手放すことで、自分のモノではない価値観に気づける
こんにちは。福岡県北九州市の整理収納アドバイザーいしさこ ゆいです。
お家の中を整理したり、お掃除したりする様子を投稿しています。
今回は、自己理解のワークショップに参加した際の気づきを、お片付けに絡めて投稿したいと思います。
自分の価値観に気づくための手放し
この記事を書いている日の朝に自己理解のワークショップに参加しました。
その際に自分の大切にしている価値観を探るためのワークがいくつかありました。
生まれ育った家庭で受け取った価値観
その中でも、生まれ育ったご家庭で受け取った価値観を書き出すというワークがありました。(そのほかにも様々な質問がありました)
ワークショップ参加者は各々書き出した後に、小さなグループに分かれてシェアするのですが、その際に同じグループになった方のシェアで印象に残った発言がありました。
”ご飯粒を残さないように”
と言われていた、というものです。
私は全く別の回答をしていたのですが、このシェアを聞いて、ハッとしました。
私も同じような価値観を持っていたからです。
親から「ご飯粒を残してはいけない」と言われたかどうかは覚えていないのですが、私は自宅でも、お店でも、食べ残しができないです。
出されたものは食べきらないと気が済まないようなところがあります。
生まれ育った環境で受け取った価値観は、子どもにまで受け継ぎたいのか。
そのせいか、”食べ残す”ということに罪悪感があり、お腹いっぱいであっても、出されたものが残っていると、無理をして食べるところがありました。
そして、自分の子どもに対しても、私が出したものや本人が食べたいと言って注文した品を残そうとすると、嫌な顔をしてしまったり、食べ切るように促すこともありました。
一方で、”食べ残し”に異常なまでに執着する自分に疑問も抱いていたのです。
ある程度年齢を重ねれば、自分の好きなモノも分かってきますし、食べる量は調整できるようになりますが、まだ小さい子どもの場合は興味本位で食べたいと言ったりしますし、食べきれなかった、おいしくなかった、なんてこともあります。(おいしくてお代わりする場合も、やっぱり要らなかったなんてこともありますよね)
”食べ残し”に執着するあまり、子どもの好奇心を制限したり、せっかくの楽しいい食事の時間が食べ残しに対しての注意の時間になるのは残念です。
つまり、私にとって、”食べ残しはしない”という価値観は、生まれ育った環境の中で無意識に受け取った「常識」であり「良識」に過ぎなかったのです。
「常識」や「良識」に囚われると、本当の自分の価値観が見えにくくなる
そのような気づきがあったワークショップ終了後、さっそく私にとっての”食べ残しはしない”という「常識」や「良識」と向き合う出来事がありました。
以前に子どもが食べたいと言って購入した3個パックのプリンが賞味期限を迎えていて、子どもに食べるか聞くと「食べない」と言うのです。
以前の私なら、もったいないからと代わりに食べていました。
しかし、そのプリンは私が食べたいプリンではないのです。
私の体内に入れたいプリンではなかったです。
私が食べたいプリンは私が心から食べたいと思って購入したプリンでありたいと思いました。
結果、そのプリンは誰にも食べられることなく手放されることになりました。
手放すとき、とても苦しい気持ちになりましたが、それが私の価値観なのだと実感しました。
小さな選択の積み重ねが未来の自分を作る
今回参加したワークショップでは、自分の価値観に沿った、小さな選択の積み重ねが未来の自分に繋がるというシェアもありました。
今回の私の手放しは”プリン”という、他の人からすれば、何の躊躇もなく食べるかもしれないし、手放すかもしれないモノですが、長年握りしめていた「常識」や「良識」に関連する出来事であったため、未来の自分に繋がる選択でした。
だからこそ、私は整理収納やお片付けを通して伝えたいです。
お家の中に何かを迎え入れるときは、どんな小さなものであっても、手放すときまでをイメージしてほしい。
それが、未来のあなたを作っていくのだと。
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