインぶらないのも、必死に普通の人間でいようとしているからなのに。


この歳で、不幸な私を見てくださいなんて、、


そんな痛すぎる話ないよ。



この思考のまま歳をとるのが怖いよ。

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