女性の自由と責任

このツイートが話題となっている。

(出典)
https://x.com/cdp2017/status/1776807171935899710?s=46 

そしてこのツイートに対してさまざまな批判や意見が引用リツイートされていた。


(出典)
https://x.com/dooooou1177/status/1777170037050335418?s=46 

たとえば「具体的な方法は示さずに受けが良さそうな政策を掲げるな」という批判や


(出典)
https://x.com/chick3t/status/1777152351104856258?s=46 

「上野千鶴子氏のような上級国民が自身の上級国民という特殊な立場を踏まえずに庶民の女性に対しても優雅な独身貴族生活を広めたツケがこのような政策に表れている」といった意見があった。

このような批判や意見も踏まえて私がこの立憲民主党のツイートに対して思うことは政府が高齢者の独身女性を積極的に支援することは間違いであるということである。

女性の中には「結婚をしないことや子どもを持たないことは自由であり、結婚をしないことや子どもを持たないことを他人から咎められることはおかしい」と主張する人たちがいる。その主張自体は正しい。しかし、そのような主張をする人たちの中には高齢者になって要介護状態になった時に誰かに介護をしてもらえることは人権であり当然だと考えている人たちもいる。その考えに関しては筋が通らない。なぜならば、女性が自身のキャリアのために子どもを持たない選択をするという自由を行使したくせに高齢者になって要介護状態になったときに同年代の女性が産み育てた子どもや、もしくはその子どもの子ども、つまり同年代の女性の孫に介護をしてもらおうとするのは図々しいからである。「自由には責任が伴う」という道理に従うためにも高齢者の安楽死合法化は必要だろう。「子どもを産めたのに産まなかったこと」が悪いのではなく、「子どもを産めたのに産まなかったくせに老後を公助に頼ろうとすること」が悪いのである。

2022年の単独世帯の高齢者女性は夫に先立たれたり子どもが成人して世帯から外れたりした結果、単独で生活をしている人たちの割合がある程度は高いであろうが、今後はこのまま行けば単独世帯の高齢者女性は結婚をしたことがなく、子どもを産み育てたこともない生涯独身の割合が徐々に高くなっていくと思われる。

フェミニズムや反出生主義などという思想から子どもを産み育てないというのは結構であるが、そのような人たちが赤の他人の育てた子どもやその子孫に自身の老後を支えてもらおうとすることを当然だとすることは許されないだろう。政府は生存権や基本的人権を理由に高齢者に対して過剰に老後を保障することは止めるべきである。

また、単独世帯の高齢者女性の同世代の子どもや孫は彼女らのケア要員であるべきではない。要介護状態の"おひとりさま"高齢者女性に必要なものは彼女らのためのケア要員ではなく安楽死である。そもそも大抵の高齢者女性、特にフェミニストからすると、彼女らは男性にケアをしてもらいたくないはずであり、その場合、必然的に女性が高齢者女性のケア要因となるであろう。これは女性が召使いとして扱われることに反対し、女性の解放を訴えていたフェミニストにとって正当化することができるのであろうか。まともなフェミニストであればできないであろう。もし、できるのだとしたらそのフェミニストは単なる自己中心的な人だとしか言えないであろう。

追記
私が最近よく考えるのが容姿などが優れており、自身が望めば容易に男性と結ばれることができるタイプの女性に対して、結婚や子どもを産み育てるということをするべきだという圧力をかけ、女性の自由を侵害することは必ずしも悪ではないのではないかということである。ノブレス・オブリージュという格言がある。この格言の通り、自身が望めば容易に男性と結ばれることができるタイプの女性は「noblesse(貴族)」、身分の高い者であって、それに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務、つまり、結婚や子どもを産み育てるということをしなければならないと私は考えるのである。そもそも一般的に問題なく妊娠・出産できる18歳から34歳までの女性と同年代の男性との性的魅力値の平均は女性の方が高い。つまり、女性側から妥協しなければ結婚や出産は増えない。よって、女性に対して結婚や子どもを産み育てるということをするべきだという圧力をかけ、女性の自由を侵害することは必ずしも悪ではないと言えるのではないだろうか。

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