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超個人的な怪しい歴史

20代、大学生の頃に9.11がありました。チベットの暴動がありました。その時、私は身体が痛くて動かなくなって、4畳半の小さな寮の部屋で泣いていました。10代の後半から20代の前半は私が最もダンスの練習をしていた時期でした。基礎練習が大好きで、肉体の動き、感覚を観察しながら、ひたすらトレーニングをしていました。練習している時間、感覚に意識を向けている瞬間は思考がほとんど動いていなくて、私は深い集中の中にいました。練習中の私は怖かったらしいです。それくらい内側の世界に入っていたのです。そういう時間が増えていくごとに私の第六感のようなものは育っていたように思います。スーパーの肉売り場を通り過ぎるだけで、牛たちの叫び声が聞こえ、身体が震え、涙が溢れました。テレビは持っていなかったので、みてはいないけれど9.11のまさにそれが起こっていた日に痛みで動けなくなり、布団の中で泣いていました。チベット人が戦っている時も、布団にくるまりながら、身体の痛みを抑え、声を殺して泣いていました。ガイア、地球の精神のようなものと繋がって、地球の痛みを自分の肉体に感じていたのだと思います。

その頃はまだヨガに出会っていなかったので、精神世界の構造のことはわからず、自分はうつ病なのだと思い、誰にも言えませんでした。泣くだけ泣いて、学校の授業の時間になると学校に行っていました。泣いていることも痛みのことも、誰にも言えませんでした。

私は1人、蝋燭を灯し、蝋燭の火を見つめるようになりました。そこに意識を向ける時、世界の痛みを感じなくて済むからです。今でもはっきりと覚えてる、ラベンダー色の細長いピラミッド型の蝋燭。それをお皿の上で炊いて、ただただ火の先を見つめる、ということをし続けていました。文章が川のように溢れてきました。たくさんの物語を書いていました。文章は自動で生まれてきました。絵も自動で生まれてきました。たくさんの美しい女神や妖精、現実と幻想の狭間の不思議な世界の絵をひたすら描き続けていました。
今思うと、自動書記というもので示唆的な物語がたくさん生まれていました。SNSもまだなかった時代、それは誰に届けられるわけでもなく、3年前の火災で全て消失しました。

              
小さな頃から、なぜ人類が戦争をするのか、考えていました。なぜ、正しいことを知っているはずのオトナが、人間が死んだり生態系を壊すほどの力比べをして、領土の取り合いをするのでしょう?
なぜ、他人よりも多くを得るために、資源を奪い合ったりするのでしょう?
この世界にはこんなにも豊かな自然があるのに?
なぜ、よその国のものを奪ったり、そのために嘘をついたり、
先住民の文化を壊したり、人を殺したり、
山や動物たちを無駄に殺したりするのでしょう?
なぜ人間は他のいのちを家畜にして消費するものにしたのでしょう?

この社会に対する疑問がたくさんでした。20代の頃、私は繊細な感性で、物事を見るとその裏側にあるエネルギーを全て感じ取ってしまう、嘘などをエネルギーでわかってしまうところがありました。それは痛みや頭痛、吐き気となり、食事をとることが難しくなったり、食べ過ぎてしまったりと、自分を傷つける方向に働いていました。精神が病んでいるのとはまた違って、強い精神力を持って、自分に起こる超常現象に打ち勝とうとしていた、といった感じです。金縛りにあったり、ちょこっと霊を見たりということがあったのもこの時期です。

その頃から私は人類の地球への申し訳のない行動を、「全て引き受けてやる」という気概で溢れていたのを覚えています。自然たちを元に戻すために、自分の精神を高めなければいけない、と感じて黙々と練習をしていました。ただ、こんな思いは誰にも打ち明けられず、孤独でした。この話は誰にもしてはいけない。理解されることではない、と思っていました。私は自分をうつ病の摂食障害なのだと、そういった感性を隠しながら、日常を送っていました。表向きはとても明るい、気遣いのできる、ちょっと天然の若い女の子でした。月夜の晩に1人で公園の木に話しかけたり、蝋燭の火を見つめたり、ダンスとアルバイト以外の時間が少しでもあると、植物と共に過ごしていました。人間より植物の方が信用できる、裏切らないと思っていました。

ヨガを始めてすぐに、エネルギーを見るようになりました。アルバイトの休憩中に時が止まり、光の玉が額の真ん中から入ってきて、植物が生え、色とりどりの花々が咲き乱れ、花が右回転するのです。私はその植物たちに包まれて、「あぁ大丈夫だ、私は1人ではない。この宇宙は全てを支え見守ってくれているのだ」と知りました。生まれて初めての嬉し涙でした。花が右回りに回転を始めた時のあの温もり。暖かさ。涙を拭いて、アルバイトに戻りました。その頃はひどく肉体を酷使していました。一日3時間睡眠でアルバイトをしてダンスの制作をしていたのです。限界を超えていたのだと思います。この体験も誰にも言えませんでした。

インドでスワミのイニシエーションを受け、探求の道に入ってからは人のオーラが見えるようになりました。ハートの真ん中にドッジボールのような光のタマを抱えているおばちゃん、頭の上ばかりが光っているおじさん。何にも光っていない若者。年配の方の方が生命力が強いことに驚いていました。

こんなにわかりやすいことが起こっても、私は私の繊細な感性を否定して生きてきました。努力で今だけそうなっているだけで、私は第六感とか霊感とかそういったものは一切ない、と。氣のせいだ、と。それがバレないように誰にも言わずに隠し続けていました。

インドにいると必ずお金持ちに拾われて、可愛がってもらっていました。「神様があなたをここに運んできたのだ。」と、言って食事を与えてもらったり、バスや電車のチケットを与えられたり、お家に住まわせてもらったり、とにかく日本ではダメ人間のはずの私そのものを尊重してくれました。何もかもやってくれて、私は頼まれるままにヨガを教えたり、ダンスを教えたりしました。一緒にさまざまなお寺に行って、神様のお話をたくさんしました。お金がなくても生きていけるような安心感がありました。

日本に帰り、特に新潟に住んでいるときは私の性質そのものを隠さなければいけない感じがありました。それを曝け出してしまうと、精神病を持っている人たちと同じにされてしまう、というような恐怖がありました。

2012年には初めての幽体離脱を体験しました。42度の高熱が出て、タイで寝込んでいる時です。身体から意識が抜け出て、外側から自分を眺めていました。その後、意識がなくなって、次に意識が戻った時には幾何学のラインが引かれている画面上で自分の肉体を見ていました。黄緑色の蛍光色のラインを見て、「体に戻らなければ!」と焦って意識を動かして、磁力のようなものに弾かれながら、何度目かのトライで体に収まった時の安心感と冷や汗。夢でも幻想でもない、とてもリアルな体験でした。それでも信じられなくて、この経験も誰にも言えませんでした。

どんなことが起こっても私は疑って、見えないふりをして、自分の能力を封印して過ごしていました。隠しても隠しても、私の生き方や価値観やセンスは世間とは違い過ぎて、「社会不適合者」「生きていく力がない」と言われ馬鹿にされていました。ダンスやヨガの活動でたくさんの人が喜んでくれているのに、それでも一般とは違うことをしているから、会社員ではないから、ということで「ダメな人間」であると、親からも周りからも批判されてきました。たくさんの子供達の前で侮辱されたこともあります。私はただ環境に悪い生産活動や、植民地支配に加担すること、戦争に加担するような社会活動は行わないようにと、すべての命に対してより良い社会作りに繋がる選択を重ねていただけなのに。だから、本当は苦手なのに、社会的な活動をしていました。学校でのダンス授業、補助金を使った地域の活性化のための事業。たくさんの書類仕事。
新しい価値観や生き方が認められる世界になるように、と、社会にも寄り添って、できる限りの努力をしてきたのです。

その先に火災がありました。全てが燃えて無くなりました。社会的な役和知が外されて、そこから私は沖縄に行き、今があります。

今、振り返り書き記していると、私が社会に適応できなかった理由は私の能力です。共感の力、繋がる力が強いこと。ハイヤーセルフの声が聞こえてしまうこと。だから、矛盾を選ぶことが難しいこと。分離の世界にいることが難しいこと。世界の痛みや他人の痛みを自分のものとして感じてしまうこと。(改めて読んでみると本当にシラフか?って感じですが、すべてシラフで肉体と意識の作用の中で起こっていることです。)

これだけ、不思議な体験が当たりまえにあったからか、私はスピリチュアルへの憧れがありませんでした。ヒーラーになりたいとか、チャネラーになりたいとか、見えるようになりたいとか、そういう願望は一切ありませんでした。ただただ実直に、どうしたら社会を変えられるか、具体的に何ができるか、そればかりを考えてきました。そんな力は役に立たない、大切なのは実際の社会を変える現実的な力だと思ってきました。

けれど、セレモニーをするようになり、43歳になり、子どもが7歳になって、やっと思うのです。人には得意不得意がある。私が得意なのは社会に働きかけることや、実務的なことではなく、意識の力、スピリットの力を使って、見えない世界の方に働きかけること。

それだと新し過ぎるから。社会が認めてくれないから。怪しいと思われやすくて協力者が現れにくいから。見えるものを言うと怖がられるから。

いろんな理由で、自分の能力を否定して、隠してきたけれど、それは私の個性なのだから認めて引き受けていくことが、私の新しい役割なのだとわかってきたのです。

人と違うこと、人と違うものが見えていることを隠さずに引き受けていくこと、それを伝えることで異端扱いされることも受け入れていくこと。キモチノイイ異端者になっていくこと。

そして私自身が自分の感性を尊重していくこと。
能力を守るために仕事の線引きをしていくこと、
そのために自分の性質を開示していく覚悟ができたのです。

今、地球に必要だから、私のこの力が引き出されているし、現象が私を通して起こっているのだと思います。決して華やかで綺麗な仕事ではなく、引きちぎられるような痛みや苦しみも伴う仕事です。時にはダメージも負う仕事です。なんとも言えない慈愛と世界の光と闇を同時に見せられる、深い仕事です。

私は私のためだけにこれを行なっているのではなくて、役割としてやっています。歩けなかった子供が立ち上がり、歩き出すその変容の瞬間のように、地球の意識が愛に戻っていくその時に必要な、私たち人類のため息。深呼吸。長い間、いのちを中心としていたこの世界に、経済という信仰が中心となる支配の時代を経て、「分離した個人」というアイディアが生まれた時代、その時代を生き抜く中で身につけてきた鎧を、一枚一枚剥がしていくためのプロセス。その一歩を進めるためのイニシエーションをシェアさせていただいています。

私はただの1人の人間です。時には想像をこれる仕事量に疲れ果てながら、途方に暮れながら、人の態度に、あたりまえに傷つきながら、母親としての役割を生きながら、この仕事をしております。魔法でなんでもできる聖人ではありません。インスピレーションとイマジネーションの先に、一個一個、実務をこなしながら、この大切な仕事をする場を作っております。自分ごとのように応援してくれる仲間が現れることを夢見ています。


生駒山ヨガセンター/ @奈良県

奈良県生駒山のてっぺんの
ちょっと不思議なエネルギー宿る天空のリトリート施設にて
お久しぶりのダーキニーブレストカカオセレモニー

Ceremonica Live @パリワール村

とにかく楽しく歌って踊る気持ちい時間!!


Drum&Dance& Voice /

オトトオドリトイノチのセレモニー @天地ゆにわ / 岐阜


表現の海に浸かるDeep Radio!!

*Creation trip* 9月富山 利賀瞑想の郷


*2024/ 8月* 
*ドリームタイムリトリート@バイロンベイ/オーストラリア*

満員御礼!!

私のシェアさせていただいているカカオセレモニーについて、
もっと知りたい方はこちらから✴︎




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