センスを磨く方法
間抜けなタイトルである。
学生時代に習ったことの多くは砂のようにこぼれ落ちたが、今でも大切にしてる教えがある。それはセンスを磨く方法だ。
方法は単純。たとえば花を見て漠然といいなと感じたとする。なぜいいと感じたのか、どこがいいのかを深く考える。以上。
いいなと感じたのは色なのか、形なのか、匂いなのか。花にまつわる物語、自分の思い出、生えている場所、活けられた花瓶など、着眼点はいくらでもある。「この花いいね」となら誰でも言えるが、「いいね」の奥には千差万別の解釈がある。しかし深堀りしなければ、その解釈は自分でも不透明なまま完結してしまう。花に限らずあらゆるものに対して感性の解像度を上げることが、センスを磨くトレーニングになるというわけだ。
このトレーニングはその都度足をとめてじっくり考える必要がある。
つまりゆったりと心に余裕を持っていなければできない方法だ。
日々の雑事に追われ、物事の効率を求め、何にでも速さを求めるスタンスとは相性が悪い。
走っていたら足元の草花を認識できても、意識が向くことはないだろう。瞬間的に趣を感じても、その感性は置き去りになって意識から消えていってしまう。走ることを悪く言いたいわけではなく、感性においては歩くことも立ち止まることも大切だということだ。
ありふれたものの中に喜びを見出すことは、自分で価値を創出するということ。意味や意図のないところに美を見出だせるのは人間の特権だ。そして価値は自分で創り出せるとわかれば、満たされぬままに急ぎ足で刺激を求め続ける必要がないこともわかる。むしろ急げば急ぐほど、欲する楽しみが得られないことに気づく。「急がば回れ」は感性の世界にも活きている。
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