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街灯を頼りに夜を歩くとき そこに理由を持たない自由 一人暮らしでよかったなぁ、と感じるのは、夜に散歩をするとき。 この小さな部屋では感情を扱いきれなくなって、 ジャケットを羽織って、ポケットにスマホをしまって、夜へ歩き出す。 何も考えずに、ただ知っている道の、知らない側面を歩く。 そこに理由は存在しなくていい。 途中でコンビニに寄るかもしれないけれど、コンビニに行くことが目的じゃない。 別に、実家だと夜中に外出できないわけではないのだけれど、 何か嫌なことがあったのかと
六畳半の穴の中に、感情をしまいきれるわけがない 雨が線を引く いっそ僕を悲しみでひたひたにしてほしいな その時は嘲笑って、僕の悲しみを悲しまないで 僕の孤独を奪わないで 被害者になれない僕はさ、 悩む弱さを責めるところから始めるよ ホームドアはいつまで経ってもつかない 誇り高い学生のすみか 黄色い線の内側に踏ん張っている僕らは 最後尾の車両に今日も流れ込む
"私を動かしている私は、本当に存在しているのか?" 小学4年生くらいのある時期、この考えに囚われていた。 自分という人間を動かしている意志は、自分のものなんだろうか。今こうやって考えている私の、本当に本当に一人ぽっちの決断なのか、 そんな孤独があり得るんだろうかと。胸がキュッと締め付けられる感覚を、 今はもう思い出すことができない。 私が操っている私は、他の人みんなが見ているようにはどうしたって見ることができない。動かしているのは他ならぬ私なのに。 それってすごく理不尽で
水中を歩く牛たち 無意識に避けてる棘に触れた日の夢 誰もが、綺麗でない思い出をたくさん抱えて生きている。 その時の自分をどんなに切り離して考えても、一度は深く潜ってしまったから、今の自分と無関係なはずがない。忘れられるはずがない。 きっと深い傷になるだろう。一生忘れられないだろう。 この予兆は、生活の大部分においては外れているけれど、本質では当たっている。 生活の根幹となっていたものがある日を境に失われる時、自分はどうなってしまうんだろうと考える。しかし実際大して変わら
左手の温度が伝わる間に 追い越してくメッセージ・トレイン 私はよく、恋人と散歩をする。 駒場にある家から、渋谷か、池尻大橋か、下北沢かに目的地を決めて、二人でゆっくり歩いていく。大抵は本屋さんを見るか、カフェで少し話すかして、また家まで戻ってくる。時間によっては、一、二杯飲んで帰ってくることもある。 歩いている間、私たちはその時思いついたいろいろなことを話して、小さな幸せを噛み締める。 そこでの時間の流れと、井の頭線が90周年を記念して12月に走らせるという「メッセージト
昼過ぎにやっと動ける君にあて 僕は夜明けにうたを書きおく 家から出られなくなって、大学に行かなくなって、一ヶ月。 友達に連れられて病院へ行き、薬をもらい、少し良くなった。 親に連絡して、実家に帰ってきて、休んだ。 良くなった。今まで通りの日常が送れる体力は戻ったはずなのに、それでも空虚だった。今までと同じことができるようになったところで、それが何だと思った。 本当に、心底どうでもいいことばかりで嫌になった。 僕は、詩を書くことにした。 死ぬほど無感情な夜でも、僕は言葉
君のことなんか忘れたはずだった Paul Smithのカタログの風船 「またね。じゃないか、ばいばい。」 君がそう言ってから四ヶ月が経つ。 四ヶ月も経った。君のことなんか、忘れたはずだった。そんな頃になって、君の記憶は突然日常の中に割り込んできたのだ。 前髪を切ろうと思って、古紙の山から一枚取ろうとした時、下にあった冊子状のものが一緒に落ちてきた。 フルカラーの表紙。リボンで括られたスニーカーが、風船に繋がれて空を飛んでいる。何だろうと思って顔を近づける。 そう、見つけ
土手を行く自転車 感覚の薄れた耳から青へのグラデーション しばらく家から出ていなかった。 何もかも嫌になって、6畳半の部屋の隅で、天井を見つめていた。 実家からの連絡。 どうせ帰って来いということだろうと放置していたが、このまま何も生み出さずに寝ているだけなのなら、帰ってやらないこともないと思った。 「明日帰ります。」 とだけ送って、久しぶりにシャワーを浴びた。 翌日、馴染みの駅まで新幹線と電車を乗り継いで来た。 駅前の商店街は見る影もなく廃れていて、スーツケースを引き
コンビニの配送トラックを待って アクセルを踏む 君と夜の中へ 日付が変わる頃、君から連絡があった。 「今からドライブしない?」きっと何か話したいことがあるんだろう。いいよと返すと、私は上着を羽織って玄関先まで出た。 しばらくして、シルバーの車がやってきて停まる。助手席に乗り込むと、君は困った様子で言った。 「これじゃ通れないな。」 コンビニの前に配送トラックが停まって、商品を運び込んでいた。私の家の前は道が狭いのだ。 「どこ、行きたい?」君は続ける。 「わかんない、海の
メモ帳に溜まった言の葉の屑を 綿毛を飛ばすみたいに、夜に 思いついたこと、考えたことをスマホのメモ帳に打ち込んでおく。 しばらくすると、捨て置かれているそれらの脆い言葉たちを集めて、ささやかな伝言として飛ばしたくなる夜がくる。 まるで息を吹きかけた綿毛が華やかに舞い、新たな生命への期待を背負って飛んでいくように。 次の日がくる。 昨晩の熱はもうどこかへ行ってしまって、命を吹き込んだはずの伝言は作者にとって色をなくす。小っ恥ずかしくさえ感じる。 たんぽぽにしても、飛ばした
どうにでも描ける世界に、どうしても描けないもの 飛翔であるとか 全部思うようになればいいのになぁ。 何でも描ける世界、リアルを描かない世界、重力なんて存在しない世界。 そこでは「飛ぶ」ことが意味を持たない。 意味を持たないどころではない、それは単に「宙に浮いている」だけなのだから。 何の気なしにぴょんと跳んだ人がそのまま落ちてこないのと、飛行機が空へ飛んでいくのは同じこと。そこに「飛翔」としての価値はない。 何でも描けるからこそ、描けないものが存在することになる。 私
"いつもの"を頼んだ君に追いついて 「スモール、アイスの、カフェラテひとつ」 私の恋人は、カフェでアイスココアしか頼まない。 夏でも冬でも、サンマルクでもドトールでも、初めて入るところでも。 店に入ると、メニューを見る動作もなくカウンターに直行してしまうから、私は少し焦って追いかける。その場で考えるのは苦手だから、特に飲みたいわけでもないのに、アイスカフェラテを注文してしまう。 そんな日常を短歌に詠んだ。 商品を受け取って席に着く。 二人席だと君はいつも、奥側のソファを
もう、君の時間はねじれの関係にある 目が合った気がしていた初夏の サークルを辞めた。 大学一年の時から毎週末参加していたオーケストラのサークル。夏はあんなに熱心に練習していたのに、秋が来る頃には体調不良を理由に辞めてしまった。 休日にキャンパスを歩いていると、楽器を練習している音が聴こえる。少し前まで、私にとってもこの時間は練習時間だった。不思議な感覚。 これから先、私と彼らの時間が交わることはないのだと思うと、寂しさに襲われる。初めから交わってなどいなかったのではないか
交差点を見下ろす通路の端っこで 人混みを撮る人を見る僕 私は通学に井の頭線を利用している。大学からの帰り道、渋谷駅の改札を出て銀座線に乗り換えようとした時、ある光景が目に止まった。 激混みのエスカレーターを通り過ぎた左手、ガラス張りの壁に沿ってカメラを構える人たち。彼らが見つめているのは渋谷スクランブル交差点だ。一体スクランブル交差点の何が彼らをこんなにも惹きつけるのか、それは本人たちにしか分からない。しかしやはり、ここで交わり、通り過ぎてゆく大勢の人々が、スクランブル
鼻先に銀杏、マダムの立ち話、 行き場をなくし犬を労う この時期は無気力になる。 駒場キャンパスを歩いていると、銀杏の匂いが億劫さを引き立てる。それでも室内に閉じこもるよりかは外に出た方がいくらかマシな気がして、ベンチに腰掛けてみる。 すると向こう側から、大きな犬を二匹連れたマダムが歩いてくる。どうしてマダムは大きな犬を連れているのだろうか。そしてどうして大学のキャンパスは大抵、犬の散歩コースになっているのか。犬はひたすらダルそうに見える。そこにもう一人犬を連れたマダムが