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良いお年を。

12月に入り、落ち着き始めた仕事も社長が急なやる気を出したことによって再び忙しくなった。突如湧いて出たやる気に恐らく全員が迷惑だと感じていたのだから、せめてそのやる気を捕まえてどこからやって来たのかくらいは聞けば良かった。
もっと会社を大きくしたいねって語り合った仲間たちのやる気はコロナの登場によって徐々に風化していき、やらなければいけないことをこなすだけで日は落ち登るを繰り返す日々。
「答えは風に吹かれている」同様、私たちのやる気も風に吹かれているはずなので、どなたか見かけたら一報下さい。
こんなはずじゃなかった12月。予定もちらほらと入れていて仕事終わりに慌てて飲みに行く日もあれば、鞄にパンツ一枚突っ込んで温泉にも行った。無重力という名のマッサージ器に乗ったら自分の肉がブルブルと震え、あんなに忙しかったのに太ってるぅ…と涙が頬を伝ったとか伝わなかったとか。
明け方にぱっちり目覚めて一人で行った露天風呂で氷点下の洗礼を受ける。真っ裸でヒィィと駆けた風呂までの距離よ。濛々と立ち上がる全湯気が渓谷に吸い込まれていくのが気持ち良くて生まれて初めて気体になりたいと思った。

果たして納められるのか?と不安に思っていた仕事も、これは休み明けでいいやと数パーセント新年に持ち越すことで何とか納まった。休み明けにその書類を見て何だこれ?と思うに決まっている。持ち越すのに納まったって何だろう。しかし納めた喜びでどうでもよくなってしこたま飲んだ。カラーの抜けきった髪に艶を与えてもらいに美容室に駆け込んで、担当美容師さんに要望を割と伝えた。昔はこんなに意見を言える子じゃなかったのに、要らんことまでペラペラ喋って気が付けば後1日で2023年が終わるらしかった。嘘でしょう。

締めのnoteを、と思っていたけど実際締めるとなるとどこを振り返ってもしょうもない私しか出てこない。
だから今回は私の好きな本の話をしたいと思う。
好きな作家、好きな本、挙げればキリがないのだけど、ここ十数年ずっと思い出す本があって、つい最近もふと思い出して手にとり、どうしてこんなにこの本を思い出すのかしら?って考えてみたら、この本がすごく好きなんだという当たり前のことにやっと気が付いたのでそれを紹介して今年を締めたいと思う。

陰日向に咲く 劇団ひとり

当時も話題になっていたので読んだ人も多いかもしれない、劇団ひとりの陰日向に咲く。5つの短編がつながりを持ち、ひとつの物語に出てきた登場人物が他の物語にも登場し、それが種明かしという仕掛けになっていたりする。伊坂幸太郎の作品でも登場人物が別の作品に登場することがあって読者はおっとなるのだけど、それよりももっと濃く、この一冊の中でそれぞれの物語がつながっている。
文体には特徴があるわけではなく、スラスラと読める。読み終えた時は面白かった以上の感想はなかったのだけど、どういう訳だか思い出しては手にとるを繰り返してきた。最近も無性に読みたくなってまた読んだ。決まって「拝啓、僕のアイドル様」という短編から読む。今回はどうしてこんなに思い出すのかと考えながら読み、一番好きなシーンでやっぱり心がうっとなって、わかった気がした。登場人物がみんな人間らしく生きているからなのかもしれない。

どの物語もお世辞にも器用とは言えない、不器用で見てられないって目をそむけたくなる人たちが、それが正しいとか間違ってるとかこちらがジャッジするなど野暮だと感じるひたむきさで藻掻いている。その様子が切なくて少しあたたかくて、文章から人間の体温を感じるんだと思った。
これから読む人にはネタバレになってしまうけど、私がうっとなると書いたシーンをあらすじから本文につなげて紹介させて下さい。
(知りたくない人は読むのをストップしてください)

ミャーコという咲き遅れてしまったアイドルを応援する主人公はミャーコが売れて自分から遠い存在になってくれることを心底願っている。
遠くに行ってしまって寂しいなんて思わない。それが真のファンだから。
稼いだお金は全てミャーコにつぎ込み、自分は食事も削って着るものも無頓着。ミャーコに送るファンレターはミャーコがいつかテレビに出たらきちんとコメントできるように時事ネタをわかりやすく書いた。
しかしミャーコのファンは一向に増えず、減る一方。
そんな中、ついにミャーコがゴールデンタイムの番組に出演することになった。待ちに待った放送日、ミャーコは「サラサラ血液 対 ドロドロ血液」のVTRの中でドロドロ血液のドロ子として赤の全身タイツで床を這いつくばっていた。
可愛いミャーコのそんな姿にショックを受ける主人公だったが、気を取り直して番組のホームページにアクセスし、掲示板に書き込みをする。
「ドロ子、最高です!」
無駄な努力に終わっても構わない。ひょっとしたら番組の関係者が見て再びテレビに出演できるかもしれない。掲示板への書き込みは徹夜作業になった。同じことを書き込んだって仕方がないので、あらゆる角度からたくさんのメッセージを書き込んだ。

「ドロ子ちゃんナイスでした。我が家の6歳の息子も大喜びドロ~(笑)」
「頑張れドロ子。サラ子をやっつけてドロ~」
「ドロ子さんてすごく可愛いですね、モデルの方ですか?」
「なぜか愛犬のチロちゃんも吠えなくなりました。ドロ子さんのお陰です」
「ドロ子グッズ販売してドロ~」
「お爺ちゃんが死に際にドロ子さんを見て笑っていました。笑顔でいけて良かったです」
「なくしたリモコンが見つかりました。ドロ子ありがとう」
「私は勉強もスポーツもできなくて、学校では周りから白い目で見られていました。それで不登校になり、母親にも迷惑かけたのですが、ドロ子さんを見て勇気が湧いてきました。明日から学校に行きます」
「ずっと不登校だった娘が部屋から出てきて私明日から学校行くねって言ったんです。ドロ子さん本当にありがとう」
などなど、気が付いたらすでに朝方で、百件以上も書き込んでいた。最後に一件、「ドロ子、大好き」と本当の書き込みがあって、それが泣きそうになるくらい嬉しかった。と、同時に自分の嘘に紛れ込んでしまったのが残念になって
「↑これだけは本当の書き込みです」と思わず書き込みそうになって、やめた。

陰日向に咲く 本文より

このシーンでいつも心がうっとなる。このバカげたひた向きさをバカにする自分にはなりたくないと思う。この物語には続きがあるけれど、このシーンを読む度、不器用でもまっすぐでありたいと思う。

一所懸命な人を笑わないでほしい。


長くなりましたが、noteという書ける空間と読んでくれる方がいたことに心から感謝します。
時間を割いて読んでくれて、コメントでやり取りさせていただいたこと、皆さんのnoteを読んで気づいたこと、感じたこと、笑ったこと、全てが私の一年に彩りを与えてくれました。ありがとうございます。
皆さま、良いお年を。


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