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人の人たる所以(下)

 万葉集の歌人の中で大伴家持(おおとものやかもち)は人一倍コミュニケーションにこだわっていたように私には思われます。私たちはここで、我が国の心のふるさとともいうべき万葉の世界からのメッセージに耳を傾けてみましょう。
 前述の歌に詠まれている細石がそうであるように、シンボルは多くの歌において、良きシンボルとして歌われている。“このシンボルはシンボルとして適切ではないよ”、という立場から詠まれている例を万葉集の中に見出すことは本当に難しいことです。しかし、万葉を代表する歌人、そして万葉の歌人の中でコミュニケーションの問題に、恐らくは最も大きな関心を寄せていたに違いない大伴家持の歌に、このような珍しい歌の例を見出すことができるでしょう。

“百千たび 恋ふといふとも 諸弟(もろと)らが
       練りの言羽は 我れは頼まじ”

(巻4・774)

 この歌では坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)の愛の想いが、諸弟らの言羽(言葉)によって、いかに飾られて家持に伝えられても、それが伝言である限り、実体“愛”に対する良きシンボルとしては認めがたいことを家持は主張しています。
 
 注目すべきことにこの歌ではシンボルとしての“練りの言羽”を良くないシンボルとして位置づけており、万葉集の中でも非常に珍しい歌の例といえるでしょう。
 しかし、もちろん、彼は様々なシンボルを良きシンボルとして歌っています。読者の興味のため、これらの一部を次表に紹介しましょう。

(表)家持の歌に見られるシンボルと実体

(注)家持の詠んだ番号400台の歌、30首に限っても、1/4に近い歌の中で良きシンボルを登場させていることは、非常に注目されるでしょう。家持をこのような意味でのシンボルを多用した歌人として位置づけることもできるのかなと考えています。

 ところで、この歌に使われている“言羽”が“言葉”に改められたのは平安中期の桂本によりますが、言葉は散り落ちる葉っぱではなく時空を越えて人の世に羽ばたきつづけるものと家持は考えていたのではないでしょうか。

 万葉集に、次のような歌が2首詠まれています。

“妹が見し 楝(あふち)の花は 散りぬべし
       我が泣く涙 いまだ干(ひ)なくに”

(巻5・798) 山上憶良

“妹が見し やどに花咲き 時は経ぬ
       我が泣く涙 いまだ干なくに”

(巻3・469) 大伴家持

 山上憶良の歌は728年ごろの作で、大伴家持の歌はほぼ20年後の746年ごろの作とされています。事情を知らずに読めば、31文字中19文字、すなわち6割強がぴったりと一致していることに現代を生きる私たちは驚き、著作権侵害と考えるでしょう。しかし、実はこれは「追和」と呼ばれる歌の形式です。日本国語大辞典[1]によれば、追和とは、

“前人をしのぶ、あるいは志を継承するという意味で、その歌や詩にならって歌を詠むこと…”

 と説明があります。なお、山上憶良の歌にある楝とは、栴檀(せんだん)のことです。5月頃薄紫色の花を咲かせる落葉高木。材としての香りの良さから“栴檀は双葉より芳(かんば)し”と言いますよね。

 心の底から尊敬してやまない先人、憶良の詠んだ歌に、美しい旋律が山々にいつまでもこだましていくように、いくつかの類歌が時を超えて後世に伝えられていく……。語り継ぐという当時の口承の世界を背景とするとても美しい詩歌の世界ではないでしょうか。

 大伴家持は先人の歌を追和し、口承が中心の当時の文学の世界の中で、歌の心が途絶えることなく永遠に語り継がれることを人一倍強く望んだことでしょう。

 21 世紀、無尽蔵のシンボル(0,1の2元シンボル)をいわば乗り物にして“ことば”は、時に人類の脳を経ることすらなく発達し、情報ネットワーク内に永遠に飛翔し続けるでしょう。将来の情報ネットワーク、すなわち近未来の“人の世界”に“美しきことば”が永遠に羽ばたき続けることを祈りたいものです。

参考文献
 [1] 日本国語大辞典, 小学館, 1981.

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