自己紹介①:地元で骨を埋めるはずが、東京へ来てしまった

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はじめまして、ばたふりゃあと申します。

今までは読者としてnoteを楽しんでおりましたが、新しいことに挑戦してみたいと思い今日から綴ることにしました。とりとめのない話ですが、暇つぶし程度に読んでいただけたらと思います。

1. 地元で一生を過ごすと思った10代

私の母は外国人だ。通訳や講師の仕事をしてるが、日本語はあまり滑らかではない。けれど父と結婚して、来日してから必死に日本語を覚えた母をとても尊敬している。

物心ついた時には自宅で母が英会話教室をしており、母の同僚(外国人)とパーティーで会うなど、異文化が当たり前だと思っていた10代。

高校生受験時は、将来バイヤーになりたくて(ファッションセンスは絶望的にないのに)ファッション科を受験するが失敗。やむなく滑り止めの高校へ入学。偏差値の低い高校だったので、あっという間に成績上位になり進路指導で地元の有名私大を進められるが、勉強嫌いだったため同有名私大の短期学部英語科へ進学。

ところがどっこい。入学した短大のカリキュラムをよく知らずに受験ため、私が思い描いていた講義とはかけ離れた内容に愕然とした。英語で何かを学びたいと親を説得し、1年の休学をして1年間イギリスへ。

何者になれるのか、何者になりたいのか分からなかったけど、愛する地元で一生を過ごすと思っていた18歳。

2. イギリスで何かを探したかった19歳

晴れてイギリスのロンドンへ来た私19歳。ロンドンの母の親戚の家へ居候(フラットシェア)させてもらい、3か月間の語学学校の後、7か月間ビジネススクールへ入学しマーケティングを勉強した。

語学学校と違い、毎日マーケティングや広告、マネジメントなどの課題やプレゼンがあり語学が追いついていなかった私はすべてを投げ出したくなり、毎日gigへ行ったり、バイトをして現実逃避していた。

毎日遊んでいたので、成績もボロボロで数科目はfailedになってしまい、私を訪ねに来た母を悲しませてしまった。留学費用安くないのに。。このままではいけないと改心し、次のセメスターでは何とか全てpassにすることができた。

所詮は1年の留学だったため、学びたいことの1/10も学べなかったと振り返って思うが、過保護な両親(門限が夏:6時 冬:4時だった)から離れて自由に夜遊びできた経験がたまらなく、また知らないことを学んでいく勉強の楽しさを初めて知った。就職してお金を貯めたら正規留学しようと考えていた。20歳になった。

3.就活に苦戦した21歳

イギリスから帰国後、すぐに就活のタイミングになった。帰国は2月だったが、すでに地元企業への推薦入社はほぼエントリーが終わっていたため、自力で就活をすることにした。

ロンドンでもファストファッションのお店でバイトしており、センスもないのにファッション業界への就職をあきらめられなかった私はその業界中心に就活をした。が、すべて最終面接落ち!ご縁がない業界だと思い諦めた。

一旦は付属の大学へ編入することも視野に入れたが、たまたま大学の就職課で見た「システムの開発補助」という言葉になぜか心が躍り、推薦入社へ応募。内定を得た21歳の10月。

4.IT業界で働く楽しさを知った25歳

結論から書くと、21歳から26歳の5年間をITの会社でユーザサポート業務を中心に実施し、その後転職し現職につくのだが、なぜイギリスへ再留学しなかったのか、なぜ現職へ就くことになったのかは次のnoteにてまとめようと思います。


自己紹介②はこちらへ。



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