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優しい人=自分にとって都合のいいことを言ってくれたり、してくれたりする人のこと?

相手のどこが好きかを質問したら「優しいところが好き」なんて返事がかえってきたこと、あると思います。

ではこの「優しい人」ってどんな人のことを指しているのでしょうか。

気遣いができる人?
親切な人?
慰めてくれる人?
いつも傍にいてくれる人?
奢ってくれる人?

「初めは優しかったのに、次第に人が変わったように……」
もよく聞く言葉です。

【相手を好きになったきっかけ】というアンケートでは、男女ともに「優しさを感じたとき」が一位だったそうです。

誰かを好きになるとき、「やさしさ」というのはとても重きが置かれているのに、「やさしさ」ってなに? と聞かれてどれだけの人が答えられるのでしょう。

もしかして、自分にとって都合のいいことを言ってくれたり、してくれたりする人のことを「優しい人」と思ってないでしょうか。

そんな「やさしさ」に翻弄された、清掃員の女性が主人公のお話です。


空気のような

〇オフィス・トイレ

女1「やだあ、床濡れてる」
女2「あーあ、清掃中だって。ついてない」

就活で惨敗し、清掃会社の派遣に登録して5年――。
華やかな社会人生活を満喫する学生時代の友人たちとは話が合わなくなった。
それでもがむしゃらにやって来たけど……。

汚れていれば、怒られる。
掃除中に出くわせば、疎まれる。
自動的にキレイになるわけないのに。
誰かが掃除しているなんて、思いもしない。

そもそも……誰も〝私〟を見ていない。
そう思っていた。

〇同・営業部
社員たちが毎月積み立てたお金がなくなったらしい。その額、およそ10万円。
そして、なぜか疑われている。

社員女「お給料少なくて、魔が差したのかな」
社員男「チッ、明日の送別会どうすんだよ」

私じゃない。給料が少ないのは当たっているけど……。

社員男2「お前しかいないんだよ。誰にも見られずに盗めるのは!」
社員男3「やったんだろ?」

綾子「やっていません、私は掃除していただけで……」
部長「じゃあ、なんで鍵がそこにあるわけ?」
綾子「えっ?」

何、この鍵。
見たこともない鍵が、鍵束に紛れていた。

部長「なんで君が、なくなった金庫の鍵を持ってるんだって聞いてるんだよ」

これが、金庫の鍵……だっていうの?

部長「黙ってないで、答えたらどうなんだ!」

そんなの知らない。こっちが聞きたい。
なんで? いつの間に?
肌身離さず持ち歩いているのに。

あれ? ちょっと待って……。

〇(回想)同・営業部(朝)
T:一か月前

いつものように始業前のオフィスを掃除しようとすると……。

高梨「おはようございます!」
 
営業部エースの高梨さんだ。

綾子「え? あっ、えっと、私?」
高梨「そう、君。桜井綾子さんに挨拶したんだよ」
綾子「どうして私の名前……」

清掃員になってから、〝いる〟のに〝いない〟扱いばかりで……
ときどき自分が〝空気〟になったんじゃないかと思ってしまう。
だから、動揺した。
何より……声をかけてくれたのは、他でもない、密かに憧れていた高梨さん♡

綾子「おはようございます」
高梨「毎日掃除ありがとう」
綾子「お礼なんて……仕事ですから」
高梨「もっと誇りに思っていい。君のおかげで、僕らは気持ちよく仕事できるんだから」

爽やかな笑顔がまぶしい。

高梨「あ、しまった!」

高梨さんは、急に落ち着きなく何かを探し始めた。

綾子「?」

高梨「倉庫の鍵借りるの忘れちゃった。次のアポに持って行く物があるのに。弱ったなあ」
綾子「あの、よかったら、使います?」

私は鍵束を取り出した。

高梨「いいの?」
綾子「本当はいけないんですけど」

鍵束から倉庫の鍵を探していると、

高梨「時間ないから丸ごと借りていい?」
綾子「え、それはちょっと……」
高梨「すぐ返すから! ね?」

そう言って高梨さんはちょっと強引に私から鍵束を奪って倉庫へ消えた。
約束どおり、すぐに返してくれたけど……。

〇元の営業部(朝)
高梨さんが金庫の鍵をつけて返した? まさか、そんなわけない。

社員男「さっさと認めろよ」
社員女「何に使う気だったんだろね、私たちのお金」

この人たち、私だって決めつけてる……。

高梨「あれ、みんなして集まってどうしたんですか?」

高梨さんが出社して来た。
お願い、助けて。

社員男2「こんな日まで遅刻かよ。お前の送別会の金が盗まれたんだぞ」
高梨「遅刻じゃなくて、立ち寄り」
社員男3「立ち寄りという名の遅刻常習犯め。営業成績トップには文句言えないけどな」
高梨「だから違うってば」

え? 遅刻常習犯? 高梨さんが?
あの日はあんなに早く出社していたのに。
そういえばあのとき、私が来るまで高梨さんは何をしていたんだろう?

ダメだ、モヤモヤする。
私のことを話しているみたいだけど、全然頭に入ってこない。

社員女「ねえ! 聞いてんの?」
綾子「ごめんなさい、ちょっとボーっとして……何ですか?」
社員男「何ですか、じゃないだろ!」
高梨「そんなに大きな声出すなって。怖がってるじゃないか」

高梨さんはやっぱり優しい。

高梨さん「これ以上大ごとにするのは、僕らも本意じゃない。とはいっても、何もなかったことにはできない。分かるよね?」

えっ、高梨さんも私を疑うの?

高梨「君だって、会社や警察に言われたら困るだろ」

頭の片隅で、何かがガラガラと崩れていく音が聞こえた。

部長「だからあ、素直に認めて全額返せば、不問にしようと言ってるんだ」
綾子「でも、やってないんです」
社員男「いい加減にしろよ!」
部長「往生際悪いなあ、こんなに譲歩してあげてるのに」
社員女「ねえ、仕事始められないんですけど」

だって、やってない。私じゃない。
はめられた……。
他でもない、高梨さんに。

綾子「高梨さん、知ってますよね。私がやってないってこと」

高梨さんは憐れむような顔で私を見ていた。

高梨「……僕が分かるのは、君がこの期に及んでまだ言い逃れしようとしてるってこと」
綾子「……あの日、私が貸した鍵束に金庫の鍵をつけて返した。そうでしょう?」
高梨「……」
綾子「何とか言ってください!」
高梨「さっきから何言ってるのかさっぱり……。力になれたらと思ったけど、ごめん、無理だわ」

その言葉を皮切りに、社員たちの猛攻撃が始まった。

私、どうなるのかな。
クビは確定。警察に通報されて逮捕? 刑務所行き?
今思えば、清掃の仕事は嫌いじゃなかった。
感謝されなくても、気づいてもらえなくても、無心に目の前の汚れを取り除くのは気持ちが良かった。

今更気づいても遅い。
高梨さんが私に近づいたのは、犯人に仕立てられそうなカモだったから。
それなのに、一瞬でも社内恋愛を夢見てときめくなんて。私はバカだ。
ずっと〝空気〟でいるべきだったのに――。

高梨「泣いても解決しないよ」

気づいたら涙が流れていた。

部長「盗んだって認めるね?」
綾子「……」

もう、どうとでもなればいい。
やってもない罪を認めかけたとき、
   
コンコン

その人は、突然現れた。

社員女「開けてって言ってる……」
清掃員「おじゃまします」

部長「なんだ君は!」
清掃員「見ていられなくて」
高梨「はあ? 勝手に覗いてたのか?」
清掃員「とんでもない。外窓清掃の予定はちゃんと伝えてありますよ。先月の今日もね」
高梨「えっ? 先月の今日って……」

清掃員「みんなすぐに忘れちゃうんです。外に目があるなんて思いもしない」
部長「何が言いたい?」
清掃員「いろんな人がいますよ。部下から死角なのをいいことに、堂々と愛人とメールしたり、ゲームしたり」
部長「な、何を言ってるんだ!」

部長「わ、私じゃないぞ!」
清掃員「彼女はやってない」
綾子「えっ」
清掃員「この人もそう、人目を忍んで慎重に金庫を開けてたけど、窓の外の俺には全く気づかなかった」

高梨「ふざけんな、証拠もないくせに」
清掃員「たしかに見ただけだ。でも、警察がその鍵を調べたら、誰の指紋が出るかな」
高梨「……」
清掃員「さあ、行こう」

目の前にスッと手が差し伸べられた。

高梨「おい、どこへ行く」

行き先は、どこでもいい。
信じてみたい。
空気みたいな私を見ていてくれた〝ゴンドラの王子様〟を……。

綾子「10万円返して、許してもらえば?」

        (終)

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