パニックの時に感じる死への怖さ、そしてその先へ
ある日突然パニック発作が起き、その後自律神経失調症と診断され、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬ワイパックスの服薬で毎日の落ち着いた生活を取り戻すものの、ワイパックスへの依存が体にできていることに気づき、離脱症状を乗り越えながら減薬と自律神経を整える努力をしています。
自律神経失調症になって、また薬の減薬を進める際の離脱症状と向き合うようになって、前より一層浮き彫りになったことは、私は死ぬことに対する恐怖がものすごく大きいんだなということです。
私が、パニックになるのは、
「今ここで動悸が始まってパニックになったらどうしよう」
という不安が生じて、さらにそれが進んでしまった時と、突然脈が飛んだりして心臓がトクンとなった時に、さーっと血の気が引き、
「このまま心臓がおかしくなって死んでしまったらどうしよう」
もしくは
「このまま脳に何かが起きて死んでしまったらどうしよう」
という『死ぬこと』への不安がどんどん膨らんだ時です。
特に後の、『死ぬこと』への不安がどんどん膨らんでしまうのは、過去に二度のがんを患い、病気や『死』に対してとても身近に感じたり、『死んでしまうかもしれない』という恐怖と長い間向き合ってきたことが大きな原因の一つになっているのかなと最近気づきました。よくわからないけどトラウマと言うのでしょうか。
もちろん、その精神的なストレス以外に、がん根治の為の手術による体への負担や体質の変化もじわじわと自律神経をむしばんでいたのかもしれません。
死ぬことへの恐怖
人間は生まれたらいつかは必ず死ぬ。
肉体は死んでも魂は存在し続ける。
それぞれの魂はそれぞれの人生で体験したいことを体験しにきている。
一見悲しい出来事も、残酷な出来事も、不条理に感じる出来事も、その魂にとってはその出来事、その感情を体験したくて生まれてきている。
死を身近に感じるできごとを体験してから、周りの人や情報からさまざまなことを学んだり、見えるものだけじゃないこの世界の仕組みを私なりに理解したくて模索してきました。でもきっかけがあるとパニックになるほど膨らんでしまう死への恐怖。
若い頃お世話になった、私の大切な友人のお母さまは末期のがんで余命を告げられた時、ご本人は死生観に対して達観した考えをお持ちだったので、ご本人の中でもちろん家族を残してこの世を去ることの悲しみや葛藤はあったと思いますが、周囲には取り乱すことなく、病気と向き合いながらもご本人のペースで穏やかに死を受け入れ、他界されました。
死生観についてきちんと自分なりの思いがあれば、死に対しての恐怖が和らぎ、すぐに何かある度に死ぬことへの恐怖と直結させて、余計に怖がって行動を制限してしまうことはないのかもしれません。『今』を目一杯生きられるのかもしれません。
私は自身のがんや身近な人の死に触れて、今自分が生かされていることの感謝の気持ちや喜びはもちろん感じているし、味わっています。
この人生をいつ終えても、その魂は体験したかった感情とその人生に満たされ、また愛へ戻っていくのかもしれません。
でもやっぱり私は死ぬことが怖い。人間いつかは死ぬのはわかっている。魂は存在し続けるのも、そうだと思ってる。でも亡くなった人の魂とコンタクトをとる能力は私にはないのでその存在を感じ続けることはできません。いつかおばあちゃんになって、人生をたくさん味わい、たくさんの体験と経験を積んで、命を預かっているその体が地球の法則でだんたんと老化し弱くなり、『あぁいい人生だった。』と思えたら死ぬことをきちんと受け入れているでしょう。でも今はまだこの与えられた人生で味わうこと、やるべきことがたくさんある気がしているから、志半ばで人生を終えることの悔しさを味わうという人生がこの魂の目的だったとしても、今死ぬことが怖いのです。私の死生観はまだまだ未熟なのです。
そもそも死に対する向き合い方は、誰にでも共通する正解などなく、どれだけ自分の心にフィットする答えを選択するかということなんだど思うけど、きっとしばらく私は、本心から誰かに教え、伝えるられるような死生観は身につかないでしょう。
それでも湧き出てくる疑問への答えを求めたり、死への恐怖や病気への不安から駆り立てられるように、その恐怖や不安を払拭しようと必死に学んできたことは、私を成長させている。私はいつもそうやって学んできたような気がする。それはこの人生だったからできていることで、それが私を成長させていると思いたい。
「未熟な死生観だから、今の行動を制限していたり、必要以上の恐怖心で病状を悪化させてしまうんだ」と落ち込んでしまう自分自身は、まるっとそのまま受け入れて、そう考えてしまう時間以上にいい気分、楽しい気分、ありがたいと思う気持ち、優しい気持ち、前向きな気持ちを持てる時間を増やしていけるように努力したい。そのうちきっと、今の自分が微笑ましく思えるほどどっしりと落ち着いた死生観を持って、毎日を精一杯自分の為そして誰かの為に生きていることを想像して。
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