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沖縄復帰50周年に寄せて ①

私が沖縄に移住してきて半年くらいが経ちます。私はまだ沖縄のことを何にも知らないけれど、まだ知らないから黙っておくんじゃなくて、まだ知らない立場だからこそ、沖縄に来て、見て、感じたことを記しておきたいと思います。特にどこにも所属していない状態の真っ新な自分だからこその純粋な印象です。これが、沖縄にまだ来たことのない人にとって、今の日本の状態を知るきっかけになったらいいと願っています。

思っていたより100倍大きかった米軍基地


私たちが沖縄に来てまずショックを受けたのは、ずっとずっと続く基地でした。島の中心にはずっと金網に覆われた広大な米軍の基地、というか米軍の領地があります。私は沖縄に米軍基地があるということは知っていたけれど、新潟に自衛隊基地があるように、山奥にひっそり騒音被害とかがないようなところにこっそりとあるものだと思っていました。那覇空港に着いて、友人にお迎えに来てもらってしばらく車で走っていくと、道路で大きな迷彩柄の輸送トラックにたくさん出会って・・・。それにもびっくりしていたのだけれど、やがて米軍基地が見え始めました。

「こんな街中に?!」とびっくりしました。ずーっとフェンスが繋がっていてその中には広々した芝生があり、いい感じの集合住宅が点在するよう建っています。いかにも住み心地の良さそうな家の庭には、子どもの遊具があったり、キャンプのセットがあったりして、ここが米軍の家族の幸せな生活の場なのだなーということを窺い知れます。私は中には入ったことはないけれど、中には様々な施設があり、街のようになっているそうです。異国に暮らす軍人の家族として、フェンスで仕切られたその中で暮らすってどんな感じなのだろう? なんとなく海辺で米軍の家族などに出会うと「あ、基地の中の人だ。」と思ってしまう自分がいたりして、外国でその国に暮らす外国人と遭遇する時とは全然違う感情が湧いてくる自分に少し驚きました。きっとフェンスの中に暮らしている人も、「中と外」そんな感覚を持ったまま、沖縄で暮らしているのだろうと想像します。

身近に感じる戦争

フェンス沿いには、迷彩柄のトラックや様々な形の、乗用車とは違う形の車がたくさん止まっているのが見えます。4歳の子どもはそれを見て「これは戦争のクルマ?人を殺したりするクルマ?」と聞いてきます。私たち夫婦が普段からそういう対話をしているせいでもあると思います。「これは多分、物を運ぶクルマだから人は殺さないと思うけれど、戦争に使うクルマだとは思うよ。」そんなふうに答えると「なんで米軍はここで戦争しているの?爆弾を運んでいるの?」そんなふうにこどもは聞き返します。「練習しているみたいだよ。」その道を通るたびにそんな会話をするのですが、初めて見た時は本当にショックな光景でした。沖縄の人はこれを当たり前のものとして受け入れながら暮らしてくるしかなく・・・。きっとお年寄りの方は先祖代々守ってきた土地が奪われて、徐々にそれができていくところも見てきているのだと思うと、尋常じゃない嘆きに、身が切り裂かれるような想いでした。

土地を奪われて失われた精神

途切れ途切れになりながら、島の内陸部分を占拠するように基地は続いています。「基地があるから経済が潤うのだからいいじゃないか」そんな意見もあると聞きましたが、経済が潤うとかそんなものとは天秤にかけられないほどの精神的な負担は簡単に想像できます。山の上には神聖な場所があり、そこは水場と繋がっていて、祈りの場があって、人々は山の裾野で暮らしながら山を拝んで暮らしている。それはどこの土地の人でも同じだと思います。私達が以前暮らしていた村でも、山と山から来る水は大切な暮らしの一部でした。米軍基地はその山の部分を破壊して作られています。当然、湧いていた水も使えなくなり、畑を奪われて暮らさざるを得ない人がたくさんいたそうです。それを敗戦国だからと我慢させられるしかなかった当時の人々はどれだけ理不尽な多いをしたことだろう。そしてそれがいまだに続いていて、子孫にも信仰や文化や土地を繋いでいけなかった人たちはどれだけ無念だったことだろう。私たちは新潟の山村で暮らしていたので、山に暮らす人々がどれだけ土地を大切につながりながら暮らしているか、痛いほどにわかります。それが失われていくことが一瞬であることも、そこにどれだけの想いを持って暮らしているか、ということも、身をもって知っているからこそ、沖縄の現状には胸を抉られるようでした。

少し想像するだけで、息を呑むほど美しい景色があったであろうことが見えてくる土地がたくさんあります。重機であっという間に平らにされて、コンクリートの建物で覆われて、無かったことにされてしまった人々の暮らしや風景、歴史を思うと、本当に胸が痛くて、正直私は沖縄に暮らすことに恐怖と罪悪感しか感じませんでした。

wikimediaより

システムが人の心を殺していく


一番、ショックを受けたのは本部で切り崩されている鉱山を見た時でした。セメント会社が山を削り、それをトラックで運び出し、目の前の港で船に乗せて、辺野古の埋め立て現場に運んでいる。大量の化石燃料を使って、自然を壊し、運びだして、別の土地の生態系を崩している。それをこともあろうか、この土地に生きる人々に日々の生活の糧「仕事」としてさせている。「山の一部分を削る」なんてことではなく、山全体が丸裸になって、見るからに痛々しく人間の愚かさをそのまま見せられているよう。狂気じみた山の削られ方は、もう何かが人間の手から離れて、システムが勝手に作動していて、人々は心を動かさないように、機械のようになって、矛盾を感じないように心を麻痺させながら、この作業をやっているに違いない。ひょっとしたら、仕事がないから、お金がないから、親戚の会社だから・・・。いろんな理由があるのかもしれないけれど、喜びからこの仕事をしている人はいるのだろうか?きっと誰もが犠牲者に違いない。

本部町から名護市にかけて広がる琉球セメント安和鉱山。山が崩され、辺野古への埋立土砂が搬送されている。©沖縄ドローンプロジェクトRONZAより

アメリカのグローバル企業、日本の大企業、財閥、そことつながる政治家達、彼らの利益のために、強引に進められている破壊的な行為。たくさんのお金が流れて、大きな利益を手にする人たちがいて、心を痛めながらその仕事をする人たちに届くお金はほんのひと握り。生活の糧を稼ぐという行為が分断を産み、声を上げにくい環境を作る。( 実はそれは日本のほとんどの企業で働く人が気づきながら目を瞑っている問題でもあるのだけれど。)  その土を船に運びこむ現場では、3人くらいの方が静かに座り込みをしていました。よくよく聞いてみると地元の漁船が、抗議運動として船を出しているのだけれど、その抗議運動を止めるために、別の地元の漁船が企業にお金を支払われて駆り出されていて、地元同士で対立を生む構図が作られている。そんな仕掛けをされたら、戦いたくない優しい人たちは抗議に行くことをためらうし、次第に声をあげづらくなる。それは政府や企業が自分たちのやりたいことを強引にそれを実行するための作戦なのだと分かってはいるけれど、その中で動けなくなる人々は実際にいることが悔しい。その道を通るときはいつも悔しくて悔しくて、何にも言えない部外者の自分が情けなくて、涙が溢れてしまうのです。

運び出された土砂は辺野古に埋め立てられ、海の生態系を壊しながら基地の建築が進んでいます。そこにヘリポートができると私たちの住む地域にも日常的にオスプレイなどの戦闘機が飛び交うようになるそうです。

オスプレイへの恐怖

もう一つショックだったのはオスプレイが身近に飛んでいるのを実際に見たこと。テレビのニュースで見たことはあったけれど、本当に見たのはもちろん初めてでした。遠くの空を飛んでいるのを見るレベルかと思っていたら、大間違い。本当に住宅地の近くを飛ぶので、バラバラバラというプロペラの音やその振動を肌で感じました。温泉に入って裸でいるとき、焚き火をしているとき、部屋で寝ているとき、日常の何でもない瞬間に、近くに着陸するのではないかというくらい大きな音で近づいてきて、ぐるぐると旋回した後に飛び去っていくオスプレイ。飛行機って騒音の問題で住宅地の近くには飛行場を作れないし、騒音で迷惑をかけないように遠くを飛ぶ物だけれど、なぜ米軍の飛行機はこんなに低く、住宅地の上を飛ぶのだろう。これはあくまで私の個人的な感想でしかありませんが、プライベートな領域を侵害されているような不快感と、それがまかり通っていることへの違和感を強く感じました。「ここは誰の土地なのだろうか?米軍の土地に私たちが住まわせてもらっているだけなのだろうか?」ふとそんな気持ちが湧いてくるようなこともしばしばありました。私はまだ一年目だから、こんなに新鮮に違和感を感じているのだと思います。段々とこれが日常になってくると、感覚が麻痺して、ここで何が起こっているのかそのまま受け入れてしまう時が来るのだと思うのです。

沖縄タイムスより

日常として受け入れるべき領域を見直す

平和ボケした私には、戦争の色をした車もヘリコプターも飛行機も見ているだけで恐怖が湧いてくるし、ここから繋がっていく未来に希望を見いだせません。国を守るためにたくさんの人の心を犠牲にして戦争の練習をするよりも、平和の練習をして行った方が平和に近づいていくに決まっている。戦争の準備にお金を使って軍事産業にお金を回していくよりも、人々が安心して暮らしていける、心の平和を取り戻していく社会にお金を使っていく方が平和に近づいていくに決まっている。

何より沖縄と日本が一つの国であるという現時点での事実がある上で、日本人が知らなくてもいいことなのでしょうか?

そう思うのは私が平和ボケした日本人だからでしょうか?

②に続きます↓



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