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何をおっしゃいますの村田さん。

今村夏子の「木になった亜沙」を読んだ。
読んだのはもう少し前になるのだけど、今村作品は好きで本になっているものは殆ど読んでいる。
私が思う今村作品は確信めいたことを一切言わない。
ただ起こった出来事を淡々と書き、その外側、側面、或いは漂う空気を読者に感じさせるものが多いように思う。
だから読んでいて心がざわざわとしたり、そんなことないようなところで悲しくなったり不安になったりさせられる。
この"させられる"という表現がすごくしっくりくる。
彼女は読者の心を揺さぶる文章を書くのが上手なのだろう。

「むらさきのスカートの女」を読んだ時はそういう風には感じなかった。
あぁ、トリッキーな作家さんが出てきたな好き好き、もう一冊読みたいと思って読んだのが「あひる」で、これには衝撃を受けた。

冒頭から泣きそうになって、結局は泣かないまま、何なんだろう、私はどうしたのだろうと本を閉じた。
逆に泣ければよかった、しかし泣けないのだ。
だって泣くような話ではないのだから。
あれは不思議な感覚だった。文章を纏う空気が妙で、何かが足りないような、何か忘れているような、ずっと大切にしてきたものをどこかに忘れて、忘れたことすら気付かなかった自分にがっかりする気持ちとか、悲しみがじわじわと浮かんでくる感じ。上手く言えないけどごめん、と謝ってすらしまいたい。
この感じは何だろう?だけどすごいものを読んでしまったとしばらく呆然として椅子から立てなかった。

この言葉にできない部分を言葉にしてくれたのが村田さん。
ここでやっと村田さんの登場だ。
村田紗耶香さん。コンビニ人間で芥川賞を受賞したといえば彼女と結びつく方も多いのかもしれない、が、私は全く村田さんの作品を通ってきていなかった。
(後半でこの事実を言って驚かれる前に、ここいらで暴露しておきます)

「木になった亜沙」の解説を書かれたのがこの村田紗耶香さんだった。
例えば私が出版社に頼まれて、今村夏子さんの解説を書くことになったとしよう。
嫌だなぁと思う、食い気味にお断りしますと言うかもしれない。
或いは何日も出来るのか私に、と自問自答し、悩むに違いない。
そのくらい今村さんてちょっと得体の知れない、だけど誰しもが知っていて封印している何かを書いている気がして、感じることはできてもちゃんと捉えて文章にまとめることなんてきっと出来ないって思う。

解説 村田 紗耶香 の頁を開いた時、上に書いたようなようなことを思った。 
それが読み始めると、今村夏子をこんなにもぴったりと言葉にして表現することが出来るのかと驚かされた。
今村作品を読んで自分が感じていたけど辿り着けないままの感情に村田沙耶香さんが答えをくれた。
共感しすぎて、もう、もう「村田さん!」と口から出てしまった。
渾身の「村田さん!」だった。
こんなに全身の力を使って村田さんと叫ぶのは人生、後にも先にもこの一回だけだと思う。

文中で村田さんはこう書かれている。

この「解説」という、本の後ろのほうに設置された奇妙な場所に、この特別な作品の著者ではない人間が作者の物語の概要を書き記すことは無粋なことだと感じる。

木になった亜沙 解説 村田紗耶香

何をおっしゃいますの村田さん。
私はずっと引っかかっていたのに形に出来なかった気持ちを村田さんに教えてもらったのだ。
村田作品に触れてこなかったけれど、この「木になった亜沙」の解説は今村作品を汲み取りながらも聡明で美しい。
こんなにきちんと文章に今村夏子を落とし込める人っているんだって、解説を読んで初めて感動していた。

その文章を少しだけ紹介させて下さい。

「木になった亜沙」が雑誌に掲載されたとき、初読した私を衝撃と安堵が包んだ。それは私にとって馴染みのある、いつもそばにあった、懐かしい未知だった。「不思議な物語」と形容して終わらせることができない、身近で切実な感触だった。名前のない記憶が疼き、体の中で咲き始め、今まで「見えていた」光景が裏返しになっていき、無意識が知覚していた世界が声を上げ始める。
私にとってはそういう意味を持った特殊な物語だった。

三つの物語は、静かに世界を見つめ続けていた、脳の外、人間の外、情報の外の眼差しがとらえている光景を、はっきりと読み手に意識させる。
だから、未知で不思議な物語であっても、同時に、その光景はいつも懐かしい。ただ奇妙なのではない、そうした普遍性を、これらの物語は携えている。だから、多くの人たちにとって、著者の物語は特別な奇跡になりうるのだと感じている。

木になった亜沙 解説 村田紗耶香

懐かしい未知、という表現が特に好きだ。
私が今村さんだったらこんな風に解説されたらとても嬉しくて光栄だ。
だからきっと今村さんだって嬉しかったんじゃないかな。
今すぐに村田作品を読み漁ろうとは思わない。
私が予感している文章ではなかったとしても、受け入れる準備が欲しいから。
けれど、美しい答え、というものを見せつけてくれたこの解説を何度も何度も、なぞるように私は読むのだと思う。


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