物を書く

どうもご無沙汰。

会社を退職してからちょうど二か月が経ちまして、
私はというと、二か月前と至って変わらぬ生活を送っております
いや、至って変わらぬというと、少し事実と異なるかもしれない
就職先を見つけるのに今もなお苦労しているという状況です
2~3社ほど、内定というのは頂きましたが、
やはり前職の経験もございますゆえ、見極めは慎重に行わなければならない
あともう1社だけ粘ってみようと考えています
この二か月間振り返って思うことは、
現役生時代と比べると、多忙極まっていたということ
主に就職活動なのだが、
現役生時代は、コロナ禍でオンライン面接が主流だったのに対し、
今回は、コロナが5類扱いになって、脱コロナ禍へと時流が変わりつつあるゆえ、対面面接が多く、足を頻繁に使う就職活動となった
無職なのに、社会人の様に忙しなく動き回っていて、
何だかよくわからない感じがした
面接会場の大半が都会にあるので、
現在、ど田舎で根暗生活に浸っている私は、
出かけるたびに周りの輝かしさに圧倒されてしまっていた
新社会人たちは、おそらく今のこの時期、
会社を辞めていなければ、実務経験に入っているのではなかろうか
ただ、新入りだということで、定期的に新入りのためのセミナーが行われていて、そのセミナーのために、一同、月一で本社に召集掛けられて、、、
私は、恐らく会社に入って間もない新入社員の集団(新入社員に特有の初々しさがある)に、ここ数日よく出くわしていて、
彼らを見て、非常に羨ましく思うのと同時に、恨めしく思うのである
辞めた自分が悪いのであるが、彼らを見、彼らのことを恨めしく思うたびに、自分の過去の行いの愚かさを思い知り、常に不甲斐ない気分に陥って
田舎に帰ってくる
他人を羨ましく思うのは、何も今に始まった話ではない
20年以上、ずっと隠遁生活みたようなことをやってきた
高校や大学に行く時以外は、常に自室にこもって、徒に時間をつぶしていた
そして、大学に出向くと、私とは違う、いわゆる光に当たっているような人たちに出会い、その都度、劣等感を抱いていた
じゃあ、お前も光に当たればいい、と人は言う
でも、何故だろうか、生まれた時から、そう仕組まれているのではないか
陰の側の人間と、陽の側の人間とに分かれるように
光から陰に、陰から光に、完全に変わることは難しい
根本がそうなので、、、
光に当たっても、根が暗い(根暗)ので、戻ってきてしまう
で、常に、私は他人の人生を羨ましく、恨めしく思いながら、20年弱生きて来た
それは、今後も変わらないと思う
ただ、段々、新しい考えが巡ってくるもので、
例えば、自分はいくらあがいても、陽の側の人間にはなれないと考え続ければ続けるほど、じゃあ、もう自分の道を貫くしかないのではないかと思えてくるのである
つまり、陰の側の人間にできる何かを極めてみようと思えてくる
幸いにも我々にもできるものがある
それが、文筆作業である
文筆業と書こうと思ったが、まだ文筆で金をもらえるほどの人間ではないので、作業と書かせていただいているが、
我々にできること、光に当たれなくとも、陰ながらにしてできること、
それが、こうやって、物を考えながら、文字に起こすことなのである
そんなの陽の側の人間にだってできること、と言ってしまえばそこまでだ
だが、陽の側の人間は、そこまで暇ではないだろう
それこそ、私のここ数日間の生活の様に、多忙極まりないはずで、
そんな中で、こんな風にしょうもないことを考える暇なんぞないはずである
考えるより動けが、社会人の信念ではないかと思っている
偏見だが、、、
我々、陰の者は、忙しくならない限り、常に物を考えることができる
これを活かさずには居れない
だから、書く
ああ、今頃、同期の人たちは休日を堪能しているのだろうなんて考えることができるのであれば、そのまま、その気持ち(思考)を文字に起こす
周りに対して抱く喜怒哀楽、それら根本感情から展開できるいろいろな感情をそのままに文字に起こす
最初は難しいが、何もやらないよりはマシであろう

最後になった
これが私の物を書く理由である
考えることができるなら、それを書く
これが私のモットーだ
全ての感情は言語化するに値する
感情だけでなく、自分を取り巻いている環境、出来事も、
全て文字に起こすべきものである
私は、この考えで、これからも文筆作業を楽しんでいきたい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?