生きてるうちに
「どの時間も悔いなく過ごす」
「当たり前にあることを慈しむ」
先日、お母様を亡くされた方の言葉。
「まだまだできたことがあったのではないか」
という悔い。
お母様の介護なさっていることをお話を
以前から伺っていたこともあり、
訃報に、胸を痛め、
冒頭の言葉が重く、重く、身に染みます。
親、のことを考えていたおりに
たまたま流れてきたこの記事に、
子どもと過ごせる時間は
そんなに少ないんだ、とびっくり。
たしかに、わかる気がする。
自分が「子」だった時分を思い出すと、
小学生のころが「ピーク」。
だし、
あの頃に過ごした親との時間、家族の時間は
今の自分の色んなところで。
いや、「ほぼすべて」と言っても過言ではない
価値観や考え方や行動のベースになっている。
ことに気づく。
影響がでかい。
「小学校卒業時には55%」が過ぎている
というのも、ともに過ごした時間以上に
その「内面への影響度」は大きそうだ。
そもそも、
「孝行」ってなんだろと調べてみたんですね。
「親孝行」っていうから、
てっきり2のことが基本形なのかと思ってたら
「孝行」っていう言葉はそもそも、
「親に孝行する」
って意味なんですね。
だとすると、子どもと過ごす時間を
大切にしようと思ったときに、
「子孝行」
とでもいうのか。
親として、子を大切にすること。
子どもとの時間を大切にすること。
生きているうちに、悔いなく子に接すること。
子との当たり前の時間を慈しむこと。
いや、そんなの当たり前でしょ?
ってことかもしれないけど、
仕事の忙しさにかまけて夜遅い帰宅。
共働きの中で、家族として過ごす時間が
減っていたり。
「親であってもひとり時間、自分のことも
大切に」という考え方もあるし。
とか。
どこか、
「親孝行」できていない言い訳をするように
「子孝行不足」の言い訳をしていたなあと。
で、ここまで書いていて思うのは、
親に対しては子であり、
子に対しては親である。
いやこれもまた当たり前なんですけど、
そんな同時並行で生きている
「パラレルワールド」な自分を
ふっと俯瞰して観たときに。
「自分孝行」は、生きてるうちに。
自分として、自分を大切にすること。
自分との時間を大切にすること。
親のための時間
子のための時間 ていう発想ではなくって。
親や子と、今その瞬間しかない時間を
大切にすることは、今の自分を大切にすること
そう捉えれば、
なんだか、言い訳しない自分で
過ごすことができる。
親のために、子のために、という
思いが先行すると苦しくなる時もあるけど、
どちらかがどちらかに
一方的に「孝行」する、してあげるという
発想ではなくて、
互いに孝行しあいながら、それがイコール、
それぞれが自分のこともたいせつにできれば。
生きてるうちに、まるもうけ。
きょうもお読みいただき
ありがとうございます
写真は、河原の土手です。
子供のサッカーの送迎で。
「いってらっしゃい」
「おつかれさん」
そんな刹那を大切に。
子供の試合観戦の合間に親に電話したりして。
用はなくても。
今は今しかないので、ね。
もうすぐ父の日ですが、
父子の日だし、子父の日だし、
自分の日、にしよう。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?