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本能を抑制しながら付き合えるか──『スマホ脳』読書感想文

人類はこれまで環境に適応して進化し、生き延びてきた。
適応してきた環境とは、人類が誕生して以降20万年の大半にわたって生活してきた下記のようなものだ。
少人数の集団の中で一生を過ごし、出会う相手は多くても千人程度。人口の半分は十歳を迎えずになくなり、一般的な死因は飢餓、伝染病、他殺。住居は簡素で、常に周囲の危険を確認していなければならない。

このような環境に適応した人間の本能は、しかしここ数百年の環境の変化があまりにも劇的に変化したために現代を生きるには不都合が生じているという。

少し前までは、危険が少ない時に目の前に食べ物があれば、ありったけ食べておくことが一生物として生き残る正しい道だった。
しかし、安全にいくらでも食料が手に入る生活を送ることができる現代においては、その本能のためにたくさんの人間が病気にかかる。

少し前までは、危険を感じたら「逃走か闘争か」を素早く判断する必要があった。それを可能にさせるのが人間がストレスを感じるシステムだ。
しかし、ライオンに日常的に遭遇する危険のない現代においては、そのシステムが「小さく長く」作動し続け、ストレスの原因が頭から離れず、それ以外が手につかないという事態を引き起こす。

そういう、長い間培われ、現代において不向きになっている本能を持って私たちは生きている。

そして、スマホはその本能(特に“報酬系システム”)をうまく利用して私たちを虜にする「ドラッグ」のようなものだと著者はいう。


本能は脳の酷使を忌避する

現代は、大量の情報に常に脳が晒され、マルチタスクになりやすい環境である。

けれど本来的に脳は“省エネ”を選択するものなのだと著者はいう。
子どもは成長のため、大人は不測の事態に対応するため、すべては優先順位の高いものにエネルギーを回し、生き延びるためだ。

しかし、いつでも情報を自分とは別な脳みそから引き出せるデジタル時代においては、その仕組みはどういう結果をもたらすだろう?
私たちの脳は、エネルギーを消費してまでわざわざ自分の中に情報を蓄積しておこうと思うのだろうか?

本書を読んで、私が一番「ああなるほど」と思った箇所が下記だ。

何かを学ぶ、つまり新しい記憶を作るとき、脳の細胞間の繋がりに変化が起きる。短期記憶を作るには、脳は既存の細胞間の繋がりを強化するだけでいい。だが数カ月、数年、あるいは一生残るような長期記憶を作ろうとすると、プロセスが複雑になる。脳細胞間に新しい繋がりを作らなければいけないのだ。記憶を維持し長く保たれるようにするためには、新たなタンバク質を合成しなければいけない。
だが、新しいタンバク質だけでは足りない。記憶の長期保存には、新しくできた繋がりを強化するために、そこを通る信号を何度も出さなければいけない。この作業は脳にとって大仕事な上に、エネルギーも必要になる。新しい長期記憶を作ること──専門用語では固定化と呼ぶのだが──は、脳が最もエネルギーを必要とする作業だ。

p.99

スマホから得る情報の大半は、効率的に情報を手に入れているようであっても実は長期的な記憶の定着には繋がらない表層的な情報に留まっているという。本能的にエネルギーを消費し疲れる事柄を忌避する私たちが、楽な情報収集に流れるのは当然と言えるのではないだろうか。

そして最悪なことに、その表層的な情報を手に入れる時間と手段が、私たちの集中や睡眠を阻害し、さらに長期記憶の定着を阻んでいるという。

スティーブ・ジョブズはコンピューターを「脳の自転車」みたいなものだと称した。思考を早くするための道具だ。私たちの代わりに考えてくれる「脳のタクシー運転手」と呼ぶほうが正確かもしれない。確かに快適だが、新しいことを学ぶのを誰かに任せてしまいたいだろうか?

p.105

スウェーデンの精神科医である著者は、最近の患者の傾向から、人々がスマホに取り憑かれている事態に警鐘を鳴らす。

実際、私たちは毎日漫然とスマホをながめ、人生の数年をSNSに費やす。
結果、眠れなくなり、体調不良になり、精神的にも満たされない日々を送る。「ダメだなあ」「バカだなあ」と自覚しつつ、抜けられない。
まさにドラッグだ。

ではどうすれば??

このドラッグから抜け出す術はあるのか。
わりと効くなあと思うのが、他の人との約束を入れてリアルな生活時間を増やすという手だ。

本書でおすすめされているのは運動だが、
私の場合は、家事・育児をやや丁寧にやること、本を読むこと、人と会うことだ。
家事・育児関係のことは、子どもと約束したら反故にはできない。だから口に出して「〇〇する」と言っておく。
(読書は好きだから放っておいてもやっている)
人と会う約束は、ちょっと面倒でも入れておく。行くまでは億劫でも行ったら楽しいという成功体験の蓄積になる。

これらの行為は、SNSのように確実性や即効的な快楽性はない。ただし、多少無計画でもきちんと継続すると必ず効果が見えてくる。
逆にSNSは、無計画な長時間の使用を継続すればするほど充実感や達成感からは遠のく気がする。

SNSをやるなら、目的を明確にするのも良い。
私の場合は、自己肯定感が最低だった時は、肯定感を上げてくれる場所として役立ったし、このnoteは自分の考えをまとめることと、欲しい知識を得ること(本に出会うこと)が一番。それを達成するために利用するし、期待する効果が得られなければ止めるし、それ以外は求めないと決める。

あと単純に。
何かにへこんだらスマホを見るのではなく、まずは身近な人とバカな話をしてみるといい。こんなくだらない話に時間を費やしてもったいない……と、一瞬頭によぎるかもしれない。
でも、どんな内容であっても、人と話すことってやっぱり大事だなと実感するのではないかと思う。

家族とだって自分が思っているほど会話していない。
スマホ見てるなら、他者ととにかく話す。一緒にいてみる。
リアルな生活が一番楽しいと実感する。
案外そうするだけで生活が充実し、スマホの利用時間は自然と減っていく。


なんのためにスマホ(SNS)を使っているのか。
楽しんでいる気になって、スマホやゲームに操られていないか。

本能ですらコントロールしなければいけない時代に生きる私たちは、時折スクリーンタイムをチェックしながら、常に自分に問いかけ続けなければいけない。


UnsplashAndrew Guanが撮影した写真

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