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生成AIの登場によりデザインは死んだのか、オアノット

ヘロー、こんにちは、アートディレクターの谷口です。
すい星のように登場した生成AIが世の中を騒然とさせ、早いもので1年がたとうとしています。
とくにデザイナーを中心とするクリエイティブに携わる人々の中で賛否両論、喧々諤々の議論はまだしばらくは冷めやらぬようです。
それはどこか幕末に訪れたペルリの黒船をほうふつとさせる部分もあるのかなと思ったりしています。
ゆとり世代のひとたちは知らないかもしれませんが黒船襲来の当時、日本全国ではやった狂歌があります。

“泰平の眠りをさます上喜撰、たつた四盃で夜も寝られず”

https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/portals/0/edo/tokyo_library/taihen/page3-1.html

ぼくはこれがとても好きでほんとによくできたダジャレだなあと思い出すたびにいつも感心しています。
上等なお茶を飲んでカフェインの作用で眠れなくなる様子を、鎖国中の江戸時代にアメリカからの黒船(蒸気船=上喜撰)が浦賀に4隻到着した混乱と重ねています。
とくに「たった四盃で夜も寝られず」の部分が当時の大衆の感情のキビのようなものを実にうまく表現していてすてきです。
前置きが長くなりましたねすみません。
タイトルにもある通り、青天の霹靂のような生成AIの襲来はぼくたちクリエイターの泰平の眠りを覚ますインパクトを備えているのでしょうか。
ひいては生成AIによりデザインは死んでしまった(あるいは死につつある)のでしょうか。
最近、なぜか朝早くに起きちゃうようになったぼく谷口が朝活もかねて刺激的なタイトルでお話させていただきます。

今回生成AIに関するいろいろな記事をクロールしていたところ、論点としては主に以下の4つがあるように考えています。
(もちろん論点は他にも100万個あるのでしょうがとりあえず)
順番に見ていきましょう。


1. デザインの民主化について

Xなどのソーシャルなメディアには「もうデザインはすべてAIがやってくれる」とか、「デザインを副業にしてあなたも3ヶ月で月30万稼げます」とか、「港区女子と気軽に会えます」などという興味深く煽情的なメッセージがあふれています。ぼくは基本的に京都に在住しているのでほんとうに港区女子に会おうとするとそれなりの時間と手間がかかりそうなのですがまあそれは置いておいて、おおむねデザインの民主化という方向性についてはそんなに大きな違和感はありません。
CanvaやAdobe Expressというツールの普及でかんたんなチラシやバナー作成、お店のPOPなどについては驚くほどその作成における敷居が下がっています。adobeが高らかに謳うように「デザインの経験がなくても、魅力的で美しいチラシをかんたんに作成できます。」というのはあながち誇大広告というわけではなさそうです。だれでもどこでも手軽に迅速に(←ココが重要テストに出ます)必要なアウトプットがえられるということは非常にメリットがあります。ぼくは若いころ放蕩していくつもショップ店員やバーテンダー、それに類する接客業をやっていたので、ここのところの需要というのはとても切実にわかります。そういった現場では明日からとか今週の土曜日から新しい告知が必要になる、みたいなことは日常茶飯事だったからです。(しかしその中でさえ港区女子には一度も会うことはありませんでした)
ただここには2つのエクスキューズが存在します。

  • そもそものはじめからそういったアウトプットは内製されていたのではないか?

  • 経験のあるデザイナーがそれら時短便利ツールを使った場合のアウトプットの品質はどうなるのか?

いくつか意見が分かれる部分かもしれませんがいまのところデザイナーと非デザイナーのアウトプットには品質の差があることは事実なので、デザインのすそ野は広がっているがその分標高というかレベルの差というものは明確になっているような気がしています。民主化に伴う格差の拡大(というか顕在化)ですね悩ましい問題です。
しかし、ここはWEBデザインについていえば再ローンチが待たれるFigma AIの精度と品質保証によってがらりと変わる未来もあるかもしれません。

2. 生成AIによるフェイク情報

上記の懸念にも関わることなのですが②についてはディープフェイクの問題があります。
生成AIの登場により、ディープフェイクの精度は飛躍的に向上し、人の目での判別は専門家でも非常に難しくなってきていると言われています。ある調査では2023年だけでディープフェイクコンテンツは、前年比3000%も増加したと言われています。3百じゃないですよ、3千ですよ。びっくりするなあ、もう。雑コラとか言って自分の顔の写真にカボチャの体をAI生成していた時代が懐かしいです。

実際に朝礼で発表し、社内でも一部話題になった作例

特に写真や動画はその存在そのものが存在証明というか事実を表していると長い間全世界的に信じられてきました。しかし今ではしかるべき技術と生成AIがあれば、オバマ大統領がだんじり祭りで山車から落っこちちゃう、みたいな動画も作れてしまします(実際にはありません)。つまりそれは情報の正確性が担保できなくなってきているということです。
ディープフェイクによる被害が増加し、生成AIに対する評価、ユーザーの感情がマイナス側に傾くことが起きることも予想されています。
もしくはこう言い換えてもいいでしょう。

生成AIが“火”なのか“銃”なのかについていまのところ人々は判断を保留している。

生成AIを業務でとりあつかうクリエイターはそのあたりのユーザの感情についても無関心ではいられないと思います

3. 多様性への懸念

こちらについても事情はやや複雑です。
生成AIが世に出されたあとでもっとも活発なリアクションのひとつが架空の人物の画像を生成するというものでした。日本だけで言っても何万人という人々がそれぞれ思い思いに自らの理想とする世界でただ一人のアイドルを生み出しました。
そこで奇妙なことが起こります。アウトプットされたクリエイティブがどれも驚くくらい相似していたのです。それらAI絵とかAI美女と呼ぶしかないような似たようなアウトプットの量産はどこか落ち着かない、強く言うと気味が悪いもので、映画『スターウォーズ』に登場するクローン兵を想起せずにはいられませんでした。そして彼らがそのクローン基となった銀河一の賞金稼ぎジャンゴ・フェットの技量には遠く及ばず、劣化版としての悲しい未来を生きなければならなかったということについても併記しておくことは必要でしょう。

とはいえここのところ少しずつ好転を見せている状況もあります。ある玩具メーカーが生成AIの特質を活用し、同じ時間に従来の100倍のデザイン案を作り、短時間で多くの試行錯誤をすることで、玩具の完成度を高めているというのです。人間では想像もできないようなスピードで多くのバリエーションを作り出すことはAIの最も得意とする能力のひとつです。特に“短時間で”というところと“多くの試行錯誤”という部分が非常に大きなポイントになると考えています(←ココも重要テストに出ます)。

4. ヒトには何ができるのか

最後に全体的なお話のまとめとしてぼくたちヒトにできることについて触れてこの稿を終ることにしましょう。そろそろネコに朝ごはんもやらないといけないし。
みなさんの期待する(もしくは言ってほしい)結論とはもしかしたら異なるかもしれませんが、個人的にはヒトにできることはかかる時間の多寡はあったとしてもいずれはAIもできるようになると感じています。
オーケー、だいじょうぶ落ち着いてください。ぼくは天才科学者でも天馬博士のようなロボット工学者でもありません。少なくともいまのところ(ぼくの知る限り)サイバーダイン社は実在していませんし、当然スカイネットもありません。あくまでごく狭い、デザイン面での話です。

WEBデザインに限った話で言うと世の中にあふれる多くのクリエイティブを深く学んだAIはそのパターンやルールを解析し、より高い次元でアウトプットを行うことになります。そう、つまりそれは日ごろぼくたちクリエイターが日常的にやっている作業そのものです。その結果として生成AIは経験豊富な高スキルのデザイナーの制作物に限りなく近いレベルのものを疑似的に生成できるようになるだろうと考えています。多くのビジネスシーンでその疑似的な成果はそのまま許容され、ユーザーに対しても一定の効果を上げるはずです。そうなった場合、私たちのとれる道としては2つあります。(厳密に言うともうひとつあるのですが3つめはあまり考えたくはありません)

まずはAIの特性であるスピード感を最大限活用して爆速でプロジェクトを開発する。数多のバリエーションの中からコンバージョンを獲得することが可能になるかもしれません。
もうひとつはまさに“疑似的に”という部分にフォーカスする手法があげられます。AIの急激な進化によりクリエイティブがブラックボックス化していく中で、アウトプットにまつわるストーリー性、制作プロセスの発信は大きなバリューになるのではないかと感じています。それは匿名性の高いAIのプロダクツが到達できない数少ない領域ではないでしょうか。

5. さいごに

長い話にここまでお付き合いいただき(ほんとにそんな人がいればだけど)ありがとうございます。

もう一度冒頭の黒船のアナロジーを用いるとすると、黒船が外圧により結果的に明治維新を促したように、生成AIがクリエイティブの世界に強力な変革を起こす要素というのはまちがいないと考えています。そしてそこで力を持つプレイヤーはひょっとすると大名や旗本など従来の既得権益を突き崩した下級藩士や、郷士、あるいはこれまでの職能や序列の外の身分の人々になるのかもしれません。民主化というものは言葉本来の意味で言うとそういうことだし、そうなるとビジネスのスタイルも様変わりするかもしれませんね。

でもそろそろほんとにネコに餌をやらなくちゃ。
家に長くいるブリティシュショートヘアの雌は、その種の生来の性格からとても穏やかで優しく忍耐強いすばらしいネコなんだけど、朝ごはんを要求して3度大きく鳴く間に食卓の用意を済ませないと、ぷいとどこかに消えてしまい、半日こちらの問いかけに応じないというとても京都っぽい陰湿な反抗を示しますので。


それではみなさんまたお会いしましょう。
みなさんが理力とともにありますように。

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