自分史(2001~2003)音楽専門学校時代の話し①

田舎の進学校に通っていた私は、音楽に目覚めて勘違いした結果、プロのドラマーになるべく東京の音楽専門学校に行くことにした。

当時の私の情報源としては、リットーミュージックの「月刊ドラムマガジン」が、ほぼ全てだったと言って良い。その雑誌で音楽専門学校を特集する号があり、それを見て「専門学校に行く」という思考が形成されたのだと思う(今考えると、将来を決定するための情報の狭さに驚愕です)。

高校の同級生は、だいたいが大学へ進学するのだが、高校3年生の夏休みに専門学校の体験入学に参加した私は、その流れで一人で専門学校の入学を決めてきてしまった(親にも相談せず)。入学金や授業料は新聞配達をして賄うという「新聞奨学生制度」というものを利用することになるが、どこでその制度のことを知り、どのタイミングで新聞配達をしようと決めたのか、今となってはまったく思い出せない。おそらく、無知な田舎者を専門学校に入学させるための一連のビジネスモデルがそこで営まれていたのだろう。
田舎から体験入学に来る→「もう入学の手続きをしちゃいましょう」と勧める→「入学金や授業料は新聞配達をすれば払えますよ」と新聞奨学生制度を勧める、という仕組み。
脳内に肯定的なバラ色の将来像しか持ち合わせていない田舎者は、そんなわけで高校3年生の夏休みに専門学校への入学を決めてしまいました。ちなみに新聞配達の寮には同じようなルートで全国各地から集まった若者が10人以上いましたね(^^;

あ、なんか思ってたより長くなりそう…。

②へ続く。

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