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山形県2泊3日

結婚式参列のための小旅行

先日義理の弟の結婚式に参列してきた。義弟は東京出身だが、都会生活で満たされない自然や農業への想いがあったのか山形県の大学へ進学した。そのまま山形で就職し、イチゴ農家となり、山形の女性と結婚することになった。なにやら由緒正しい神社で神前式をやるらしい。たいへんめでたい。ということで久しぶりの東北旅行となった。

僕は宮城県仙台市で小・中学校の子供時代を過ごしたので、隣県の山形にも当時何度も遊びに行っていた。しかしそれ以来かれこれ30年は行っていない。
山形の記憶は何と言っても芋煮会が思い浮かぶ。河原にたくさんの人が集まって、ドラム缶を使ってウソみたいな巨大鍋を熱していたと思う。冬の山形の河原は耳がちぎれそうな寒風が吹きすさび、全員に配られた芋煮はやたらと熱くて美味しかったことを覚えている。

旅程は2泊3日。到着の翌日に結婚式に参列をし、次の日には帰るのだからあまり時間的な猶予がない。僕の住む山梨から山形まで5~6時間はかかる。当然ながら結婚式がメインなので観光は可能な範囲でするしかない。宿は山形駅に隣接したホテルを取り、温泉などよりも観光のアクセスを重視した。

出発日の前々日に、礼服や雑多な荷物は全てスーツケースに入れて宅急便でホテルに送った。こうしておくと旅がすこぶる快適になる。これに気付く前は旅行鞄をゴロゴロ転がして駅や空港を歩き回っていたけども、絶対に宅急便で送ってしまった方がいい。ちょっとしたお土産選びも、思い付きの寄り道もストレスなしで思いのままになる。

海苔弁当の洗礼を浴びる

旅の初日は全国的に冬が戻ってきたかのような寒さとなった。特急あずさで昼前に東京駅に着いた。さて東北新幹線が来る前に駅弁。駅弁が食べたい。僕の旅の楽しみの3割くらいは駅弁が占めている。しかも今回は東京駅。駅弁コーナーの広大な事よ。たぶん日本全国の駅弁が買えるのだろう。
弁当屋を巡り歩いて吟味すること30分余。どこかで読んだ駅弁人気ランキングの上位だった「刷毛じょうゆ 海苔弁山登り『海』」を買ってみた。

海苔弁なのに1,250円する。まぁ、良い。駅弁なんてどれも千円くらいはするものなのだ。しかし見た目も普通の海苔弁に見える。そりゃ確かに鮭もチクワも大きいけれども、スーパーやコンビニの海苔弁とそこまで違うようには見えない。
食べて実際どうだったか。食レポではないのでこれは詳細を省くが、全部が異様に美味だった。あまりに美味かったので帰りの新幹線でも1つ上のランクの「紅鮭 海苔弁」を買ってしまった。

かみのやま市の巨大タワー

義弟の最寄り駅である「かみのやま温泉駅」で新幹線を下車した。風が強く、4月も終わるというのに寒い。よく見ればまだ桜がちらほら残っていて、目の前に連なる山には雪が少し残っている。雪と桜が同時に存在しているなぁと思って見渡せば四方を山に囲まれている盆地だった。かみのやま市(上山市)は僕の住む山梨県とよく似ている。

平地から盆地に来た人が「山に囲まれていて圧迫感がある」と言うことがある。しかし盆地育ちの人々はよく「山に囲まれて守られている気がして安心する」と言う。
我々盆地人は山の見えない平野に行くと、裸にされたような気持ちになって心細くなるのかもしれない。もしかしたら京都の盆地に住んでいる人も同じじゃないかな。そういう意味で上山市は居心地が良かった。

上山市では義弟の家に挨拶に立ち寄り、心づくしのもてなしを受けた。義弟がハウス栽培しているイチゴは、親族のひいき目を差し引いて考えても人生での上位3本の指に入る美味しさだった。食べることで作り手の真摯さを感じるような農作物と言うのは本当に存在する。ここまで消費者に感じさせる果実を作るのは並大抵の努力ではないと思われる。家族ができたのだから無理せずやってほしいと思う。

さて、上山市でひときわ目を引く建造物がある。田園風景の中にそびえ立つタワーマンション「スカイタワー41」だ。41階建ての超高層マンションが市街地から少し離れた田んぼの中に立っているので時々話題になる。
このタワマン、駅から義弟の家に行くまでの間ずっと見えていた。なにしろ遮るものがないからどこからでもよく見える。堂々として荘厳でもあるし、場にそぐわない滑稽さもある。ポストアポカリプスの遺跡のように見えることもある。嵐の日には大自然の中の人類の砦のように感じることもあるかもしれない。旅人には異様に見えても、常に見える場所で生活していればいずれ見慣れるものとは思う。
それにしても誰が買うのだろうかと思ったが全室売り切れらしい。雪かきしなくて済むので普通に人気の住宅なのだそうだ。

そういえば山形県に入ってから家々にバルコニーやベランダがほとんどない事に気が付いた。あっても引っ込んでいるタイプの屋根付きベランダで、なんだか四角い箱のような形の家が多い。僕がマイクラで作る家のようだ。屋根も瓦は珍しく、平らな屋根が多かった。たぶん雪の対策なんじゃないかと思うが真相はわからない。

積雪が多い地域での雪かきは想像するのも苦しい。山梨や昔住んでいた仙台ではそこまでの積雪はなかったが、それでも大雪が降り続くような年もあった。雪かきをやってもやっても降ってくる。やらなければ生活できないので必死に雪かきせざるを得ない。さぼると駐車場の屋根が雪の重みで落ちたりするので必死だ。雪に対する思いは連続1週間の雪かき経験者と未経験者では全然違うだろう。
などと雪のことを思い巡らしていたら、僕も山形に住むなら41階建てのタワーマンションに住みたいと思った。満室になるわけだ。

上山城から城下を眺めてもタワー


結婚式前日だったので義弟宅を早々に退散して、ホテルに向かうついでに観光を、といってももう日も暮れそうなので上山城(月岡城)にだけ立ち寄った。ちなみにこの旅の間の移動はほぼすべて義父母に車で送ってもらった。本当にありがたい。
上山城は小ぶりな復元城で、中は博物館になっていた。地方のお城はどこもこういう使われ方をしていて、僕は天守に登るよりもこの博物館部分を見るのがとても好きだ。お城にある博物館は地域愛みたいなものがダイレクトに伝わってくる展示物があったりしてとても良い。

天守に登ってみると、上山市のほぼ全景が見える。そしてやっぱり「スカイタワー41」がすぐに目に入る。遠くに見える超高層マンションが巨大すぎて遠近感がおかしくなるのが面白い。いろいろ揶揄されたこともあるかもしれないが、あれはもはや上山市に必須に思える。なくなったら寂しく思うだろう。できたら上山市民からも愛されていてほしい。

山形の人々はお酒とラーメンを好む

宿は山形駅に隣接するホテルだったので、駅周辺で夕食をしようと散策に出た。山形駅の周辺は居酒屋がとても多い。僕は群発頭痛もちなので飲酒は頭痛発作トリガーである。頭痛発作の周期的に相当タイミングが良くないとお酒が飲めない。
かなり歩き回ったが食事メインの店がついに見つからなかった。仕方なくホテルに引き返す途中で「郷土料理」とデカデカと書かれた看板に気が付いた。ついに見つけた、と思って入り口に置いてあるメニューを見たら居酒屋であった。
夜遅くなって閉店する店が出始めてしまったので、駅ロータリー横のラーメン屋で夕飯とした。

仕方なくラーメン、と言うわけでもない。山形市はラーメン消費量日本一らしく、新幹線ホームに「推し麺やまがた」という広告を置いてラーメンキャンペーンまでやるほどラーメン推しだ。山形のご当地ラーメンがあるのかと思ったが、特にこれというのを見つけられなかった。たぶん特定のラーメンが人気なのではなく、美味しいラーメン屋さんが多いのだろう。
ちなみに駅ロータリー横のラーメン屋は辛味噌ラーメン推し。東北の味噌の味がする懐かしい風味のラーメンだった。

一子相伝の技が伝わる神社

翌日早々に結婚式場となる神社へ向かう。「谷地八幡宮」という神社で、これがすごい神社だった。
一子相伝の舞楽「林家舞楽」を1100年伝えているとか、上皇陛下や昭和天皇が行啓された時の写真などがあったりして、ものすごく格が高そうだ。こんな神社の内部に入る機会なんてなかなかないだろう。
一子相伝と聞いても漫画の「北斗の拳」しか思い浮かばないので、少し調べてみた。子のひとりだけに技芸や学問の秘伝を伝える技術継承の方法で、他には決して伝えない。そのためオリジナルを正確に伝えるには向いているが、将来的な技術の喪失のリスクが高い。例としては年輪のような模様が特徴的なダマスカス鋼があり、一子相伝であったために現代では製法が失われてしまったらしい。
それを1100年も続けてきた林家舞楽はすごい。

1100年前というと平安時代の中期で、これは日本の国風文化が花開いた時期の少し前くらい。一子相伝の林家舞楽は国風文化の影響をあまり受けずに、伝わった当時のオリジナルのシルクロード風味が今にも強く残っているらしい。日本ぽくない舞楽を由緒正しい神社の石舞台で千年も舞い続けたのかと思うと面白い。今回舞楽は見れなかったので、文化庁が公開している写真を見てみたら本当に強烈オリエンタルな仮面で舞っていて驚いてしまった。

素晴らしい結婚式と人々

結婚式はつつがなく。ありがたい神前式に親族一同かしこみかしこみ。お祓いまでして頂いた。新郎新婦に幸あれと願う。ふたりは土地に根差した素晴らしい暮らしをするのだろう。

式の後に親族で会食を行った。「このあたりでは冠婚葬祭の会食と言えばここ」とホテルマンが言うような店で、人気があるのも納得の料理がこれでもかと運ばれてきた。やっと山形の郷土料理らしいものにありつけた。
米沢牛が美味しいのはもちろんなのだけども、鍋に投入した野菜が美味しくて驚いた。甘みが強い気がする。また、海がある県なので魚も美味しい。ここに限らず山形での食事は僕の郷愁を誘う味付けが多かった。

新婦の父がアクティブな人で、ヤマメを釣ったりイノシシを狩ったりするという。高身長ですらりとした容姿なのになんというワイルドガイだろうと感心していたら、お土産にどうぞとヤマメの燻製とイノシシのジャーキーをいただいてしまった。こちらが持参したのは山梨銘菓「信玄餅」だけである。もう少しいいものを持参すればよかったが、快く受け取ってくれた。気の良い人たちでよかった。

解散後は疲労もあり、ホテルでおとなしくしていた。会食のおかげで夜になっても満腹で、夜ご飯はパンだけになった。旅行先で夕飯一食抜くのは惜しいが満腹なのは仕方がない。霜降り和牛のしゃぶしゃぶとステーキを昼に食べたら1日ぶんの胃袋キャパを超えてしまった。
明日には帰るのだが、その前に観光をめいっぱいするつもりで16時の新幹線を予約してある。

美術館と博物館へ行き嫉妬する

最終日。ホテルの朝食は和食膳で、疲れた胃におかゆが優しく美味しい。多彩な小皿も全部美味だった。食後少し休んで9時過ぎにホテルを出て、山形美術館と博物館を目指して歩く。
妻はこういう時に別行動をするか部屋で休んでいる。僕が博物館に入ると、じっくり嘗め回すように鑑賞するので飽きてしまうらしい。1人の方が気楽に回れるので僕も賛成している。

駅から美術館まで徒歩25分くらいだった。あいにく雨だったが傘を買って歩く。はじめての異郷を一人で歩くとき、脳の普段使ってないところが回転しているのを感じて心地よくなる。通り過ぎる住宅地の雰囲気、見たことがない標識、知らない町の道は全部面白い。雨が降っているとなおさら雰囲気が出る。

山形美術館は素晴らしかった。今回の旅で当初から楽しみにしていたのがこの美術館訪問で、想像以上の体験になった。もともと僕は「美術館より博物館が好き、芸術の良し悪しがわからないから美術館は退屈」と言っていた人間で、美術館が好きになったのはこの数年のことだ。
本屋に平積みされていた池上英洋さんの「西洋美術入門 絵画の見かた」という本を、ふと手に取って読んでから急激に絵画鑑賞が楽しくなってしまった。それ以来その手の本やyoutubeなどで絵や解説を見るようになった。もちろん山梨県立美術館にも行った。山梨美術館にはミレーの「落穂拾い」がある。しかし近代の西洋絵画は山梨にはあまりない。本に載っている絵の本物が見たい、と思っていた。

山形美術館にはその本物があった。いっぱいあった。ピカソ、シャガール、ゴッホ、マネ、モネ、ピサロ、ルノワールなどなど…。そして燦然たるアンリ・ルソー。こんなに近くでいいのかと不安になるほどの至近距離で、画家の筆運びを思い描けるほどはっきりとした筆跡まで見える。興奮して比較的空いているのをいいことに何周もしてしまった。
カンディンスキーやセザンヌなど今は公開されていない名画もまだまだあるらしい。山形県はなぜこんなに恵まれてるのかと嫉妬すらする。他県から美術館を目当てに来る人も多くいるだろうと思う。

外に出ると雨も止んでいた。次に向かった博物館は美術館から歩いて10分くらいのところにある。一歩入った瞬間に昭和の雰囲気に包まれた。タイムスリップしたようだ。色褪せて全体が濃緑になってしまっている巨大なパノラマ写真をライトが照らしている。薄暗い館内に佇む骨格と剝製たち。全体に漂う博物館のあの匂い。「山形の生き物」コーナーで、鳥の鳴き声と川のせせらぎの環境音が流れるテープ。今にもその薄暗い角から小学生の僕が出てきそうだ。
あの頃と同じように今も「原始の暮らし」コーナーの、洞窟住居内を再現した展示物に目を奪われて動けなくなり、原始人家族の暮らしをじっと眺めてしまう。はじめて訪れた博物館だけれども懐かしく感じた。

どんどん焼きについて書いておきたいこと

夢見心地で博物館を出て、小腹が空いたのに気が付いた。時計を見れば13時。4時間くらいブラブラしていたらしい。少し疲れてもいるのでお店に入りたいところだが、実はもう休憩所の目星は付けてある。博物館がある霞城公園の入り口付近にある「おやつ屋さん」だ。今日は絶対そこに行くと心に決めていた。
なぜおやつ屋さんにこだわるのか。それはここで提供されている「どんどん焼き」という食べ物に関係がある。

僕がこの「どんどん焼き」という名前を知ったのはごく最近のことで、「お好み焼き」の亜種として本当に長いこと探し続けていた。冗談抜きで30年以上は探し続けていた。
仙台にいた小学校低学年の頃、近所のごく小さな神社の小さな小さなお祭りがあった。出店が1つしか来ないくらい小さいお祭りだった。前年に水風船すくいの出店が来ていたので、それを楽しみに祭りに行った僕は「お好み焼き」の屋台出店を見てがっかりした。風船すくいじゃないのか…。でもせっかくなので一つ買うことにした。100円だった。
その「お好み焼き」は、割りばしに巻き付いていた。

見た事がない食べ物だったけども、ソースの香りが美味しそうでかぶりついた僕は驚愕した。こんな美味しいものがあるのかと思った。あまりに衝撃的だったのでこの時のことは今も鮮明に覚えている。家に持ち帰って1本食べて衝撃を受け、どうしても我慢できずに親にねだってもう1本買いに走ったくらいだ。神社まで走って行くと出店は店じまいしていた。口の端にソースでも付けていたかもしれない。走ってきた僕がもう1本くださいと必死だったのが嬉しかったのか、主は残っていた1本をサービスでくれた。
翌年の祭りにはその「お好み焼き」の出店は来なかった。その次の年も、その次の年も来なかった。そのうち僕は大人になった。

僕は祭りに行くたびにそのことを思い出すようになってしまった。割りばしに巻き付いたお好み焼き。すごく食べたい。美味しかった記憶だけが残っている、人生で2本だけ食べたあれ、あれを売っている出店はないか。どこの祭りに行ってもあの出店を探し回った。なかった。仙台から山梨、埼玉、東京へと僕の生活圏が変わっても、どの祭りに行ってもなかった。

30年余り経った。もはやライフワークだ。そして、グーグル検索が一般的になった。インターネットばんざい。ようやく似た物を見つけることができた。調べると様々な名で呼ばれている。全国に類型が多いが僕が探しているものは「どんどん焼き」と言う山形県の食べ物らしかった。

回想が長くなったが、その「どんどん焼き」を、霞城公園の入り口近くにあるお店「おやつ屋さん」で通年売っているらしい。しかも美味しくて人気だという。絶対に行かなければならない。

行った。買った。1本280円。30年以上探していたものとしては安い。
食べた。

どんどん焼きは探していたそのものだった。あの出店の主、なんで「お好み焼き」って看板を出していたんだ。おかげで30年も迷子だったよ。でも、美味しいものを食べさせてくれてありがとう。解きがいのある謎もありがとう。
30年探し続けた食べ物を食べると涙が出るらしい。妻がいたら恥ずかしくて泣いていなかったかもしれない。本当におじさん1人で、おやつ屋さんのテラス席で泣きながら食べた。もちろん美味しかった。

旅の帰りは寝てしまう


霞城公園周りと山形駅周辺だけで6時間くらい歩き回って、さらにお土産も買い込んだりして疲れ切ってしまった。この旅でやるべきことはやったと思う。満足している。
帰りの新幹線では座った瞬間に爆睡して、まばたきしたと思ったら東京駅だった。キツネにつままれたような気持ちで駅弁を買い、特急かいじに乗り込み、まばたきしたら甲府駅だった。山形~山梨の移動時間、体感は2まばたき。
22時ころ帰宅し、我が家で激ウマ駅弁「紅鮭 海苔弁当」を食べて素晴らしい山形旅行の締めとした。充実した旅であった。


#わたしの旅行記


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