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クソキモ自分史② 我が世誰ぞ 常ならむ

5 今を生きなさい

 アルバイトに向かう原付に跨る時、私は決まって憂鬱でした。「君のせいで私はとんでもない目にあっている」何度かこの原付を蹴っ飛ばしてやろうと思ったほどでした。イオンで買った安物のシャツとスラックスを纏い、私は冬の冷えた空気を浴びながら風を切って街に向かいます。
 研修と称してマンツーマンで指導を受けた最初の一週間は毎日シフトに入りました。水商売の世界の道理も知らない少年がいきなり通用するわけもなく、私は金魚の糞のように店内を忙しなく動き回る大男の後ろをついて回りました。
 お客様が来店するとコートを預かり、キープのボトルを出し、おしぼりと突き出しを提供します。アイスとお水は常に満タンに、セット料金が発生する1時間が経過したお客様にはフルーツを、煙草が欲しいと言われたら煙草屋に走り、寿司が食いたいと言われたら向かいの寿司屋に桶を受け取りに、お客様が「よし」と腰を上げた瞬間から立ち止まらずにタクシーまで行けるよう忘れずに手配を。
 思い返すと単純な作業の繰り返しと時折入る特殊なオーダーに応えていくだけの仕事ですが、アルバイト経験がない私の脳味噌はたちどころに容量オーバーとなりました。
「飲食にしては時給いいし最高やぞ。バイト同士仲もいいし」
 甘い言葉で誘われたこの職場の実態は、想像とはかけ離れていました。そもそも、飲食関係のチェーン店や居酒屋だと思い込んで誘いに乗ったところ、蓋を開けてみたら18歳未満は入店ができない大人の社交場であった時点で、私は「話が違う」と慨嘆しました。加えて、「仲がいい」と言われるバイト仲間は数人しか存在していませんでした。この業態の宿命なのかもしれませんが、アルバイトが「飛ぶ」ことは日常茶飯事でした。事実、私もサークルに顔を出さない知らない先輩の補填で急遽お呼びがかかったことは後で知りました。そのような状況であるため、私はアルバイトが決まってから14連勤を余儀なくされています。

「おい堀、なんしとれんて!お客様には膝をついて出せ。片膝を」
 バックヤードでの説教は毎日のことでした。バックヤードは入ってみると3畳程度の大して広くもない空間で、その空間では毎回数十センチの至近距離で大男による詰めが繰り返されました。
「俺もうすぐ卒業やぞ。お前頼むからちゃんとしてくれや」
 稲沢先輩が憤慨して出ていくのと入れ替わりで、ママがバックヤードに入ってきました。
 萎れた雑草のようにしょぼくれてグラスを洗う私に横目に、ママは壁の方を向いて立ちました。狭い空間に二人だけ。私はこの空間が苦手でした。
 私に背を向けて立つママを見遣ると、右肩辺りから紫煙が立ち込めてきました。彼女は節目の時間にバックヤードに入り、パーラメントを吸うことがルーティーンとなっていました。吸い終わるまでの数分間、何度二人きりになることはあっても、ママは私に話しかけることはありませんでした。
 女の子達も、私を相手にすることはありませんでした。仕事ができない覇気のない男に構っている暇がないからです。近くにいる私を無視して、バックヤードで作業をする稲沢さんを呼ぶことが常でした。

「堀君、ちょっといい?」
 ある時、バックヤードでママは私に背を向けたまま言いました。
「あんたさあ、もう稲沢に呆れられるようなことするのやめまっし」
 ママは火のついたパーラメントを片手に体を半分だけ私の方に向けました。
「あんたそんな調子でよう普通にしておれるわ。なんでなん?恥ずかしくないん?明日死んでも後悔はないんか?なんで僕がこんなところで働かんといかんのやと思っとるんやろ。いい大学に入ってなんで水商売なんかと思っとるんやろ。あの時稲沢の誘いを断っておけばとか考えとるんやろ。洒落くさい。いいからやれよ。とりあえずやれ。あんたの選択が正しかったかどうかは後で分かる。ここまで言われてもまだうじうじし続けるんなら、あんたなんかこの店にいらんわ。出て行って頂戴。今から切り替えて気合入れてやるなら今この瞬間からやってよ。あんたが逃げたら稲沢がどんな思いするか考えたら答えはひとつしかないんじゃないがん?」
 突然の畳みかけるような叱責に、私の体は硬直しました。体の硬直は、意表を突く叱責に対する反射であり、初めてママから向けられた鋭く攻撃的な視線への拒絶反応でした。しかれども、私の脳が示したこの出来事に対する反応は受容でした。獅子奮迅の如く、青の炎が私の心理の表層で燃え出したのです。
 このことを自覚した時、私は大変驚きました。思考や表情、仕草に近い距離にある心の浅い部分に灯った炎は、自分自身の深層心理からの作用によるものであることは明らかでした。つまり、私は今まで一言も私的な会話をしなかったママに、最短距離で、かつ的確に、私の「核」となる部分を一突きされ、その一突きで見事に仕留められたわけであります。
 ママは私に「今を生きろ」と言ったのでした。

6 人は変わっていく

 ママによる「喝」で心の最も深い部分を突かれた私は、ママに忠誠を誓いました。そして人が入れ替わったように働き、ラウンジ音色の中で人権を得ていきました。いつしか「ママに認められること」が、私がアルバイトを続けるモチベーションになっていきました。
 職場での人権を獲得した私は、徐々に女の子達とも会話する機会が増えていきました。ラウンジ音色の従業員達を「女の子達」と呼ぶことは、私にとっては違和感がありました。お客様の年齢層が高いこともあり、女の子達の年齢も30代前半が多かったように思います。多少の人生経験がないと経営者や会社役員の相手は務まらない。ママの方針でした。
 この方針の元集められた手練れ揃いの女性陣の中で、私と年齢が近い女の子が一人だけいました。源氏名は都でした。
 都さんは私が人権を得る前から何故か気にかけてくれ、そして水商売の世界の立ち回りを教えてくれた恩人の一人です。

 ママの誕生日のことでした。店のオーナーであるママの誕生日は、お客様が入れ替わり立ち替わりに挨拶に訪れる1年で最も忙しい日となります。運悪くそのような日にシフトに入っていた私は、案の定多忙を極めていました。お客様が帰られた後のテーブルの片付けもままならない程でした。
 フロアに出て「どこから手を付ければ良いのやら」と立ち往生していると、都さんと目が合いました。都さんは私にウインクをすると、彼女の足元に目配せをして、それからお客様との会話に戻りました。不思議に思い、彼女の足元を見ると、テーブルの下でカウンターの方向に指を指しているのが目に入りました。カウンターに目を移すと、ちょうどママのお客様が「そろそろ出るわ」と仰っていたところでした。
 都さんの合図のお陰で、私はママの指示より前に会計を察知して、バックヤードに戻り伝票を用意することが出来たのです。片膝をついて伝票を差し出す際、ママは「貴方も成長したんやね。嬉しいわあ」私に耳打ちしました。私は、都さんのお陰であると言い出すことができず、「いえ……」とだけ答えるのでした。

「先ほどはありがとうございました。助かりました」
 私はバックヤードで都さんに頭を下げました。
「何言っとるん。いいわいね」都さんは笑って言いました。「困った時はお互い様やろ」
「でも自分からは何もお返しできず申し訳ないです」
「んー、ほんなら、ん!」都さんは私に手を差し出しました。
「え?」
「手、揉んでよ」
「そんなのでいいんですか?」
「いい。揉んで」
 私は両手で都さんの手を揉みました。年上の女性の手を揉む状況に出くわしたことのない私は、恥ずかしさの余り都さんの足元を見ながら手を揉み続けました。
「あー気持ちよかった。俯いちゃって可愛いなあ。よし、今日から堀君を私の弟子にしてあげよう。んじゃ」都さんはパタパタとバックヤードを去っていきました。
 その日から、彼女の黒目がちな大きな左目、私から向かって右の目がパチリと閉じた時、それは私を救う二人だけの合図となりました。
 少しだけ余裕を持てるようになった私は、それ以来都さんの動きを注意深く観察するようになりました。それは単に都さんが美しいからという理由だけでなく、店内の全員が都さんを信頼し、店が彼女を中心に回っていたからです。ベテランが揃う中、25歳という年齢で一人だけ雇われている理由。それは、目が覚めるような美貌だけではなく、お客様を楽しませながらも店内の動きを察知する能力に長けているところでした。お客様の数や出勤している女の子に応じて、臨機応変に動くことができる彼女は、ママに重宝されない理由はありませんでした。言うまでもなく彼女がラウンジ音色のエースでした。

* * *

 私がやっとのことで仕事に慣れた頃、稲沢さんは去りました。東京本社の商社に就職が決まっており、残りの大学生活を全力で楽しむとのことでした。私は、私をこの世界に誘い入れた大男のことを半分は尊敬して、半分は恨めしく思っていました。
 稲沢さんの出勤最終日は二人でシフトに入りました。彼の仕事ぶりを目に焼き付けておきたかったからです。深夜12時を回る頃、稲沢さんはバックヤードでグラスを磨く私に指示しました。
「おう、1時に上がれ。俺はママに最後の挨拶をして1時半に上がる。そしたら油そば行くぞ。スクランブルで待っとけ」
 深夜1時のスクランブル交差点は、まだ人で賑わっていました。
 巨星墜つ。行き交う人達をただぼうっと見ながら、胸の底がどんよりと凹んで行く自分の心情を不思議な思いで観察していました。
 稲沢さんは、私をこの世界に導くきっかけを作った人物であり、そしてこの世界で輝く巨星の一つでありました。その巨大な存在感の庇護下にあれば、私はどのような難局もなんとか乗り越えていける。そう思うと私は安心して気を抜くことが出来ました。彼は今日をもってこの街を去る。いつかはこのような日が来ると分かっていても、私は目を背け続けていたのです。いつまでも彼の背中を追い、守られ続けたかった。情けない感情が沈んでいく胸を満たしていました。
 稲沢さんが出勤最終日を滞りなく締め、こちらに向かって歩いてくるのはすぐに分かりました。雑踏の中で頭一つ抜けていたからです。
 片町の隅、階段を少しだけ降りた半地下のようなところに、稲沢さん行きつけの油そば専門店「鳳凰」はありました。
「最初はどうなるかと思ったわ。やけど堀が独り立ちしてくれてよかった」
 稲沢さんはビールをぐいと飲んで言いました。
「独り立ちだなんて。この先不安で仕方ないです」
「心配なんてせんくていいわいや。堀ならなんとかなるよ」
 狭い店内には私達二人と、スーツ姿の三人グループが一組だけでした。
「今になって稲沢さんに守られてたんだなあって。痛感してます」
「さっきママに言ってきたわ。俺の次にボーイの仕切りやるのは堀しかいないって。ママもそう思うって言っとったわ」
「……」
「この店はな、俺が初めてボーイの先輩に連れてきてもらった思い出の店なんやわ。初めて食った時こんなうめえラーメンあるんかと思って感動したの覚えとるわ。俺が辞めるまでにお前にどうしても食わせたかってんて。その先輩が辞める時俺もお前みたいに寂しがっとったから気持ちは良く分かる。でもなんやかんや言って大丈夫ねんて。人は変わっていくもんなんやわ。大丈夫。」
 はい油そば2つね、と私達の前に汁のないラーメンが置かれました。
 「うめえから食え」規格外に大きな手が私の背中をドンと叩きました。
 巨大な背中と丸まった背中。2つの背中が並ぶのはこれで最後になります。
 巨星が軌道を外れて彼方に消えていく。油そばの塩味が増していくのが分かりました。

7 ディタモーニと2013年の冬

 稲沢さんが街を去ってから、私は身を粉にして働きました。彼が仕えた店とママを守る必要があったからです。
 ラウンジ音色に勤めて2年が経ち、多少の自信をつけた私は、都さんと持ちつ持たれつの関係を続けていました。
「堀君!奥田建材の専務!このあと来るって!オールドパーで上から4cmやよ!」
 都さんはバックヤードに顔だけ出して言いました。
 了解です。と返事をし、私はボトルを作り始めました。
 私達の店はあまり広くないため、ボトルキープ用のスペースが確保できないことから、特別なお得意様以外は飲み終えた時のお酒の減り具合を台帳にメモしておき、次の来店の際にはメモを見てハウスボトルの中身を移し替えることでお客様のボトルを作っていました。
 ボトルを都さんに渡す際、彼女は小声で囁きました。
「バイト終わった後暇やろ?このあと飲みにいかんけ?」

 1時に店を出た後、私達は片町のバーで落ち合いました。
薄暗い店内はアルバイト先で慣れていたつもりでしたが、根暗の私にとって初めての場所はやはり落ち着かず、気も漫ろに辺りを見回しました。
「堀君何飲むん?私はディタモーニ」
「えっと、じゃあ梅酒で」
「梅酒って!堀君やっぱおもしいわあ」都さんはころころと笑いました。私は磨き上げられたカウンターに反射するボトル達と、楽しそうに話す都さんの横顔を交互に眺めました。
「稲沢君が辞めてからほんとに逞しくなったよね、堀君。成長しとるって感じ」
「そんなことないです」
 都さんの指摘のとおり、稲沢さんが辞めてからというもの、私の中で「店を守る」という感情が芽生えたことは確かでした。私にとって、店を守るということはママを守ることと同義でした。
 尊敬する稲沢さんのような先輩方が守り継いできた店を、そして何より私が忠誠を誓ったママが創ったあの店を、ボーイの筆頭として、少なくとも私が在籍している間は恙なく運営していく必要がありました。それが私の使命であるとさえ感じていました。
 どうしたらボーイを増やすことができるのか、どうしたらお客様に喜んでもらえるのか、どうしたら女の子達やママが支障なく接客ができるのか。店のことを考える時間が増えていきていました。
「堀君さ、私達の仕事がなんで水商売って言うか知っとる?」
「分かりません」
「所詮バイトなんやし、そんな一生懸命やらんくていいよ。お店もいつかは消えてなくなるんやからさ。堀君が就職して戻って来たら音色が潰れて焼き肉屋さんになってたりして」
 都さんは悪戯っぽく笑ってウインクしました。
 彼女の半透明なディタモーニは、間接照明の優しい灯りを反照して暖かく光っていました。

* * *

 ちょうど都さんと飲みに行った頃から、ママからの要求はより高度なものになりました。
 残念ながら要求通りに動くことができないことが多く、その度にママを苛立たせました。たまたま彼女の機嫌が優れない日に当たると、深夜まで(運が悪いと明け方まで)説教を頂くこともままありました。ボーイの間で「イベント」と囁かれる行事です。
 「イベント」は主に私に向けて行われました。シフトに入る度に、自らのミスだけでなく、同期や後輩のミスについても「指導が悪い」と明け方までお叱りを受ける始末でした。
 悪い時には悪いことが重なるもので、そんな時に限って大人らしくない飲み方をする酔客に絡まれてしまい、気が滅入っていくのでした。
 ママからの叱責を、あるいはお客様からの理不尽な要求を受けるたび、こんな店潰れてしまえば良い、地震が来てビルごと崩れてしまえば良いとバイト終わりにいつもの駐輪場で一人ぼやくのが常でした。
 足元にみぞれ雪が残る日、私はまたママからお叱りを頂戴し、足取り重く駐輪場に向かっていました。
 重々と歩を進める中で、私の中で不思議な感情が突として湧き上がりました。その感情は、今まで私が受けた数多の仕打ちを鑑みると到底説明をつけることができない不可解なものでした。しかしながら、この感情を自覚した瞬間、街のネオンはたちどころに色鮮やかに、青白かった街灯の光は少しばかり暖色に、すれ違う人達は僅かながら人間味を帯びたように感じました。そして、私の体温が足元のみぞれ雪を溶かしていく錯覚を覚えました。

 私は、このお店が、未来永劫続けば良いのにと考えてしまっていました。ママと、女の子達と、私の不思議な関係が、この先もずっと存在し続ければ良いのにと考えてしまっていました。
 2013年の冬は、雪の少ない冬でした。卒業を控えた先輩達が渋々引っ越しの準備を始める今になって寒さがぶり返してくる今年の冬は、天邪鬼な私の心情を写しているようで愛おしささえ覚えました。


(続)

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