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はるちゃん、あのね


 フレックス勤務で16時に職場を後にし、自宅に向けて車を走らせる。
 郊外に向けて伸びる地方都市の幹線道路は、仕事を早上がりした甲斐あってまだ車通りは多くない。

 ここのところ、この時間帯に帰宅することが増えた。最近買ったフリードのハンドルを両手で握り、アクセルを踏み込む。赤信号で引っかかると、隣にはシエンタが止まっていた。同じサイズの車を見ると嬉しくなる。僕は前を向いたまま口角を少しだけ上げた。

 自宅のドアを開ける前に、僕はいつも深呼吸をする。今日も例によって、ドアノブに手をかけたまま、大きく息を吸い、大きく吐き、そしてドアをガチャリと開けた。

「とぉと」
 僕を呼ぶ大きな声が聞こえた。返事をすると、ドタドタと足音がした。そのまま玄関で待っていると、角から1歳5ヶ月の息子がひょっこりと顔を出した。

「とぉと」
 彼は笑顔でもう一度叫ぶと、両手を上げて突進してきた。彼は、「必ず抱き上げてもらえるだろう」と僕を信用しきってこちらに突っ込んでくる。100%の信頼を向けられると、100%応えたくなるのが人間の性分というもので、僕は彼の期待通り、駆け寄ってきた小さい体を抱き上げ、両手を高く伸ばして持ち上げた後、がっしりと抱き締める。

「はるちゃん、やっぱりとぉとのこと大好きだよ」
「そんなことないでしょ」
 少し早めに夕飯の準備をする妻と話をしながら、息子と遊ぶ準備をする。
「はるちゃん、絵本読もうね。とぉとが読んであげるから」
 息子はまたドタドタとこちらに歩いてきて、お気に入りの絵本を取り出し、「あい」と僕に差し出す。
 僕は大袈裟に頭を下げて息子にお礼を言った。

 息子が僕の太ももにポンと手を置いた。小さくて、暖かい、クリームパンみたいな手。一年半前には存在すらしていなかったこの手の、確かな暖かみを感じて、僕は息子を思い切り抱きしめ、思い切り匂いを嗅いだ。穏やかな、陽の光ようなの匂いがした。息子はくすぐったかったらしく、ケラケラと笑った。

 何にも代えることのできない幸せな生活。体が芯から温まるこの幸福を、当たり前のように享受していた。


❇︎

 突然、39.5℃の高熱が息子を襲った。
 ぎゃあぎゃあと泣き喚く息子を連れて病院に行くと、風邪の診断だった。
「鎮咳薬と座薬を出しておきます。数日で良くなるはずです」
 かかりつけの小児科医は言った。

「はるちゃん、初めてのお熱だね」
 妻と話をしながら、病院を後にした。

 それから数日、息子は高熱にうなされた。
 熱が上がったり、下がったり、元気になったり、ぐったりしたり。
 息子は初めての発熱が恐ろしいのか、常に抱っこをせがんだ。床やベッドに置くと大泣きして暴れた。
 10kgの重りを常に抱えて生活することは想像以上に腰にダメージを与えることが分かり、妻と3時間交代で息子を抱き続けた。
 発熱から5日が経過しても、息子の状態は良くならなかった。
 それどころか、体に発疹が出て、手足の浮腫みがひどくなっていった。
「はるちゃん、絶対におかしいよ。もう一回病院に行こう」


❇︎

  川崎病。
 息子に下された診断は聞いたことはあるが詳しくは知らない病気だった。
 小児科医の話によると、全身の血管に炎症が起こる、発病の原因が特定されていない病気であり、発熱自体は適切に治療できれば2週間程度で収まり、普段通りの生活が送れるそうだ。ただ、一番の問題は、この病気が心臓の冠動脈に瘤を形成する可能性があること。動脈瘤が形成されると、心筋梗塞を予防するために一生薬を飲み続けないといけない。

「入院です。2週間から4週間になると思います。治療は今日から行います」
 血液検査の結果を見ながら小児科医は矢継ぎ早に言った。
「付き添いは奥様か、ご主人かどうされますか?今から点滴の準備をしますので、その間に決めてください」
 息子の命は。後遺症は。今後の僕達の生活は。突然の事態を僕達に咀嚼する猶予を与えぬまま、事は進んでいった。


❇︎

 あれから1週間、点滴の管が繋がれた息子の脇に体温計を突っ込み、一喜一憂する生活を続けている。
 8割の子は投薬から数日で熱が下がり、発疹も消えていくという。しかしながら、息子はあれから未だに熱が上がったり、下がったりを繰り返している。
「心エコーの結果、冠動脈の拡張の兆候は見られません。ただ、心臓に水が溜まっています。これは、心臓に炎症がある証左です」
 症状が良くならず少し軽くなってしまった息子を抱き上げると不安が募り、病室と自宅を行ったり来たりする生活に疲れが溜まっていった。
 家に帰るのが怖かった。出来ることなら24時間付き添って、1分1秒でも早く息子に良くなって欲しかった。両親の願いは虚しく、時間だけが過ぎて行った。自宅のシンクにはカップ麺の容器と栄養ドリンクの瓶だけが溜まっていった。


❇︎

 病室に行くと、暗闇の中に点滴の機械の灯りだけが浮かんでいた。
 目が慣れてくると、ベッドに大の字で寝る息子と傍らに腰かける妻が見えた。
「熱、下がった?」
 妻は無言で首を振った。
「了解。じゃあ代わるわ。昼間はお疲れ様」
 すっかり丸くなってしまった妻の背中をポンと叩くと、彼女は涙を浮かべて病室を後にした。

 時計の針は21時を指していた。病室の窓からは街の灯りが差し込んでいた。
 不思議な感覚だった。息子が病気になってからかれこれ2週間は仕事を休んでいるが、それでも職場は回っている。
 ちょうど2週間前から、息子と妻と僕は社会の営みから断絶されている。それでも社会は何事もなかったかのように回っている。遠くでぼやけながら光る街の灯りがそれを示していた。
 退屈だと思っていた。同じ毎日の繰り返しだと思っていた。結婚して、子供が産まれて、僕の人生の主役が僕でなくなっていった。日々が固定されていき、僕個人としての自由な時間はもう少ないのだと少しだけ悲観していた。
 いざそんな日々が失われてみると、今までの生活がどれだけ幸せだったか気付くことができた。人間とは愚かなもので、失ってみないとその大切さを理解することができないものである。

 ベッドの傍らに腰かけ、くだらないことを考えていると、息子が寝返りを打った。
 息子は薄っすらと目を開け、抱っこをせがむように手を伸ばした。
 機械の光に青白く照らされた息子の顔を覗き込む。
「とぉと」
 息子と目が合うと、彼はふにゃりと笑い、小さくそう言って、また眠りについた。

 白くて丸い彼の顔を、僕はしばらくの間眺めてしまっていた。
 無条件に僕を信頼してくれる小さくて大きな存在が、自らの命よりも大切であることにやっと気付くことができたからだ。

 伝わる訳がないけれど、伝わればいいなと思い、彼の胸に僕の手を置いた。

 はるちゃん、あのね。
 退屈な日々が、何ものにも代え難い大切なものであることに気付かせてくれてありがとう。
 早くお家に帰って、お母さんとお父さんと一緒に遊ぼう。

 もちろん反応はなく、小さな胸が呼吸に合わせて動くだけだ。それでよかった。

 病床に伏す我が家の小さな王様の寝息は、少し眠気を誘った。
 僕はベッドの横の椅子に座り直した。


❇︎

 夢を見た。
 自宅のベッドで、家族3人が眠っている夢。
 夢の中で目を覚ますと、息子と妻がいなくなっていた。
 眠たい目を擦りながらリビングに行くと、妻が息子に朝ごはんをあげていた。
 リビングには、穏やかな優しい朝の光が差し込んでいた。
「ごめん。お腹すいたって言うから先にご飯あげちゃった」
 妻は笑って言った。
 僕に背を向けてベビーチェアに座る息子は、ご機嫌そうに頭をゆらゆらと揺らしていた。
 僕は彼の頭にポンと手を置く。
「はるちゃん、おはよう」
 さらさらな髪の、小さくて丸い頭が、ゆっくりと動いてこちらを振り向いた。



おしまい

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