自分と向き合う事。3ヶ月コースが終了して
外側に向かって何かを始める前にまず大切なこと。自分と向き合うこと。
私は7歳の頃にバレエという表現方法と出会って以来、身体表現、身体ワークという修練、実験、遊びの世界から人生が広がってきている。
「自分と向き合う」なんて思ってもこなかったけれど,身体の面白さを探求する中で、1ヶ月間、ヨガのコースに参加するとか、ダンスの先生に弟子入りして3ヶ月間住み込みでダンスを学ぶとか,瞑想の合宿に参加して10日間沈黙を守る中で暮らし、瞑想三昧の日々を送るとか、集中して身体と向き合うことを通して、結果的に自分という「枠」にきづき一度解体して、新しく生まれてくる自分に出会うという体験に出会ってきた。
そんな体験を繰り返していく中で、いまのかっこ悪い自分も
ちんちくりんな自分も一定期間をかければあっという間に解体されてしまう幻のようなものでしかない、ということが感覚として自分の中に培われていった。
そして「私」というものはその時その時、自分次第でデザインできる、結構単純明快なものであるということを理解し始めた。多くの人はこれが自分だと思い込んでいる。自分はこんなグチャグチャな、ごちゃごちゃな、メソメソした、ヘロヘロな、弱くて、だらしなくて、意思が弱くて、コミュニケーションが苦手で・・・・
いや、それって結構、生活習慣や思考の癖からデザインされてしまったものであって実は自分の本当の質ではないことの方が多いのよ。
私がこのコースを通して伝えたかったことはそれだと思う。
暮らしを通して、生活習慣を通して、思考のパターンは作られていくし、
その思考パターンによって日々選択することによって肉体的質感、エネルギー的質は育まれている。結構簡単に、肉体的、思考的癖は変える事ができる。
それをマインドだけでやろうとすると難しいから、からだという体験を通してやっていく。すんごく簡単な事。
だけどこれって結構パワフルな変容なので、やっぱり「時間」としては3ヶ月くらいはかかる。
地味に大変なことを3ヶ月続けるって、今まで「惰性」で選択してきた日々から抜け出るのにはちょっと大変かもしれない。3日間徹夜するとか、10日間、瞑想するとか、一瞬の根性と集中力で乗り切る大変さではなく、じわりじわりと自分の中のずるさや、ほんのちょっとの逃げと向き合うのは今までカッコつけてきた人にほど辛い。
そしてその3ヶ月でやろうとしている事が、実は痛いことでもなく、辛いことでもなく、「調和」という心地よさを根底の部分で育んでいるからストレスや危機の時に発動するパワーが発動しないのも地味に辛い。
「大調和」の体験が少ない人は、今まで味わったことのない「調和」という感覚が浮かび上がってくることに居心地の悪さを感じたりもする。この地味な心地よさと、その中で浮かび上がってくる惰性的な選択を天秤にかけると、まるで心地よさを選ばないことの方が正しいことのように思えてくる。
「調和」からくる心地よさを「快楽」と勘違いして、罪悪感を感じたり、後回しにしてもいい余計なこととして解釈してみようとしたり・・・
とにかく「地味な努力から逃げる言い訳を探し始める」という事が起こる。続けていく事で、今までほっておいて硬い結び目にまでなっていた様々なマインドの絡まりが解けてくるものだから、絡まっているところが見えてきてしまって大変だ。
見なきゃよかった、解こうとしなければよかった。大変な思いしてまで、大変なことをする意味があるのか。そもそも私に解決するべき問題なんてあるのか?私がうまくいかないのは周りのせいなんじゃないのか。
私もなんどもそんなところを超えてきた体験があるのだけれど、とにかくヨガや精神世界、エネルギーワークに出会って数年、まだ体験が少ないせいで自分の世界観が定まらない中での最初のそのプロセスは大変だ。
それでもとりあえず、「やめる」という選択をせず、解決策が見えたわけでもないけれど本質的なところにチューニングするという作業だけを毎日やっていればただ向き合うことを続けるだけでなぜか必ずそこから抜ける時が来る。
このコースの中ではそんなことをふた山くらい抜けていかなければならないんだから正直私も、「やらなきゃよかったかも。長すぎたかも。1ヶ月くらいにして、マインドを紐解く生き方をちょっと体験して終わるくらいにしておけばよかったかも」とちょっと後悔しました。笑
でも結果、本当に良かったと思う。「大きな葛藤が生まれる」ということはそれだけ大きなものを動かしていること。それをどかし切れたらすごく身軽になれる。
コースが終わってみたら、最終的に、3山目を超えた人(今までも精神世界と向き合ってきて最終段階に来ていた感じの人たちです。今回はもともとヨガのインストラクターさんなどをやっていて、何年もヨガに触れていた方が多かったので皆さん土台がある程度できている方が多かったです。)、3山目が見えてきてこれからだーってなってきた人、やっと1山目に取り掛かるぞーというところに来た人(全然遅くないです!これくらいで普通だと思う!)、本当にそれぞれバラバラのペースでした。
たとえ今、同じことをしていてもプロセスは一人一人違う。
受け取るものも、浮かび上がってくるものも、それぞれ多様。
そしてそれぞれの中で噛み砕かれて、吸収されて、新しい地肉が生まれる。
その過程はいつだって美しいと、そう思いました。
本気で世界調和を目指して生きていく。私の一番近く、目の前の人たちから。
誰かが誰かを救うんでもなく、助けるんでもなく、
そのループから抜け出て
調和を広げていくことで、自然とそれぞれの中から
自由な表現が溢れてくる社会を目指して。
ヨガを通してそんな人々がここに生まれたこと。
その事が私の宝で、本当に本当に貴重な財産となりました。
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