コロナロックダウン都市の映像が意味すること。(台湾アーティスト 袁廣鳴の作品をふまえて)

<1>コロナロックダウンと台湾の萬安演習(台湾アーティスト 袁廣鳴)

最近、コロナロックダウンでゴーストタウン化した大都市の映像を頻繁に目にする。



そこで、毎回思い出すのが、去年「あいちトリエンナーレ」で出会った
台湾のヴィデオアーティストの袁廣鳴(ユェン・グァンミン)による作品、《日常演習》
以下がその映像作品。

この作品を見て、その場では映像の趣旨を理解していなかったが、
・いつ何が起こるか次の展開にハラハラした
・映像がCGかと勘違いした
・不気味さ、緊張感による迫力を感じた
のを覚えている。

作品と作家の詳しい情報は以下を参考に。
https://aichitriennale.jp/2019/artwork/A20.html


<2>ユェン・グァンミンの《日常演習》が意味すること

 ユェン・グァンミンの《日常演習》は、台湾の萬安演習の姿をドローンで撮影したものである。
注目すべきは、虚構なのか現実なのか最初は区別がつかないという点。

ちなみに、萬安演習とは何か。
萬安演習とは、台湾で1978年から毎年5〜6月頃に行われる防空訓練のこと。
訓練時は、サイレンがなって、30分間人々の屋内避難、交通の制限等が行われれ、違反した場合には罰金を課せられる場合も。
おそらく、台湾問題に対する対策。(何も知らずに萬安演習の時に台湾訪れたら相当ビックリしそう。)

作品の趣旨は、(《トゥモローランド》とい作品が同じ会場に展示されていた。)

両作品とも、メディア技術を用いて、虚構とも現実ともつかないイメージを示しています。グローバル化やテロ、戦争、移民、難民、自然災害、経済格差といった現代の世界状況に対する作家の意識を投影しているこれらの作品は、「日常と隣り合わせにある戦争」という、まさに現実世界の暗喩と捉えることができるでしょう。
あいちトリエンナーレHPより引用)

さらに、

彼の映像は、時間と空間を交差させつつ身体感覚を揺さぶり、この世界に亀裂のように潜む不確実性や政治的な問題を明らかにする。
あいちトリエンナーレHPより引用)

筆者なりに解釈すると(あいトレの解説が難しくて展覧会でも一苦労した...)、
1.我々は常に様々な危険や問題と隣り合わせに生きてるんですよ。
2.平和なのも、様々な問題のがあるのもどっちも現実世界の日常。
3.(台湾人にとっては見慣れている場所を撮ることで)実際には、日常にこの様な緊張感が漂っているんですよ、普段は平和そうに見えるけど。
4.現代社会の不確実性における感覚を、この(現実か虚構か見分けがつかない)映像を見て感じる妙な感覚に投影した。
などのメッセージがあると考える。

「世界の現代の問題(グローバル化、テロ、戦争、移民、難民、自然災害、経済格差、そしてパンデミック)は、日常と隣り合っている」事実を、「戦争が日常と隣り合っている」台湾の事情に暗喩しているのは、
萬安演習》ではなく、
日常演習
というタイトルにしていうることからも納得。

 ちなみに、確かに、相当ショッキングな辛い出来事があった時って、本当に現実と夢の区別がつかなくなるので、この映像を見て感じる感覚に似てるかも。

<3>コロナでロックダウンした大都市の映像と《日常演習》はかなりシンクロしている

 誰もが感じると思うが、コロナでロックダウンしたアメリカの大都市やドバイなどの映像と、ユェン・グァンミンの作品と、かなり似ている。
さらに、前者の映像は訓練ではなく、実際に起きている姿である。
 つまり、ユェン・グァンミンが警鐘を鳴らした様に、現代社会の問題がいかに日常と隣り合わせなのかが、現代アート作品ではなく、実際の映像で浮き彫りになっている。上記の1〜4の解釈が全て同じく当てはまる。


<結論>コロナパンデミックから考えるべきこと

 コロナパンデミックは、まさに移民、難民、経済格差、環境問題、グローバル化などといった世界の課題を浮き彫りにした。
生きるとは、働くとは、家族とは、コミュニティとは、国とは、、、なども。
 
 筆者は、コロナパンデミックから何を考えて学べば良いのか、まだまだ考えれてないが少なくとも、ユェン・グァンミンのメッセージのように、私たちの生きる世界は常に戦争のような危機や問題と隣り合わせで複雑に絡み合っている事実を忘れてはならないのだろう。そしてそれらとどう向き合っていくのか。ユートピアじゃないんだから。

これから、ちゃんと考えていきたい。


<余談>

台湾の高齢者や外国人にとっては戦争の影を感じさせるものの、若者にとっては毎年の見慣れた行事になってしまい、年代や立場によって受け止め方が異なるようです。台北の最も賑やかな通りを含む5つの場所が無人となった風景は、一見安定した平和な街の日常に潜む戦争の脅威について私たちに考えさせます。
(あいちトリエンナーレHP より引用)


 確かに日本で過ごしてると、戦争に対する実感も危機感もない。だから、憲法9条に関しても若者の間で対して議論が行われないんだろう。。。そもそも、政治に対する関心が低いが第一要因だろうけど。
(海外留学した時、外国の友達にかなりの頻度で聞かれたのが、
・「日本の若者は政治に関心がないって聞いたけど、本当?!」
・「日本の男性って恋愛に興味ないって聞いたけど、本当?!」
 日本にいる時は気づかなかったが、外国と相対的な感覚でいうと確かに。笑)

 そしてよく考えると、韓国も兵役制度や北朝鮮の奮発など、韓国国民は日常生活でさほど意識はしないが意外と戦争の存在が近い国である。