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「ねじまき鳥クロニクル」頑固な愛、多様な価値観。

Audibleでオーディオブック化されたため、久しぶりに通しで読了。
と言っても、出かけるときに持ち出して、空いた時間に断片的に読むようなことを何年も続けていた結果、この作品(に限らず、村上作品全体)が自分の人生や価値観を形づくってしまったようだ。

それでも特に、村上春樹の作品のなかでは、この作品の主人公に一番シンパシーを感じているかもしれない。何となくボンヤリしていて決定的な発言ができない(何に対しても「確かに、そういう考え方もあるかもしれない」と考えてしまうような)、なんとなく、その場の状況に流されていってしまうけど、頑固で譲れない部分はある、というような。夏目漱石の『三四郎』やカフカの『城』の主人公にも通じた雰囲気がある。
そして、現代社会では、そんなのんびりした態度は、(だいたいは女の人に)「ハッキリしてください!」「早く決めてください!」みたいに怒られる結果になる。

この作品と『ダンス・ダンス・ダンス』は、夏になると病院の待合室で読みたくなる。いなくなった猫を路地裏に探しに行って笠原メイに会うシーンや、平日の午前中にクリーニング屋に行くシーン、新宿で何日も何日も人間観察をして過ごすような場面に、ニート的、夏休み的な、膨大に時間を余らせていることへの憧れのような気持ちが湧いてくる。

一方で、読み終えてしばらく経ってからも、ふと思い出してしまうような印象的な場面がある。皮剥ぎボリスや、新宿で手品師を追いかけてバットでボコボコにするシーン、動物園で動物達を次々に殺していくシーンなど、いずれも衝撃的で暴力的な場面だが、脳裏に焼き付いてしまっているためか、ふとした瞬間に思い出してしまう。

もう一方では、本田さんや、加納マルタ、ナツメグ、シナモンなど、癖の強い登場人物が自分の頭のなかに確固として存在として居座ってしまっていて、日常生活でも自分の他者に対する価値観の幅を大きく広げていることに気づく。物語の展開や、結末みたいなことではなく、この作品の細部が血肉になり自分を形づくってしまっているようだ。図らずも。

主人公が奥さんを探し続ける。取り戻すことを絶対に諦めない。村上作品の中でもかなり頑固で一生懸命な奥さんへの愛がある。自分だったらメールで「別れたい」と言われたら諦めてしまうかもしれない。どうだろう。実際その状況になってみないと分からないが。でも、「やっぱり実際に顔を突き合わせて話し合うまでは別れられない」と頑張る。頑固だ。そんな一貫した強い愛が状況を変えていくことになるし、やっぱり奥さんを精神的に繋ぎ止めていくことになる。なんだか勇気をもらえる。


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