特論42.新型コロナウイルスと声
○ヴォイストレーナーからのアドバイス 2022.06.10
研究所スタジオでは、オンラインレッスンを取り入れると共に、個人用にスタジオレンタルをしてきました(自主練習にカラオケスタジオなど利用できない人のため)。
スタジオ内をビニールで分け、対面しないレッスンにしています。アルコール、次亜塩素酸水ほか衛生管理を徹底しています。人が対面せず、人の触ったものに触れることがなければ、ほぼ感染を抑えられるというのが基本対策です。
レッスン時にマスクを着用するのかは、クライアントとトレーナーと相談の上、お互いで、その都度、決めるようにしています。
運動時や発声時のマスクの着用は人によって、体調によって、苦しくなることもあるので、注意することです。
マスクは、本来は、感染させる側の防止手段です。常用によって口呼吸にならないように気をつける必要があります。また、乾燥に気づきにくくなるので、こまめな水分補給を。熱中症にも注意です。(三密でない外部では鼻をだしてもよいし、はずしてもよいと思います。)現実には、他人の咳と発声、加えて会食に配慮することです。換気は、どちらかというと空気感染(対策)として考えた方がよいでしょう。
「長期戦」ゆえに「完全に安全となること、全てが終わること」を待つのでなく、できるところでできることをしていきます。「ウイルスと共存していく」ということです。
「緊急事態宣言を受けて」 2022.04.12
日頃から他の人のリスクに敏感な私は、研究所でも災害マップから、北朝鮮のミサイル防衛策、非常備品からホイッスルの準備など、どこよりも、最悪の事態を想定して動いてきました。
今回は、トレーナー、スタッフも含め、皆さんへの通達をするのか、するならいつどのようにするのかを迷いつづけ、今に至りました。
トレーナーやクライアント(レッスンを受講する人)は、それぞれの判断で行動されることでしょう。
「不要不急」、「自粛」、「仕事」、そして、レッスンに関してなど、いろんな考え方や行動があってよいと思います。今回は、研究所としての統一方針は出しません。それぞれの人の判断と行動に対しては、個々にできる限りの協力をするつもりです。
ということで、研究所のレッスンは、皆さん(クライアントとトレーナー、スタッフ)のそれぞれ個人(二者間)の意向に合わせます。
対処について、不明点などは、ご自身のご希望をメールください。(トレーナー、スタッフの方の意向で、対応できないケースもあります。)
こうした機会こそ、ご自身の人生や関わる人などについて、考えを深めるのに、ご活用ください。何よりも心身の健康維持にお努めくださいますように。
「長期的なリスクに備える~あなたの自主判断を優先することについての補足」
今は、ネットで最新の情報もわかります。感染者が倍増というのなら、データにあたるだけで、宣言が出された日から検査数が倍増していることがわかります。日本のマスメディアはそういうことも出さないわけです。
メディアや世論に踊らされず、自ら徹底して調べ、自ら判断し行動することが求められます。
尚、現時点までの私の判断では、中途半端な「緊急事態宣言」では、長期化することに対して、備えるしかないと思っています。
スタジオの安全確保には、努めますが、経路において諸問題のある点はどうしようもなく、この機にオンラインレッスンへの挑戦も、お勧めしたいと存じます。不慣れな点は、多々あると存じますが、皆さんのご協力、ご意見をもとに改善していきます。頑張りましょう。
○新型コロナ感染症と熱中症との初期症状の比較
コロナと熱中症は初期症状がそっくりなので、間違えやすいです。
1.発熱
2.倦怠感
3.頭痛
4.味覚障害
5.筋肉痛
6.言語障害
まではほぼ同じですが、以下、区別するための症状を述べます。
新型コロナは、空咳、喉の痛み、下痢、結膜炎、皮膚の発疹。息切れ、胸の痛みを伴うことがあります。
それに対し、熱中症は、めまい、失神、吐き気、大量の発汗、虚脱感、痙攣、高体温、皮膚の異常などの症状が出やすいようです。
○コロナ感染の予防
相手の真正面を避ける
済生会横浜市東部病院患者支援センター長、谷口英喜医師は「マスクには保湿機能があるので、喉の渇きを感じづらくなる」「脱水症状に気づきにくい」「筋肉量が落ちている場合、脱水しやすい体になっている」と言っています。[2020.6.11週刊文春]
〇健康保菌者とスーパースプレッダーにならないように気をつける
新型コロナは発症の1~2日前にピークを迎えるといいます。健康保菌者が出歩くことは避けられないので、政策では、基本的な人権と公衆衛生が対立しやすくなります。
「三密」の場所で、マスクをしないで大声を出したり咳をしたりする人を「スーパースプレッター」と呼びます。
ペットについては、東京都獣医師会の指針をみるとよいでしょう。
「コロナ禍で考えたこと、~さらなる弱体化とその反動への注意」2020.06.01
○日本での感染抑制
今回のコロナ禍は、エビデンスなどで判断できるリスクとは到底いえない“不確実”なことです。非常緊急事態では、直観での判断と行動しかありません。政治家、リーダーの短期的な政策と緊急の実行です。時間がたつと手遅れになる可能性があるからです。だからこそ、短期に衆知を集めて徹底して考え尽くす必要もあるのです。
他の国は、今の日本よりはそうした非日常状態に慣れています。戦争、テロ、感染を、歴史だけではなく実地で知っていて備えていることが大きいでしょう。今回のは、各国の対応をリーダーから現場まで、全て比較して改革できる貴重な機会ともなるはずです。
〇概要
今のところ、感染は、欧米に比べ、東アジアでは抑制されています。日本のリスクマネジメントのなさは、幸いにも弱いウイルスだから助けられているといえます。
まずは、日頃の習慣や文化の差もあるのでしょう。免疫力やこれまでの集団感染、感染歴、抗体なども関係するのでしょうか。(検査数など統計数値に対する信用は、疑い出すときりがありませんが…。)
日本人は、これまで世界中からバカにされるほどマスクに慣れていました。花粉症やPM2.5のせいでもあります。肺炎は、日本人の死亡原因3位になりました。私も一昨年、関連本を出しましたが、誤嚥性肺炎などの防止も含めて、喉や呼吸器に関心が深まっていました。日本では、毎年、肺炎で10万人、誤嚥性肺炎ではそれとは別に4万人、インフルエンザで3千人、呼吸器関連で20万人、亡くなっているのです。(私は、今年に入ってすぐ、研究所で拙書のダイジェストを再配布しました。基本の対策は同じだからです。)
○コミュニケーションの変容
大阪のライブハウスでのクラスターもあって、一躍、歌、声が、要因としてクローズアップされました。イベントや居酒屋が自粛に追い込まれました。
日本人は、さほど大声を出さないし、声をかけたり、しゃべる時間も他の国の人より少ないです。欧米をはじめ、アジア、アフリカなどの人も声は大きく、しかも、長時間よくしゃべります。子音が多く、唾液も飛びます。
日本男児は、笑うな、歯を見せるな、泣くな、という「男は黙って」の美徳こそは消えましたが、オタク化で、しゃべり下手の人が増えました。SNSなど、コミュニケーションツールの普及もそれに輪をかけています。おしとやかなナデシコ女子も、メンヘラ化が進みました。若い人に限らず、男女ともに単身でのひきこもり生活が増えています。話が得意でタレント化したような人も若干、いますが、両極化したのです。
イタリアでは、感染で、人々が窓を開けて声を上げたり歌ったりしていました。日本ではありえない「ロミオとジュリエット」のセレナーデ版です。日本で大声を出すのはスポーツ観戦、ライブコンサート、祭りくらいと言ってきました。逆に考えると、海外の人ほど欲求不満にならないようにも思います。過激な暴走が、街ではなく、ネット上で起きているのですが、不健康なことです。
本来は、声を発することは、気を発し、カタルシスにもなるし健康保持の手段です。歩くこと以上に、食べる機能を支えるのですから、欠いてはいけないことです。(出版では、「心とカラダを整える1分音読」のシリーズがヒットしているようです。)
オンライン、特にZoomは、音声だけでなく、映像を付けられるのでバーチャルリアリティとして、すぐれたツールとして普及しました。複数が簡単に参加できるので、新たなコミュニケーションとして一般化するでしょう。そこで生じる問題も明らかになり、技術的には、解決されていくでしょう。情報化のよい面とはいえそうです。画面が等分に振り分けられるので「平等になる」とも言われていますが、果たして、そうでしょうか。
○危機
人間への脅威は、自然災害としては、地震、津波や火山噴火、そして疫病です。新型コロナウイルスは疫病にあたります。人災としては、事故や戦争、今やテロとなります。昔と違って、日本では、飢餓という危機には陥らなくなっているのですから、こうした見えない不確実さは、テロと同様に実際以上にインパクトを与えました。有名人が続けて亡くなると、身近な人が亡くなったようにショックを受けやすくなります。これも、ネット社会の成すことかもしれません。
1918年スペイン風邪のときは、日本人も国内で45万人、国外で29万人が死亡、電子顕微鏡もなく渡航も少なかったため、ゆっくりと広まったのです。今回、2ヵ月で全世界に広まった感染は、移動のせいです。グローバリゼーション、世界がそれだけ狭くなったからです(今さらですが、今回、全世界で移動と三密を1カ月、同時に止めたら収束したかもしれません)。
世界中で起きていることを誰でもリアルにSNSで発信できるようになりました。マスメディアもそれを借用しています。これまで以上に風評、デマも拡散されます。情報化におけるメディアの役割や取材、編集能力が問われています。
○リアルな現場で
ウイルスは、30億年前から生き続け、菌と同じく、人のためにもなっているそうです。私たちは生身の体で、人やものと接触して生きていますから、免疫力が衰えると死にます。このウイルスは、感染したかどうか、感染していても危険なのかどうか、不確実なことばかりです。(こういう弱く不確実なものは、これまで映画でも取り上げられてこなかったでしょう。ドラマチックでないからです。)
今回、日本が集団免疫策やトリアージに追い込まれることなく切り抜けられるなら、それこそ、そうした事態への対応策を徹底して考えていく必要があります(原発事故や大地震などで東電や自衛隊などにあるノウハウの利用など)。こうした修羅場を直観で次々と手段をとり、対応していくリーダーを選んでいく必要があります。
ライフラインの保持は、まずは医療現場、そして、必要な物資の運搬(ロジスティクス)関連です。そこは生身の人と人との接触と移動を避けられません。観光客を運ばなくても、運ぶ必要のあるものはたくさんあります。マスクも防護服も生産を海外に依存、呼吸機器など医療体制も不充分でした。(検査機器などは、日本でつくっていたのに海外でしか使われていなかったとか。)
日本でもマイナンバー使用などで、国家での情報管理化が促進しそうです。管理も保持も有効活用もできない国だけに心配です。今回も「電話がつながらない」「窓口に行列」というのが目立ちました。「手続きは、オンラインより郵送の方が早い」とか。捺印のためだけの出社とか。
日本では、またもや国家としての危機対応能力がなく、コンセンサスがとれないために、多くの混乱と遅れが起きました。いつも徹底して検証し改革しないのは、大問題でしょう。
○日本人の生活習慣
神道では、禊ぎ、清め、厄払いのオンパレードです。538年に仏教が入り普及したのも、疫病を抑えることが目的としてありました。禊ぎ(みそぎ)と祓(はらえ)は、罪や穢れを除く清めのことです。和食もまた、殺菌作用のある食材や道具を使います。防腐の知恵に関しては、日本人は、伝統的に深い見識をもち、生活に取り入れているのです。
生活習慣として、手洗い、うがい、洗面は当たり前、風呂に入り洗髪もします。靴を脱ぎ室内でコートもかけ、部屋着に着替えます。多湿な風土ゆえに菌に気をつける一方で、うまく利用して共生してきた文化、風習があります。キスやハグをしあう身体接触の習慣をさほど受け入れてきていません。ソーシャル(フィジカル)ディスタンシングということは、意識せずとも相当に実行しているのです。
ウイルス感染となると、身体間の距離そのものよりも口や鼻を介する咳や唾液が危険です。それは、しゃべるときや食べるときにうつりやすいのです。そこからは、声や話の問題となります。
私は、近年の日本での異常な嫌臭、デトックスブーム、消臭、殺菌、除菌へのこだわりに、自己免疫力を損ないかねないと警告してきました。「ウイルスが蔓延すると日本人だけ滅びかねない」と。ですが、今回は、幸いにも当てはまらず、よい方に出ているようです。
〇グローバリゼーションとIT化の先に
昨年、16歳のグレタ・トゥーンベリの登場でのフライトシェイム(飛行機で移動することを環境破壊で恥とすること)、香港の民主化デモを考えると、この事態で飛行機もデモも消えたことが象徴的でした。(その後、6月にアメリカ、香港とデモ)グローバリゼーション、民主主義、情報化は、どのテーマとも関わってきます。
グローバリゼーションは、国を越えて世界を動く超富豪をつくり出し、ストックでの経済優位性を確立しました。最大の成り上がりは、情報化、IT化を成しえた人たちです。こうした非常時には、必ず格差や差別の問題がもちあがってきます。弱者がもっとも被害を被るからです。具体的には富の再配分の問題になります。新しい動きを妨げるのは、ミドルクラスの既得権者です。
今回、日本において、国、政府より地方の知事の判断、行動力が勝ったのは、現場優先の事情とリーダーの資質があったからです。(その若さと経歴※に着目することです)また、日本の医療現場では、抑制された人数ゆえ、優れた対応ができたようです。感謝です。
本質的な問題は、経済活動の再生のためといって、どこまで元に戻してよいのか、ということです。同じようにしては、よくないのではないのかという観点が必要です。特に原因ともなった環境問題からの見直しです。
こうしたテーマに関するキーワードを列記しておきます。
権力、国家と地方、政治家と官僚、縦割り行政組織、厚労省と文科省(大学研究室)
グローバリゼーション、海外依存、マスク、防護服、呼吸器[中国発(WHO議長、エチオピア、イタリア、アメリカ、ブラジル)[検事定年制、9月入学、黒人デモ、香港デモ]
開発と環境問題
民主主義と独裁、IT化、ID管理、マイナンバー、Zoom、PCR検査、抗体検査
「責任」と権限と義務、布マスク、安倍総理、二世三世(政治家、芸能人)、サラリーマン社長、エビデンスと専門家会議、科学ジャーナリズム、メディアの役割、政治家、リーダーの直観、決断力
格差社会、貧困、医療体制、補償、世間と自警団、差別、排他、誹謗中傷
リスクマネジメント、場当たり対応、検査絞り込み←→トリアージ、集団感染策
日本の緊急事態宣言←→ロックダウン、東アジアでの抑制要因は?
ライフライン保持、ロジスティクス、医療業務、運搬・回収業務
接触コミュニケーション、言語と日本文化、清潔、禊ぎ、慣習、世帯、捺印
自然災害、天災(地震、火山)、疫病、テロ(←戦争)←→医学と技術、文明
不確実性←→リスク
生身と死
[外] [内]
リアル ――― バーチャル
現場 ――― サイバースペース
モノ ――― AI
物流 ――― IT、Net、3Dプリンタ
場(ex.医療) ― オンライン、スマホPC(Zoom)
接触(集合地)― 人、家族、血縁
移動(交通手段)― オンライン、
地域コミュニティ― グローバリゼーション
地縁、血縁、家族― ネット縁(SNS)
地産地消 ――― ネットショップ(Amazon、アリババ)
危険 ――― 安全
×イベント
×観光
×ライブスポット
・IT化進行によるさらなる格差の拡大(安全・保障面)
・弱者への経済的身体的リスク増
・医療・運搬ほかサービス業などでの感情労働の増大
※補足
大阪府の吉村洋文知事(元弁護士)、北海道の鈴木直道知事(元東京都職員)、福岡市の高島宗一郎市長(地元テレビ局の元アナウンサー)、千葉市の熊谷俊人市長(ICT企業の元サラリーマン)
●御礼 2020.07.02
皆さんから、いろいろとメールをいただき、ありがとうございました。
勇気づけられもし、御礼のお返事をしようとしたのですが、今回は、どこまでも(今でも、ですが)、とても科学的根拠も、思考し尽くしたともいえず、機会を逸しました。トレーナー、クライアントにも、さまざまな考えや事情があることも知り、とまどいも多く、ようやく総括できてきたところです。次に掲げるような内容のメールを返信した人もいます。 (ここでは、一部編集済)
〇最悪の事態前に改めること
もっとも弱い人の立場に立つとなると、今の日本の政府などの体制側の空振りもスルーして、たまたま、日本人は感染が抑制されていて助かっていることに過ぎないようにも思います。
(3.11のときも、「外国人なぜ帰国する」と言って、後で東京もかなりの危険だったことを知りました。その時点では、彼らの外国人の情報の方が確かだったのです。)
それぞれにおいて、結局、自分で判断するしか頼るものはないというのは、今回も確信せざるを得なかったともいえます。
日本をこんなにも愚かな体制しかもっていない国にしてしまっていたことを改めて知ったからです。これだけ、ことごとく対応ミスをしても結果オーライで、安穏と元に戻っていくとしたら、次は困ったではすまなくなるでしょう。
運の良さが大惨事に繋がるのは、歴史の常です。あたかも、日本においては、第二次世界大戦の前の、第一次大戦のようにも思えます。この国は、何十万人も死なないと変われないのでしょうか。変わって75年たった結果が、これなのでしょうか。
本当に、ここで懲りて、根本的に体制も改革していくようにしていかなくてはならないと存じます。環境破壊、温暖化等で、台風前にも大水害、さらに地震、津波、噴火と何でもありの国なのですから。(レジ袋有料化で済んでよいはずがありません。)
○新型コロナで中止・延期になったもので考える。
帰省
観光、旅行では、
お祭り、花火大会、海水浴、バーベキュー、登山
各種イベントや式では、
音楽フェス、アイドルの握手会、全国学校音楽コンクール
コミックマーケット、グルメイベント、東京ゲームショウ
番組の公開収録やロケ、全国〇〇選手権、
結婚式、葬式、入学式・卒業式、入社式、資格試験、各種宴会
スポーツでは、
東京オリンピック、プロ野球、甲子園大会、Jリーグ、大相撲、・インターハイなど。
「コロナ禍で考えたこと、~さらなる弱体化とその反動への注意」
〇弱者をみない政策
今回のコロナ禍で、日本ではほぼ千名超えの死者数です。この事態に対し、自分の命よりも他の人、特に高齢者の命を危険にさらさないことから生命第一として行動を自粛するのは、疑いなく正しいことです。私も高齢者に声をかけて招いたり、お宅に伺うことをやめています。
それをふまえても、こちらもまた自らを早々に弱者として専守防衛に入ることは、どうなのかと思わされることもあります。後述します。
弱者にも、心身の健康でない弱者と経済的な弱者があります。現場に出る人をよい意味で戦士というなら、医療関係者とそのフォローの人、食、薬などの製造、運搬、配給をを支える人がいます。しかし、それ以外にも生活苦で働かざるをえない人も危険な場に出なくてはいけない人もいます。
大企業は、内部留保があるし、高齢者や正社員は、収入が減少したり、なくなっても、それなりのストックは、ありましょう。他の国に後追いして始められた、自粛に対する保障や、それを当然と求めることの根拠なども、後日、よくよく考える必要があると思うのです。
ドイツなどでは、フリーランサーや中小企業、事業者、農業関係者、文化関係者など、経済的に弱く生命を脅かされそうな人から、給付が始まりました。東ドイツで若き日を過ごしたメルケル首相だから、メッセージにも説得力がありました。
しかし、日本の政策は、いつも本当に今日を困っている人が後まわしで、常に利権ありきなのではないでしょうか。GO TOキャンペーンも、どうみても、ミドルクラスから上の業者とお客様サービスです。
〇構造に組みする同調と忖度
話を戻して、弱者の救済というのは、さらに新たな弱い弱者を生み出しかねません。それにしても、なぜ、弱者は強者に自ら搾取されるよう自ら動いていくのでしょうか。弱者には、あきらめている人も多いのですが、いつの世にも強者に対抗して、その権威・権力を打ち壊そうとする人がいたはずです。そういう人はどこにいったのでしょう。
どうも、この情報化社会では、強者のメッセージを学び、今、強者に対抗するのでなく、彼らに組みして、支え、あわよくば「自分もお裾分けを」と、なってきたのではないかと思うことがあります。つまり、上下関係もないのに、自ら組み込まれ忖度していっているように思えてならないのです。
強者は、常に「自分本位に夢を描き、思うままに自由に生きたら、人生が拓けていく」と自らの体験をもとに説きます。そういうことばに触れているうちに、強者の頭で考えるようになってしまうのでしょうか。
たとえば、なぜ一部の有名人に時間も金銭もこれだけ捧げるのでしょうか。稼がせているのは、稼げていない人たちなのです。TVに出て、庶民の怒りや不満を演じている有名人は、それによって数時間で、一般の人の月収、年収分を得ているのです。ボランティア募金をつのる番組の出演料とか、寄付や援助の組織のマージンとかいう構造的搾取は、“アマビエ”まで商標登録しようとした電通ほか、今回の支援でも中抜きは明らかになりました。そうした構図もみえているのに。
でも、トップとして矢面に立つより、そこまでの欲はなく甘い汁だけ吸えたらよいという輩が増えたのでしょうか。
となると、それはまさに戦後の日本人の生き方のもたらしたものであり、2世3世とさらに牙や骨を抜かれた21世紀、令和の日本人の気質なのでしょう。
頭だけでかくなって、与えられた情報に振りまわされ、何ら、現実はよくならない、悪くなるばかりなのに、変わると信じているとしたら。「変える」でなく、「変わる」、これでは「誰かが変える」となり、ヒーロー=独裁者待望になりかねません。すでに世界的には、自国ファーストも含め、そうなりつつあります。
〇歴史に学ぶ
韓国の歴史ドラマでは象徴的ですが、中国が攻めてくるときに戦う派と和議を結ぶ派が対立します。どちらがよいのかは、主人公のいる側が、最終的には、正しい判断をして、戦いに勝利したり、戦わずして民を守り、国を保つことになるのです。
今の日本人なら、オール和睦、いざとなれば、ステイホームで、アメリカなどに戦ってもらうなどというくらいになるのではないでしょうか。
民族として奴隷にされたことも奴隷にしたこともないと、「奴隷になるくらいなら自ら戦う」、つまり、自由のために戦うという精神は、欠いてしまうのでしょうか。
それは、第二次世界大戦の敗戦後に日本人が失ったもっとも大きなものでした。しかし、当初は、精神なので、兵士たちの血肉には入っていたのですが、彼らの子孫、今の団塊がその子、ジュニアが孫とすると、それは敗戦を終戦としてごまかし伝えられず、薄まったのです。
人権や民主主義は、感染症の流行で労力が高く認められ、封建制が崩壊して生まれたともいえるそうです。
アメリカでは、黒人デモ、人権デモ、中国では香港民主デモと、どちらも次代の覇権争いを揺るがすことになりかねない動きが出ています。
日本では、SNS中傷のタレントの自殺から、法案改正が出てきました。弱者への中傷を抑えるのを権力・権威への批判からでなく、それを抑えたい側の体制側の判断で出てきているわけです。
命は尊いゆえ、身体への危害はだめ、強いことばもだめとハラスメント認定、コンプライアンスと同じく、よかれと思って、規制は広まります。正義、正しい、フェア(公平、公正)、平等を全く疑わない人々の登場は好ましいことではありません。
〇もっとも危惧すること
指示しなくては動かない、注意してもわからない、それが、もうよほどのことでないと注意も叱咤もしない、となりました。しつけや教育の形が変わったのでなく、双方の気力、体力、今より将来をよくするために忍耐する力が落ちたのです。
かつては、理不尽なことになったら考えて改めるか、対抗策を講じました。理不尽とは、コロナ禍のような不条理にも通じます。そこを理屈だけで通そうとするとムリが生じます。
今は、考えるという問題提起、動機が与えられないので、よほど気づける人以外は、そのまま、改めもせず、対抗もせず、考えを深めもせず、子供のまま大人なのです。戦わないこと、競わないことが、こうした不毛をもたらすのかと思わざるをえません。その結果、当然、また格差は拡がるのです。
弱く幼いことをよしとする受け身の日本人の気質はともかく、こうした風潮、皆が子供の心をもてばユートピアのような幻想を、いじめを身近にみてきたであろう若者が招いてしまうとしたら、あまりに未熟でしょう。
経験しなくとも、人は知り学び気づくことでイマジネーションを働かせ、共感して、血肉にできます。しかし、豊かに想像することも、しっかりと深く考えることもなくては、どうしようもありません。成長できないならまだしも、極端に偏向した考えに染まってしまうからです。これは、とても危険な兆候だと思うのです。
(PS.菅内閣発足時のマスコミの報道と若者の支持率の高さには、驚くほか、ありません。)
「コロナ禍で考えたこと」
〇歴史は学ばないと悲劇をくり返す
ヨーロッパが大きな被害を被った第一次大戦で、日本は権益を増しましたが、それまでの戦争でずっと運のよかった日本は、そのあと、第二次大戦に突入、壊滅的な被害を受けてしまうのです。
これが、政治状況も合わさってか、私には、コロナ禍の今の日本と重なってみえてなりません。運のよいことに甘えると、次にとても恐ろしいことが起こるのです。
〇歌と話と声の不条理
私には、パンデミックは“エボラ出血熱”みたいなイメージだったのに、人類を幸せにするはずの歌や話=声が、その媒介とされてしまった不条理に直面するとは考えもしませんでした。ウイルスとの共存とかwithコロナという考えもふまえ、本質的な問題へ深く関わっていくことが必要なときしょう。参考とするのは、『ペスト』ではなく、『沈黙の春』なのです。
※この論点に関しては、いくつかの公表文書をくみあわせています。