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「代表的日本人」日本人らしいとは、どういうことか。

西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人。
5人の生き方、思想を通して「日本人とは、どんな価値観、文化を持った民族なのか」について、出版された当時の『武士道』『茶の本』などと合わせて、英語で書かれ、海外で出版、紹介された本。
そのため、上杉鷹山、中江藤樹などは「日本より海外での知名度のほうが高いのではないか」というような話しを何処かで聞いたこともある。

『西郷隆盛』
幕末の歴史。倒幕。朝鮮征伐。西南戦争。あたりの歴史的な内容も含む。

やっぱり陽明学を学んでいる。吉田松陰と同じく、この時代の人で陽明学から影響を受けている人は多い。

【西郷は人間の知恵を嫌い、すべての知恵は、人の心と志の誠によって得られると見ました。心が清く志が高ければ、たとえ議場でも戦場でも、必要に応じて道は手近に得られるのです。常に策動を図るものは、危機が迫るとき無策です。】
陽明学にある「知行合一」「至誠」の考え方。

文明開化への批判。
【「文明とは正義のひろく行われることである、豪壮な邸宅、衣服の華美、外観の壮麗ではない」】
ちょっと固いか。

【日本の陸軍大将、近衛都督、閣僚の中での最有力者でありながら、西郷の外見は、ごく普通の兵士と変わりませんでした。西郷の月収が数百円であったころ、必要とする分は十五円でたり、残りは困っている友人なら誰にでも与えられました。東京の番町の住居はみすぼらしい建物で、一か月の家賃は三円であったのです】
質素、倹約。

【西郷は口論を嫌ったので、できるだけ、それを避けていました。あるとき宮中の宴会に招かれ、いつもの平服で現れました。退出しようとしましたが、入り口で脱いだ下駄が見つかりませんでした。そのことで、誰にも迷惑をかけたくなかったので、はだしのまま、しかも小雨の中を歩きだしました。城門に差し掛かると、門衛に呼び止められ、身分を尋ねられました。普段着のまま現れたので怪しい人物とされたのでした。「西郷大将」と答えました。しかし門衛は、その言葉を信用せず門の通過を許しません。そのため西郷は、雨の中をその場に立ち尽くしたまま、誰か自分のことを門衛に証明してくれる者が出現するのを待っていました。やがて岩倉大臣を乗せた馬車が近づいてきました。ようやくはだしの男が大将であると判明、その馬車に乗って去ることができました。】
自我に執着していない。自分の身分に執着していないから怒らない。

【西郷は人の平穏な暮らしを、決してかき乱そうとはしませんでした。人の家を訪問することはよくありましたが、中の方へ声をかけようとはせず、その入り口に立ったままで、誰かが偶然出てきて、自分を見つけくれるまで待っているのでした!】
これは、さすがに、、静かに声かけてもいいんじゃないか。

【不誠実とその肥大児である利己心は、人生の失敗の大きな理由であります。
「人の成功は自分に克つにあり、失敗は自分を愛するにある。八分どおり成功していながら、残り二分のところで失敗する人が多いのはなぜか。それは成功がみえるとともに自己愛が生じ、つつしみが消え、楽を望み、仕事を厭うから、失敗するのである」】
ストイック。個人的には「精一杯やりますけど、結果はどうなるか分かりません」くらいの感じでやっていかないと精神的にキツイと思うが。


『上杉鷹山』
節約家。
【鷹山が、米沢藩の世継ぎとなったとき、まだ十七歳の少年でありました。九州の小大名である秋月家に生まれた鷹山は、自分の家より格が高く所領も大きな、上杉家の養子になったのでした。】
【藩の総力をあげても五両の金を工面できない状態が、たびたびありました。これを聞けば、藩全体のおちいっていた深刻さが、よくわかるでしょう。】
【当然、財政は最初に解決を迫られる問題でした。少しでも秩序と信用を回復するには、極度の倹約しかありません。】
【奥向きの女中は、それまで五十人いたのを九人に減らし、自分の着物は木綿に限り、食事は一汁一菜を越えないようにしました。家来たちも同じく倹約をしなければなりませんが、それは、鷹山自身とは比較にならない程度の倹約でありました。それにより実現した貯金は、積もった藩の負債の返済に廻されることになりました。このような状態を十六年間も続けることにより、どうにか重い債務から脱することができるのであります!】

公助と共助。
【伍十組合と五ヵ村組合を設ける】
【もしも年老いて子のないもの、幼くて親のない者、貧しくて養子の取れない者、配偶者を亡くした者、身体が不自由で自活のできない者、病気で暮らしの成り立たない者、死んだのに埋葬できない者、火事にあい雨露をしのぐことができなくなった者、あるいは他の災難で家族が困っているもの、このような頼りのない者は、五人組が引き受けて身内として世話をしなければならない。五人組の力が足りない場合には、十人組が力を貸し与えなくてはならない。もしも、それでも足りない場合には、村で困難を取り除き、暮らしの成り立つようにすべきである。】
まだ社会保障制度がない時代。近所づきあい的な距離感が近くて大変なこともあるだろうけど、一人じゃないという安心感はあるかもしれない。年金、老後に2000万円貯めなきゃ、みたいなことも考えなくても良い時代。それでも、現代に比べたら相対的に貧しい暮らしなのだろうが。


『二宮尊徳』
二宮金次郎。
【十六歳の時、尊徳と二人の弟は親を亡くしました。親族会議の結果、あわれにも一家は引き離されて、長男の尊徳は、父方の伯父の世話を受けることになりました。】

【孔子の『大学』を一冊入手、一日の全仕事を終えた後の深夜に、その古典の勉強に熱心につとめました。】
やっぱり儒教。大学か。

【ところが、やがて、その勉強は伯父に見つかりました。伯父は、自分には何の役にも立たず、若者自身にも実際に役立つとは思われない勉強のために、貴重な灯油を使うとは何事か、とこっぴどく叱りました。尊徳は、伯父の怒るのはもっともと考えて、自分の油で明かりを燃やせるようになるまで、勉強をあきらめました。】
【こうして翌春、尊徳は、川岸のわずかな空き地を開墾して、アブラナの種を蒔き、休日をあげて自分の作物の栽培にいそしみました。一年が過ぎ、大きな袋いっぱいの菜種を手にしました。】【この菜種を近くの油屋へ持参し、油数升と交換しました。】
【伯父からは、誉め言葉があるのではないかと、少しは期待した面もありました。しかし、違った!伯父は、俺が面倒を見てやっているのだから、お前の時間は俺のものだ、お前たちを読書のような無駄なことに従わせる余裕はない、と言いました。尊徳は、今度も伯父の言うことは当然だお思いました。】
【それ以降、尊徳の勉強は、伯父の家のために、毎日、干し草や薪を取りに山に行く往復の道でなされました。】
偉い!というか、尊徳かわいそう。伯父さん、尊徳をほとんど奴隷のように扱っていたのね。だから、二宮金次郎の銅像は薪を背負っているんだ。そして、尊徳、大学に相当ハマったんだな。


『中江藤樹』
村の先生。
【私どもは、学校を知的修練の場とは決して考えなかった。修練を積めば生活費が稼げるようになるとの目的で、学校に行かされたのではなく、真の人間になるためだった。】
資本主義、功利主義、新自由主義的な発想じゃない。人間としての教養を身につけるための学校教育。

【さらに私どもは、同時に多くの異なる科目を教えられることはなかった。私どもの頭脳が二葉しかないことには変わりなく、沢山はないのである。昔の教師は、わずかな年月に全知識を詰め込んではならないと考えていたのである。】
まあ、受験とかもないからな。本来の意味で狭く深く、のびのび勉強を楽しめる環境だったのかもしれない。羨ましい。

【十一歳のときに早くも孔子の『大学』によって、将来の全生涯を決める大志を立てました。】
やっぱり『大学』かい!

【『大学』には、次のように書かれていました。
天子から庶民にいたるまで、人の第一の目的とすべきは生活を正すことにある。】
まずは一日一日の生活をしっかり誠実に送ることが大事。

【藤樹の学問上の歩みは、明らかに二期に分けられます。第一は、その国の同時代の人と同じく、保守的な朱子学のなかで育てられた時期です。朱子学により、藤樹は、何よりも自己自身の内部への不断の探求を求められました。この神経の細い若者が、自分自身の内部の欠点と弱点とを、絶えず反省した結果、神経過敏をつのらせてしまったことは容易にわかります。】
【もしも藤樹が進歩的な中国人王陽明の著作に出会うことで新しい希望を抱くことがなかったとしたら、どうなったでしょうか。悲観的な朱子学の圧迫のもとで、もともと消極的な藤樹のような人物に多くみられたように、不健全な隠遁生活に追い込まれていたことでありましょう。】
【陽明学の形をとった中国文化のおかげで、私どもは、内気で、臆病で、保守的、退歩的な国民になることはなかったのだと考えます。】
やっぱり陽明学。もともとの国民性としては内気で臆病な性格ではあると思うけど、この時代の多くの人たちが陽明学から勇気をもらっていたんだな。2022年現在は、日本は何となく朱子学よりな方向に向かっている気がするが。

【徳を持つことを望むなら、毎日善をしなければならない。一善すると一悪が去る。日々善をなせば、日々悪は去る。昼が長くなれば夜が短くなるように、善をつとめるならばすべての悪は消え去る。】
一日一善。


『日蓮上人』
日蓮宗。法華経。南無妙法蓮華経。千葉出身。

【人間の宗教は、人生の人間自身による解釈であります。人生に何らかの解釈を与えることは、この戦いの世に安心して生活するためには、ぜひとも必要なものなのです。】
哲学と一緒。自分なりの人生の解釈を自分で見つける。

【蓮長(日蓮)が仏教の基本的知識の習得に没頭している最中、いくつかの解決を迫られる問題が生じました。そのなかで、もっとも明らかな課題は、仏教に無数の教派の存在する問題でした。】
原始仏教、小乗仏教的。玄奘、三蔵法師的。

【私どもの主人公が、そこに示された順序を受け入れて、法華経に、仏教信仰の基準と、仏教内にある多くの矛盾した見方を、まるごと単純明快に説明する言葉を見つけた】
とにかく法華経にドはまり。

【預言者故郷にいられず】
故郷で「法華経しか救われる道はありません」的な説法したところ、大バッシングに合う。
街道で辻説法をしていて攻撃される。佐渡ヶ島に流罪にされる。
などなど、長く逆境の人生を歩む。

『まとめ』
日本人の価値観、美徳、日本人らしさとは。謙虚。倹約。ぶれない。真面目。
作中にも『大学』『陽明学』が何度となく出てくるように、この時代の道徳観、価値観が儒教をベースにしていることがよくわかる。やっぱり日本人には儒教が響くんだろうな。でも、孔子は中国人だからな。。別に関係ないのか。この時代に儒教が流行っただけなのかもしれない。
逆に言うと、弥生時代~室町時代くらいの日本人の国民性について書かれた書物なんて、この時代にはなかっただろうから(日本書紀はもうあったか)、本から得られる知識にも限りがあったのだろう。儒教的じゃない日本人の国民性は、もっと曖昧で、緩いものだったと思えるけど。
でも、この儒教的な価値観が、現代まで日本人のしきたりや、倫理観、「そんなことすると、バチが当たるよ!」「親の言うこと、先輩の言うことは聞きなさい!」みたいな、『家訓』とか『人生訓』みたいなことに大きな影響を与えているんだと思う。

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