なぜ、勉強をする必要があるのか?
なぜ、勉強をする必要があるのか?
この質問に正解はないかもしれません。
しかし、それぞれの考え方や意見があり、そもそもこの問題を考えることに意義があるように思います。
我が家でも、先日子どもたちにこの質問を考えてもらい、それぞれの意見を交換する時間を作りました。
吉田松陰は、歴史を教えながら「君ならどうする?」といった問いかけをしていたと言われています。
国語、算数、理科、社会、英語といったものはこの考えるための基礎ではないかと思います。
なので、これらの科目を勉強をすることも大切ですが、自分で考えるという教育が疎かになっていないか少し心配をしています。
また、学校というものは、いろんな経験を通じて学ぶことも多いです。
友達や先生との人間関係、部活、運動会や文化祭などの行事。
そこで、人とのコミュニケーションについて学んだり、信頼できる友人を作ったり、その経験がかけがえのない財産となります。
上手くいかない経験もあるでしょうが、それも今後の人生に活きてきます。
新型コロナウィルスの影響で、多くの学校が休校となり、そのために子どもたちの「学びの保証」ということで、オンライン教育の推進が言われています。
以前、日経新聞の記事にこのようなことが書かれていました。
「日本もコロナ渦を受けて1人1台の端末を今年度中に配備する目標は立てた。しかし登校を再開した途端にオンライン指導を止め対面授業に戻る学校も相次ぐ。非常時も学びを止めず、新たな時代を生き抜く人材を育てようとする強い意志はそこにはない」
この文章を読んだときに大きな違和感がありました。
その違和感は何かなと考えたときに、私の考えでは、オンライン指導と「非常時も学びを止めず、新たな時代を生き抜く人材を育てようとする強い意志」とはあまり関係が無いように思ったからです。
そもそも、国語、算数、理科、社会、英語といった勉強は、学校がなくてもやる子はしっかりやっています。
オンライン指導はあったほうがいいかもしれませんが、無くてもやる子はやりますし、吉田松陰の時代は当然そんなものはありません。
「新たな時代を生き抜く人材を育てよう」というのであれば、オンラインか対面かという論議ではなく、「どういう教育をするのか?」の方が本質的に思います。
なぜ、勉強するのか?
子どもたちにも私なりの意見を伝えました。
そのうちの一つを紹介すると、「自分で考えて行動するためには、基礎知識と考えるという脳のトレーニングが必要」といったことも伝えました。
新型コロナウィルスの報道を考えても、いろんな人がそれぞれの立場で発言をしています。
・とても危険だ
という人もいれば、
・ただの風邪みたいなもんだ
という人もいます。
テレビの情報しか知らなければ、外に出るのがとても不安になるかもしれません。
しかし、太平洋戦争の時のようにマスコミは、都合のいいことしか言わないという教訓を社会で学んでいれば、マスコミ以外の情報を仕入れようとするでしょう。
国語力があれば、それぞれの人の意見に矛盾があるかないかを判断することもできます。
両者の意見、特に反対の立場の人の意見をしっかり聞くことも重要だと知っていれば、視野も広がる事でしょう。
数学や理科から学んだことで、数字で判断したり、他のウィルス例えば、インフルエンザなどと比較しながら、コロナウィルスの特徴を把握することもできるはずです。
英語力があれば、海外の論文も読めます。
このように、ただ単に知識を教えるのではなく、もちろん基礎としては必要ですが、自分なりに考え行動するためにはどのような学校教育が必要なのかを、オンライン教育の推進よりも真剣に考えたほうがいいのではないかと思う次第です。
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