南京事件の時、南京に駐在していたドイツ人の商社員であり、南京事件中の通称「安全区」の責任者であったジョン・ラーべ氏の手記をもとにした書籍。
この事件に関する南京の被害・犠牲者はさまざまな説がある。
中国側・日本側の言い分は、被害者・加害者としての当事者であるという背景を多分に含んでおり、事実が歪められているという印象を受けるものが数多くある中、いわゆる当事者でない第三者として現場を経験したラーベ氏の手記は、彼が目にした範囲の物事は少なくとも確実に起こっていたと多くの人に知らしめる非常に貴重な資料だと思う。
以前に読書した『夜と霧』と同じくらい、非常事態時の人間の本質について考えさせられる本でもあった。
ラーベ氏の人格
この本の日本語訳でも問題になったとされる「南京のシンドラー」という称号から、後世にはラーべという人物を英雄のように扱う向きもある。
彼の行ったことは、人間として賞賛されるべき行為であることは間違いない。自分の命も危ぶまれる中で他者のために尽くし寄り添うことは誰にでもできることではないし、結果として20万人以上の人の命を救った彼の行動は「英雄」というにふさわしいと思う。
しかし手記から見える彼の姿は、何かを成し遂げようとかいう大志だとか野望だとかにはとにかく無縁だった。目の前で起こる悲劇をなんとか解決しようと必死に手を尽くした結果、たくさんの人の命が救われたが、その事実を彼が手柄として誇ったりすることはついになかった。
彼はただただ謙虚で、公平で、実直で、誠実で、情に厚い──そういう人だったのだろうと思う。
日本軍が南京を攻略する直前、南京に残るという決断をしたラーべ氏の手記にはこのように書かれる。
立場のあるものとして振る舞いたい、人を裏切りたくない、でも今の状況にたくさんの不満はある。正直な彼の気持ちが、ストレートに伝わってくる。
こういう文章を書く人なのだ。
1937年当時の手記からは、生粋のナチ党員としてのラーべ氏の姿勢が垣間見える。それは(特にその時点では)彼が純粋にヒトラーを「虐げられる労働者を救う存在」だと信じているからに他ならず、それ以上でもそれ以下でもない。
ラーべ氏は周囲から評価される有能なビジネスマンであり、人の心理を理解し、立場や状況を判断して動ける人であった。ただそれ以上に、彼は目の前の人間を愛し、目の前の人間を信じたいと思う、心から優しい人だったのだと思う。
そして、虐げられる存在を救いたいと願い、それを自分の心に照らして実行にうつす人であった。
南京の真実
この手記を読んだら、南京での残虐な行為が「なかった」とは到底思えない。
日夜問わず、強姦を目的に自邸の中にまで入り込んでくる日本兵。安全区から理由をつけては一般人が逮捕され引き出されてどこかで殺される。安全区の中でさえ毎日がこのような様子なのに、ましてやその外は、だ。
狂っているとしか思えないし、実際に同じ日本人からしても「あまりに恥ずかしい行為」だと受け止められていたにも関わらず、中国人への狂った行為は止まなかった。
手記の中には、兵士の暴走を止められないもしくは見て見ぬ振りをする日本大使館や軍部への憤りなどが見え隠れする。
正しいこととは何か
ラーべ氏のドイツ帰国後・戦後の生活は、彼が成したこと・彼が信じたことの見返りとしてはあまりにも酷なものだったといえる。
そういう時代だったと片付けていいものなのか。ラーべ氏が本当に何を望んでいたかはもちろんわからないが、善は必ず報われるということではない。
編者のエルヴィン・ヴィッケルト氏は「ヒトラーとラーべ」の章でこう述べる。
すべてが明るみに出なくても、起こった事実は事実だ。
一番大切なのは、この手記を読んだ私たち自身が今後どのように振る舞うかなのだろう。
このような事態に直面した時に、加害者に加担せず、なるべく事態を好転させるような振る舞いができるだろうか。
「できる」と胸を張って言えない自分がいる。そんな自分の不甲斐なさが悲しい。だから悲劇は繰り返されるのだ、と。その片棒を担ぐのは、自分自身かもしれないと。
少なくともその弱さを自覚しておこうと思う。