シェーカーの自給自足と物作り 1/2
シェーカーは18世紀後半から20世紀にかけてコミュニティを形成し、自給自足の集団生活を志しました。
コミュニティはビレッジとも呼ばれ、シェーカーの人々は単にハンコックやマウントレバノンと言った名称で呼んでいたそうです。彼らのコミュニティ、ビレッジは最盛期には19ヶ所に広がりました。
彼らはいずれのコミュニティでも、自給自足というテーマの下で物作りを始めました。
自給自足と物作りのテーマで二回に分けてまとめていきます。
シェーカーの自給自足
シェーカーはアメリカに渡り数年の内に集団で農業や仕事を行うコミュニティを設立しました。多数の人が集まることで、いわゆる人海戦術、マンパワーによって開拓期にも関わらず、早期の発展を可能にしました。
しかし人が多いということは、すなわちその分だけ、食糧、衣類、住居、家具道具が必要となります。多額の金銭を持ってすれば、それらを外部から購入して賄うことも可能でしたが、シェーカーの人々はそれらのほとんどを、可能な範囲で自給自足することを目指しました。
彼らが自給自足した範囲は、網羅的であり、食料、衣服、靴、家具、道具類からエネルギー、作業機械まで多岐に渡ります。
彼らの自給自足は、衣食住に困らず、生産性を高める道具を積極的に開発し、彼らにとっての理想の社会を実現するための手段でした。
彼らが多数作ったロッキングチェアには、現代の私たちがイメージする最低限の暮らしとは異なる、彼らなりの自給自足の価値観がそこにあったのではないかと考えさせられます。
基本的に一つのコミュニティはいくつかのファミリーという小集団で構成されており、まずはファミリー単位での経済的独立、つまり自給自足社会が目指されていました。不足分は、他のファミリー、他のコミュニティのように段階的に協力し、それでも尚、確保が難しいものは外部社会に買い求めることになっていたようです。
ファミリーごとに住居や仕事場の集まる集落があり、そのいくつかの集落が点在するエリアをコミュニティと呼びます。
新たな土地で大量の新規の改宗者を獲得すると、今後の大量の食料に加え、信徒に等しく配給するための衣服や家具、新たな仕事場の環境などが必要となり、その度彼らは自分たちの手で、その環境を整えていきました。
特に彼らの建物は集団生活の都合上非常に大きく、その都度必要な家具、建具の数は多大であり、一つのコミュニティにファミリーが複数あることを考えると、その物量は甚大であったことが想像されます。
このような大規模な自給自足でありながら、開拓期において、比較的安定した生活をすぐに確保できたことから、彼らの勤勉さや自給自足の経済的な効用を察することができます。
加えて、シェーカーが志した自給自足は、教義的に正当な意味合いも含んでいました。
シェーカーは宗教的に分離主義という立場にあります。これは、中央や権威からの分離、離脱を主張する立場であり、シェーカーにとっては外部の世界からの離脱を意味しています。
この思想は、彼らが性行為をはじめとした外部社会の文化や習慣を罪の根源と考えるところに起因しています。さらに、ここでは割愛しますが、彼らの聖書理解から来る理想の生活もまた自給自足と共産による社会でもありました。
シェーカーの人々は自分たちが作るコミュニティを所謂、天国、理想の国として考えています。その上で、外部社会からの離脱、独立は彼らにとって非常に根本的な部分にある思考でした。
外部社会の風俗や情報がむやみやたらとコミュニティに入ること、もしくは、資源や物資を外部に依存することは可能な限り避けられました。
簡潔に言えば
自給自足であれば、外部の何者にも頼らないでいられる。ということです。
経済的にも、思想的にも、理想の社会の実現のための手段として自給自足が求められ、そして実践していました。
自給自足という言葉、文字で見る以上に、家具だけに留まらず、あらゆる物を自分たちで賄おうと苦難していた、類稀な逞しさもシェーカーの魅力なのかもしれません。
次回につづきます。