一人一人の気づきが世界にもたらすこと
今日は少しヘビーなこと。
私が私の中に安らぎを見出すことと、世界平和にはなんの繋がりもない。
「自分」という捉え方が平面的だとどうしてもそんな風にしか考えることができない。
20代の頃、私はエネルギー的にとても敏感で世界中で事件が起こる度に動けなくなって泣いていた。テレビのない四畳半の部屋の中で、ニュースも新聞も見ることはないのに、チベット人が迫害されたり、テロが起こったりする度に、涙を流し、部屋の中でうずくまっていた。スーパーのお肉売り場の前を通れば動物の悲鳴が聞こえてきて、体が震えて涙が流れた。
人間が生きているだけで、どれだけ地球にひどい連鎖を生み出しているのだろうと考えると、悔しくて悲しくて、せめて電氣を使わないで暮らそうと、蝋燭に火を灯し、その火を眺めていた。食事を取ることにも罪悪感を感じ、食事を取らないことで、何か変わるかもしれないと食事をしないこともあったし、結局自分が不安定だったから、そこから不安感て渇望を生み、茹でていないパスタをそのままかじったり、愛情のかけらもかけていないようなものを体に流し込むようなことをたくさんしていた。
このことを振り返る度に思い出すのは、忘れもしない3歳の時、長野の諏訪市に住んでいた時の記憶。雪が凍って壁になっている駐車場で、車が排気ガスを出し、その煙で雪が黒くなりながら溶けていくのを見て悲しくなった。「車がこんなに黒い空気を出したらそのうちに空気が全部黒くなって、前が見えなくなっちゃうんじゃないか。そうしたら動物や植物は生きていけないんじゃないか。」単純にそう思った。そしてその時、私は一生車に乗らないと自分に誓った。「黒いガスを出しながら移動なんてしない。それだったら歩いていく。」単純にそういう気持ちだった。オトナになってもその思いは変わらず、32歳まで自転車と公共交通機関を使って過ごした。新潟という車社会でそれを守るのは大変なことで、時には片道2時間かけて移動しなければならなかったけれど「車には乗りたくない」子ども心に感じたその思いはずーっと変わらなかった。「この地球を守るために私は産まれてきた。」その時に確信に近い思いがあったのもはっきりと覚えている。美しい地球を実現し、体験するために私は産まれてきたのだと3歳のときにはっきりと思い出したのだ。(今の夫と出会ってから、「車が悪いのではない」ということがわかるようになって免許を取ることに決めていまに至る。)だけれど、今でも車で長距離を移動するのには罪悪感や違和感を感じるし、この罪悪感をなんとかできないものだろうかと思うし、なるべく歩いたり自転車や電車を使いたいと思っている。そのためにはコミュニティデザイン、生活のデザインから考えていくことが必要だと思って今の活動がある。
こんな風に世界の悲しみばかりに目を向けて、絶望し、自分の無力さを感じ、その無力感をごまかすために海外の慈善活動に募金をしてみたり、そんな活動に参加してみたりするけれど、それでも違和感はなくならなかった。
ヨガに出会い、自分自身が修行を始めて、この世界の構造を理解し始めてもまだ、その無力感はなくならなかったし、絶望感も無くならなかった。修行しているお坊さんなんかを見ても、こんなに世界は悲劇に満ち溢れているのに、なぜ直接的な活動をせずに自分の修行に明け暮れているのだ!とちょっと怒りや軽蔑の気持ちを抱いていた時もあった。
私が本当に世界の構造、意識の構造、エネルギーの構造を理解して、自分にフォーカスできるようになったのは本当にここ数年のことかもしれない。
知っているだろうか。お坊さんたちのように心を穏やかに祈りを捧げてくれている人たちがいることでこの世界のバランスは保たれている。祈りの力というか、祈りの世界にフォーカスしている人がいることで、この世界全体の意識が安定し、少しだけ穏やかになる。それは本当のことなのだ。昔の人はそういうことがちゃんとわかっていて、自分たちが世俗的なこと、生産的なことにかまけている間に、自分の代わりに祈ったり瞑想してくれているお坊さんたちに感謝し、彼らの生活を保護していた。人生を「生産的」であるという価値観から離して生きている人たちの存在というものは本当に貴重なのだ。そしてお坊さんや修行者たちは自分の意識の状態が世界の意識、バランスに影響を与えていることを本当に理解し、そのために自分自身を整えるということと真剣に向かい合ってくれているのだ。
この世界には傷ついている人はいる。悲しい現実はある。それを自分と遠いことだと考えると、その悲劇が起こった時にそれを救うことや、そういったことを防ぐことにフォーカスするしかない。だけどそれは対処療法でしかないのだと思うのだ。もちろん傷があれば血が出るから、その血を止めるために傷を塞いだり、転びやすい道を整備したりする仕事は必要だ。だけれど、肝心なのは、血が出る人がいる、転ぶ人がいるということを現実として設定しない社会を作ることが何よりも何よりも大切なのだ。
私が自分なりに世界を見る中で感じていた違和感はそこで、「人が人を傷つける」「人が生き物を傷つける」「人が環境を破壊しても無関心でいられる」「人が病気になる」という意識の設定の中で行われている対処療法が続く限り、その意識を持つ人は居続ける。その設定はなくなりはしない。一体この設定はどの時点でどこから生まれてきたのだろう?
死んだら悲しいとか、死なせてはいけないとか、お金がないと貧しいとかいうセッティングは?
私はアフリカの電気、ガス、水道がない農村部で暮らしたことがある。そこにはお金もなく、みんな車も持っていなかった。電気も小さなものをソーラーバッテリーで一個だけ、食べ物は狩でとってきたウサギや鹿、畑で採れる野菜や、森で取れるキノコ。焚き火をしてそこで煮炊きをする。私はそこに暮らして貧しいと感じなかった。子どもたちも生き生きと楽しそうに暮らしていた。キッチンは泥でできていて、部屋はコンクリートでできていて、シャワーはバケツで井戸水をかぶるだけだったけれど、不潔だとも貧しいとも感じなかった。全てが美しく安全に感じた。一方、お金と仕事を求めてやってきた人々が暮らす都市部の黒人居住区はそれなりに立派な2部屋のキッチン付きの部屋に壊れた水洗トイレがついていて、そこで電気を使って調理をしていた。政府による計画停電がしょっちゅうあり、電気は自由に使えない。畑もないので道端に勝手にトウモロコシなどを植えている。水洗トイレは壊れているので、コレラで死ぬ人が多い。黒人居住区での暮らしは本当に貧しく、不潔で、苦しかった。人々は陽気だけれど、犯罪の匂いも少しだけどしたし、欲の力が渦巻いていた。これがお金というものが入ってきた時にもたらされた格差であり現象なのだと理解した。それがあれば豊かなのだと思うことで、「貧しい人」を生むという黒魔術なのだ。
アフリカの黒人居住区を見た時に私は「世界の構造」を理解した。
「お金を送っても解決しないのではないか」という違和感、直感の答えを発見した。
そのセッティングを新しいものに変えていかない限り、その設定の中で世界はぐるぐると回り続けるのだ。
根本的に必要なことは、一人一人が「意識の構造・概念によってこの世界を認識し、その中で反応し、感情を生み出して行動をしている」ということを理解すること。その構造を理解しきらない限り、一人一人が混乱状態にあることを知ること。そして一人一人が混乱状態だからこそ、外側の混乱を見て、自分の混乱の中で行動をし、さらなる混乱や葛藤のタネを作り出しているのだということ。
私はずっとアートという世界の中に生きてきていて、そのことが世界の役に立たないことにいつも罪悪感や引け目を感じていた。私はどうして直接的に社会に役に立ちそうで感謝されそうなことに意識が向かないのだろう。そんな想いから、自分の参加しうる平和活動とかに参加しても気持ちの悪さや違和感を拭えなかったのは、他ならぬ私が混乱と欠乏と自己分裂の中にあったからなのだ。
私の中の「私」すら統合できない、私の中にすら「平安」をもたらすことができない、私の家族やパートナーとすら「調和」のとれた関係が築けない私が、どんなに外側に働きかけても、さらなる混乱と欠乏と分裂を生み出すだけなのだ。
そして、世の中の問題のほとんどは一人一人の混乱によってもたらされている。貧困の問題だって、戦争の問題だって、考えれば考えるほど、調べれば調べるほど、ビジネスをしている人間、消費者の一人一人の意識が変われば、一瞬でその構造を変えてクリアにすることができる。多くの人は「なんとなく」の理由でそれを消費することでそこに投資する。Tシャツやタンクトップ。安いからという理由だけで児童虐待や、労働問題を抱える大きな会社から安い服を買う。それがその会社の方針への投資だとわかっていながらも。「一枚くらい、私の数百円くらい」という感覚でたくさんの人がそこに投資をする。そういうことが回り回って、子供の虐待や、児童労働を加速させる。女性差別にだって繋がっているだろう。
私たちの意識のひとしずく、ひとかけら、それらがこの世界を作っているのだ。私がどこに募金することより、募金箱を持って立つことより、私と家族の生活、周りの人の生活を変えることで波紋のように意識は広がる。私が調和の心を持って、目の前のことと取り組むことでしか、平和は実現されなかったのだ。
そこに気がついてからは早かった。私のヨガの学びはどんどんと進んだ。私が学び成長することがこの世界の平和に直接繋がっている。私はこの世界のために自分の意識に責任を持つ必要がある。私が一人一人の意識に知恵を伝え広げて行くことが、直接この世界の平和に繋がっている。私が私の中の調和を保っている限り、繋がりのある目の前の人と一緒に共同創造することで世界平和が目の前から実現して行く。そしてそれは波紋のように、目の届かないところまで響いて行く。
きっと、私がかつて涙を流したチベットの僧侶たちのところへも。旅客機がぶつかったということでビルの中で犠牲になった女性たちも。性的虐待の対象となり苦しみながら脳をえぐられた子ども達のところへも。
私は誓うのだ。あなたたちのような悲劇を二度と起こさないように、私は私の中の残虐性や分断、差別的な意識、金銭至上主義を決して作動させないよう努力すると。たとえ自分が無力でそれが難しいかもしれないと思っても。努力するしか愛を伝える手段はないのだ。
私が私自身を愛し、調和に導き、自分を否定することなく、平安の中に居られるようになることで、私自身が家族を愛し、調和に導き、家族を否定することなく、家族に平和をもたらせるようになる。その家族で仕事を作り出し、調和を伝えて行くことで、「調和」という感覚が広がっていき、「調和」の中で自分自身のやりたいことやビジネスを実現させて行く人が増えて行く。そこから社会の抱える根本的な問題を解決して行くことができる。私の場合はヨガやアート、コミュニティ作りなど統合的、総合的なことであるように、それぞれが自分の得意とすることで調和を表現して行くことで世界は変えていける。
それを強く信じている。
今、ヨガのコースを通して、平和のために羽ばたく天使たちが続々と誕生している。これは紛れもなく、その人たちがその人の中の無力感や惰性、諦めと戦い、打ち勝った証拠。私たちは自分の内側を統合することでしか、外側に働きかけて行くことはできない。
そしてそれさえ達成されれば、私たちは変えていける。
創造していけるのだ。
この世界を。
私たちは外側に向かうためにまず、内側に向かうのだ。
もっともっと深いところへ。
もっともっと広いところへ。
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