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痛いこと。火事に寄せて⑤

最近、レンの可愛さが炸裂している。

私が彼を心配して、かなりのエネルギーを注いで看病したり、可愛がりまくっていたせいかもしれない。おかげで彼はすっかり元気になり、私がすっかり風邪をひいた。今日は久しぶりに一人で療養させてもらった。(半日だけど)気づけば、子供を産んでから、仕事に子育てに本当に頑張ってきていて、睡眠不足のまんまずっと駆け抜けていた。火事の後、久しぶりに鍼治療を受けて、ヨガをしたら、どーっと緩んで睡魔に襲われている。火事の後も、ずっと看病で眠れない日も続いていたし、日中も子どものペースで付きっきりだった。全く苦だと思わないからこそ、気づかないうちに自分の食事もそっちのけで一生懸命になりすぎて、体力を消耗していたのだと思う。


弱りながら、最近、ダンスについてずっと考えいる。海外でダンス漬けの人生を送った後、新潟に帰ってから、歌や踊りをさせてもらいたいと、いろんなイベントにかけあってみたけれどことごとく断られてきた。ダンサーが集まってもなかなか続かず、作品作りも、作りたい作品があったとしても、会場があっても、ダンサーが揃わないから我慢することが多かった。

県民性とか、時代背景とかいろいろあるだろう。

そこからずっと諦めてきた。

・年に一回、気合を入れて、予算組んで、自主イベントを組んで踊る。
・芸術祭など、割と大きなイベントの中で許可がもらえている中でやる。
・海外や、県外の仲間に呼んでもらった時に踊る。

・子どもダンサーが育つまで待つ。

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「やらない」ことはできなかったから、そんなふうにやり方を探して(結構堅いやり方で)やってきた。私の友達も私の踊りを見たことがなかったり、踊りをしていることすら知らなかったり、そんな中で私はずっと「私=ダンス」知らない人と、人として付き合うという難しさを感じていた。踊りを見てもらえれば、それで一気に話が通じるということがわかっていたので、見てもらっていない人とはどうしたってうまく話が通じ合わないし、通じ合えないことに気づかないふりをしなければいけない。とにかくダンスに関しては「妥協」ということに尽きる毎日だった。ここではそれ以上は望まないようにする。それが幸せに生きるための選択だった。

断られるのは、きっと私の力がまだ足りていないから。

センスが足りていないから。

たとえ、見てもらえないまま、私が何をやっているかを知らないままに断られたとしても、気にしてはいけない。

「ここでは文化芸術は必要ではないもの」とされている。

「私が異端である」

押しが弱い私なりに、心を守るため、傷つかないようにするため、この土地での活動の中で身につけて行ったのが「ガッカリしたくないから期待しない」というやり方だったのだと思う。

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もう自分からダンスを提案もできないほどに、我慢することに慣れていた。

本当はもっともっと踊りを通して貢献できることがあると知っていたけれど
ダンスが競技やファッションや技術ではなく、五感を耕す文化として必要だと気づいて求められる時代が来るまで我慢。

この街では私は踊らない人。息抜きは海外で。アートがいっぱいある文化の中で、五感をいっぱいに繊細に使うダンスが当たり前のコミュニティーの中で、それを当たり前に暮らす。そこで私が私である時間を補う。

そんなリズムができつつあった。

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そんな中「得意ではないけれどうまくできること」に妥協して、家族のため、社会のために頑張ってやってきたのだと思う。本当に得意な「五感を使ったダンスや作品作り」を封印して、それ以外の部分で社会に求めてもらえることを優先して、社会とうまく付き合ってきた。それで皆に喜んでもらって、仲間に入れてもらえてきた。それなりに楽しかった。やりたいことを我慢していることや、得意なことを封印していることを忘れる瞬間があるくらい、楽しかった。

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だけど火事からずっと、私が私であることを我慢して生きてきたことがグサグサ私を貫いている。特技を封印して、能力を使わずに生きてきたこと。あれだけの場所を作って、「さぁ、やっとこれから本業に入れる」と張り切っていたところで全て燃えてしまったこと。

いつかのために「今」を我慢して積み上げてきたことが、私の首を締めている。

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今すぐやれよたとえ今の社会がそれを求めていなくても。何をやっても表現したい世界は一つなんだから。たまたまいろんな出来事が重なって今、こうなっているだけで、今の時代、一人でもダンスをやってもいいんじゃないか?

たくさんの声が私の中で響いている。

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「愛と調和をベースにしたコミュニティー作り」という社会的にやりたかったことができていたことは火事を通してわかった。社会的にはとても素敵なこと、素晴らしいことを成し遂げることができた。これからも続けていく。だから燃えてしまったものは無駄にならなかったし、全部に意味があった。

だけど、私個人としては、社会的変革に平和的活動に意識を向けすぎていて、自分自身のことが疎かになりすぎていたのではないか?という疑問が私を突き刺している。

社会のためではなく、「私のために本当に生きれていただろうか?」と問いかけると、すごく痛い。そして、やはり「私の本当に得意なことを活かすことが、結局もっと世界に貢献できるやり方でもあるのではないか?」「私は私の封印を解いて、私の本当に得意なことを生かして生きていくしかないポイント」にきたのではないか?

そんな思いが火事の後、ずっと私の中で私自身を突き刺している。

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それというのも、燃えている家を見ながらすぐに降りてきたインスピレーションが「大地への祈りの舞」という言葉だったからだ。「大地への祈りを踊らなければ。」私は火を見ながら思った。これは私がインド舞踊の先生のもとで修行した時に繋がった神でもある。火で輪郭が燃え尽くされた後に残るのは踊りだけ。燃える家を見ながら私のマインドはとてもクリアではっきりしていた。

踊れる時が来たような、そんな自由を感じて、涙がこみ上げた。「もう、たくさん頑張ったから、これからは踊っていいよ」と火に言われているような気がした。

物質的な執着があまりないタイプなので喪失感を感じるのはあんまり得意な方ではない。大きな物質が損傷したり失われた時にも、ついつい見てしまうのは大いなる内側で、やはり大きな物質が動いた分、内側での動きも大きい。今、ここで起こっている大きな内側の動き、変容をしっかり自分のものに、物質世界のものにしていきたいと心から思う。ただの感傷に終わらせず、現実へと。

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今、溢れかえっている咳は、押さえつけてきた思いの放出だろう。出し切って、次へ。しっかりと裸足の足で立って。ゆっくりと再生する。

不安の中、心の奥で決意する。

たった一人でも、作ろう。踊ろう。

いつもいつも生き直す。生まれ変わって。死んで、生まれて。

新しい自分で。


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