#7 ―うつ病みのうつ闇ー DVという支配とコントロール…誤解と偏見

誰かにDV・虐待被害を訴えようものなら、更なる危険にさらされる。100%安全が確保されていなければ、何十倍にもなって報復される。そんな状況になると、逃げることや助けを求めることが難しくなる。

DVや虐待という支配とコントロールには、洗脳が伴(ともな)う。たとえ一時的に体が自由になっても、心が完全に縛り付けられてしまうので、どんなに理不尽な言い分からも、また捕食者から物理的に逃げ出すことも、困難な状況に置かれてしまう。

心身の暴力や脅しを受けた人が、加害者が外出したからといって、そこから逃げるのがどんなに難しいか…ドアから出て外で鉢合わせしたら…逃げられたとしても、その後見つけ出されたら…どんな目に合うかという恐怖を植え付けられている。

またその洗脳によって、自分は捕食者なしでは生きられない人間だと思い込まされたり、実際、捕食者の戦略にかかってしまい、家族や友人と縁を切るよう仕向けられ、社会的に孤立させられている場合も多い。

周囲は変わっていく被害者の言動が理解できず、苛立(いらだ)ったり、呆(あき)れたりして距離を置くようになる。捕食者にとって、冷静な第三者は自分の獲物を取り上げる敵であり、巧(たく)みに両者に不信感を植え付け、切り離そうとする。

そうして被害者はじわじわと、精神的にも物理的にも逃げ場がない、逃げることそのものが怖い、逃げるなんてとうてい考えられないという状況に置かれてしまう。だが、周囲はそれを理解できないし、残念ながら想像することすらできない。


さらに厄介(やっかい)なことに、捕食者は外部の人には人当りがよく、仕事もできたりするので、周囲はその残忍(ざんにん)さには気づかないことも多い。

それどころか、捕食者の巧妙な戦略にまんまと乗せられて、彼を擁護(ようご)したり、被害者を非難したりして、ますます事態を悪化させてしまうことさえある。『あなたが努力したら、相手は変わるはずよ』などという言葉がいい例だ。

また加害者の要求は気分次第で、被害者には実現不可能…というより、そもそも支配とコントロールが目的で、虐待という暴力をその手段として使うので、要求に応えるかどうかは、実はそれらを防ぐことには繋がらない。

被害者がどんなに言動に注意して要求に応えても、加害者が満足することはなく徒労(とろう)に終わる。こんなこと、お互いが歩み寄る対等な関係を持つことが当たり前の、虐待しない人には理解不能だ。

逃げればいいとか、やり返せばいい、言うことを聴く必要はない、あなたが変われば相手も変わる…なんて、何もわかっていない人間の無責任な言い分だ。それはお互いが対等な人間関係の場合にしか、通用しないのだから。当てにならない『専門家』や『知ったかぶりのおせっかい』に、どれだけの人が傷つけられていることか。
 

私もあまりに辛くなり、一度だけ《DV相談窓口》なるものに電話をしたことがある。電話口に出た年配の相談員の女性は、相手が配偶者でないというだけで「部屋の鍵を返してもらえばいいじゃないですか」と、イライラしたバカにしたような調子で言い放った。

氷のように冷たいその態度に、話す気力を奪われ『ああ、誰かに話しても無駄なんだ。きっと私がおかしいんだ…』と思って、電話を切った。当然、部屋の鍵を返せなどと言えるはずもない。そんなことをすれば、大変な報復が待っているとわかっているからだ。

まだ洗脳も解けていない私は、その後誰にも相談することはなく、更に数年捕食者の虐待に耐えなければならなかった。

洗脳が解けた後このことを思い出して、ますます『専門家』が信用できなくなった。あの時適切なアドバイスがあれば、少しでも早く救われたかもしれないのに。現在はデートDVなども知られるようになり、その当時とは対応が変わっているかもしれないが、とにかく中途半端な『専門家』が一番たちが悪い。

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