【持論】発達障害について理解できる人などこの世に数十人しかいない
発達障害を抱えて苦しんでいる皆さん。
そして、福祉関係の方で発達障害者と関わっている皆さん。
とても重い内容の投稿をしてしまい、申し訳ございません。
私は、発達障害を持ってる20代会社員です。
幼少期に、ADHD(注意欠陥多動性障害)と診断され、小学生のころまで様々な治療を受けてきました。
中学にあがってから「発達障害は卒業した」と当時の主治医に言われ、今日に至ります。
卒業したといっても、今の今まで辛いことはたくさんありました。
忘れ物が多かったり、仕事でのミスが多かったり、車の運転でも何度か自己りかけたこともあります。
自分の非力さ、当たり前なことができないことに絶望を抱きながら日々生きております。
そんな苦痛をかみしめている中でも何度かこの現状に抗おうとしてきました。現状は変わることはありませんでしたが、一つだけ見えてきたものがありました。
本稿では、そんな絶望の中に見えた現実(私見)について述べさせていただきます。
発達障害者を理解できる人などいない
記事タイトルにあるように、発達障害者である自分について理解してくれる人などいないのです。
厳密にいうと、理解できないのです。
当たり前なことができないことが理解できない
ご存じかと思いますが、周囲の一般の方から見ると、発達障害者の言動について理解できないことが多いのです。
主な言動を挙げると…
寝坊が多い
忘れ物が多い
仕事での小さな、初歩的なミスが多い
気が短い
冗談が通じないなど…
こうした言動が常態化していることに、周囲の人は理解できないのです。
その理由としては、外観上ハンデを持っているように見えないという点が挙げられます。
発達障害者は外観上はほかの人と異なるところはありません。いわば「普通に見える」のです。
そのため、周囲の人が発達障害者を見るときは、各々の持つ「当たり前」という物差しで評価します。
その物差しで発達障害者を計ったとき、「非常識な人」や「怠けている」という評価をされてしまうのです。
たとえ、相手が発達障害者であると知っていても、心のどこかでそうした疑念を持ってしまい、うまく関係性を築けないといったことも起こりえます。
もちろん先ほど挙げた行為は、発達障害者だからやってもいいわけではありません。
しかし、直そうと反省してもまた同じことを行ってしまうことに発達障害者も苦しんでいることに気付ける人は極めて少ないでしょう。
「発達障害=個性」という考えからの誤解
一部の医師の方は「発達障害は障害ではなく、その子の生まれながらにして持つ個性」という人もいらっしゃいます。
上記記事で岩波先生は次のように述べています。
おそらく私の見解ですが、治らない特性であるから適応することに躍起になるのではなく、自身の持つ特性とうまくやっていける環境を探すことが大事だということなのかなと思っています。
「個性である」という言葉はとてもやさしく聞こえますが、この言葉のよって苦しむ人もいます。実際私がその一人です。
新たな環境を探そうとしたときの実体験
新卒入社した会社で、私は仕事をうまくこなすことができませんでした。
納期を守れなかったり、ケアレスミスが多かったりと上司からは毎日叱責を受け、「社会人として生きていける能力がない。働けないのならいっそ死んでしまったほうがいいのではないか」と思うようになりました。
そんな中、何気なく見ていたニュースで「障害者雇用」について取り上げられており、障害者として配慮を受けられる中だったら、まだ働けるのではと思いました。
早速、診療してくれる病院を探し、障害者手帳の取得に向けて動き出しました。幼少期の様子について記憶があまりなかったので、母にその様子を聞こうとしたら、このように言われました。
「本当に手帳取りたいの?」
「発達障害は個性に過ぎないのにそこまで悩んで障害者手帳をとろうとしているお前の考えがよくわからない」
「手帳をとったら「障害者雇用」に移行して給料が下がる。お前にその覚悟はあるのか?」
まくしたてるように言われた言葉の数々に萎縮して、結局当時の様子について話を聞くことはできませんでした。
理解者であると思っていた人からのこれらの言葉に、生きづらさを感じてしまい、今もその言葉の数々は胸に刺さっています。
結論:理解されないのなら自分を信じて動こう
障害の当事者でない人に自分のことを理解してもらおうと思ってること自体が間違いだという風に気づきました。
私がどう悩んでいるか、なんで障害者手帳をとろうと思ったのか、そんな思いはいくら説明しても結局理解されなかったからです。
今の環境で心を削って日々を送っていくより、自分の環境を探し続けていった方がよい人生を歩める気がしたのです。
安定や社会的地位は危ぶまれるかもしれませんが、死を常に頭に考える日々より、最大幸福を目指して日々を送った方が楽しいと思いませんか?
新しい世界に行くことは決して悪いことではないと思ってます。
ということで、親の反対を押し切って、自分らしい選択をしていこうと思います。
もし、あなたが発達障害で悩んでいるのでしたら、私とともに大きな一歩踏み出してみませんか?
私もがむしゃらに生きます。
あなたもがむしゃらに生きましょう。
わがままに生きましょう。
そんなあなたを私は応援します。
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