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有神経のみんなたち

少し前の話ですが、足立区議のトンチキ発言が物議を醸しましたね。
そこからほどなく足立区短歌も興り(詠ませていただきましたありがとうございました)、そうして足立区滅亡SFアンソロジーの企画も立ち上がり、そして諸般の事情でお流れになりましたね。
いや凄かった。
見る限りかなりホットな話題で、賛否両論……どころか否が9.5割くらいの印象でした。
そして、自分がどちら側なのかといえば。企画そのものではなく、企画が中止になったことに怒ってしまった側です。別にそう過去形でもなく。
この時点で合わねえなと思ったらそっ閉じでよろしくお願いします。


アンソロの件以来、折に触れて考えているのは。
セクシュアリティの話、性的マイノリティの話、飛躍して性別二元制(ジェンダー・バイナリ)のこと、フィクションと創作と現実の話、当事者と非当事者のこと、あとは反差別についてだの……。
以下はなんでそこまで怒ってんのという怒りの話と、上に連ねた諸々とが繋がったり飛躍したりする文章になります。
お時間を取らせて申し訳ないですが、どうにも書き留めたくなったのでやります。とりあえず、配慮とか理解が欲しいとかそういう話ではないです。
あと、批判した側を攻撃したいとかでなく、ただひたすら無念に思っているだけです。恨み節はいくらでもあるけれど、攻撃の意図はないです。


・差別への加担だったのか


主催のスタンス、好きだったんですよ。発足の文面から中止のお知らせに至るまで、無邪気な浅慮とは思っていないです。
「とんでもない時事トピックへの性急な便乗」だったのは事実として、すなわち不謹慎すなわち浅慮と見なされたのも凄かった。その流れも仕方ないんだろうけれど、そこまで……? という感情。
しかし主催の手に負いきれなくなったのも本当なので、中止は致し方なく。ただしそれは、「"そもそもこれらがフィクションであり、差別を助長するためにやるものではない"という書き手と読者と外部に向けた前提の共有……という初動をしくじっただけ」で、主催側が「無自覚な加担をした」ことが不味かったからだとは思っていないです。いまだに。


批判の内訳はだいたい、

それは差別への無自覚な加担
ノリがただ軽い
エモいなんて理由でネタとして消費しているだけ
オタクの悪ノリ・悪ふざけ・加害性
カウンターになっていない
セクシュアリティはオモチャではない
寄付という方向性がおかしい(あれは検討中の段階だったでしょうに)
抗議か遊びかハッキリさせろ

あたりでしょうか。
LGBT当事者やあるいは区民の方、あとは創作をしたり読んだりする人々が、眉をひそめたり、傷付いたり、尊厳を損なわれたと感じたり、いろいろあったと思います。
実際に傷付いてしまったならその手当てをしていくべきだし、非難も悪罵も致し方ないことではあります。多くの方が、現在進行形で戦っているので。


しかしそれはそれとして、性的マイノリティ(アロマンティック・アセクシュアル)である創作者がここにぼんやりといて、こういうことを思うなんてケースもあるということです。LGBT当事者ではないんだから関係ないやろといえばそれもそう。


このあたりはきっと、LGBT当事者側で創作もする側・しない側の意見と、非当事者で創作する側・しない側の意見と、LGBT枠には入らない性的マイノリティ側で創作する側・しない側それぞれの意見があるだろうし錯綜してはいる。
自分は「創作する側」として怒ってしまっているから、当事者側を踏み得る。というのもわかる。しかしいまだに怒ってもいるし悲しみもある。というそんだけの話です。


区議の発言自体はあんまりにも荒唐無稽で、自分は怒るどころか失笑ものだったんです。だって現実的に考えてそんなことで滅亡するわけがねえですもん。
アンソロ企画に対する批判としてあった「それをよりにもよって今、しかもアレを受けて(題材にして)創作しようというのは差別の助長だ」ということには、いまだにどーーーしても頷けないままでいます。
現実をベースにフィクションを書くのであって、ノンフィクションを書こうってわけでもなし……逆に「差別の空気や魂胆を煽ってやろ」と思っているのなら、区議の件の発言の方に賛同した方がずっと早くないですか……という。


LGBTに対する差別や偏見の問題はセンシティブな案件だ、というのはそれはそうだけれど、「ノリで」「遊びで」「非当事者たちが」乗っかったと思われているのもかなりつらいなという気持ちです。
「それで滅亡とかエモいな」って思うことと「エモいからそれで滅亡しろ」って思うことは違うじゃんっていう。いや詭弁か?


「そうした創作は遊びじゃない!」と言うつもりはないけど、むしろ本気で遊んでいるけど、それは当事者を傷付けているのだろうけど(そこは申し訳なく思う)、区議の件の差別発言を、性的マイノリティ当事者として心っ底アホらしいと思ったから遊びたくなった、というのはじゃあ邪なんかってずっとずーっと自問しています。
差別問題を「真面目に取り扱っていないと見なされたら」すなわちそれは差別なのか、ってずっとぐるぐるしています。
(こちらがLGBT当事者でない時点でそもお門違い、というのならそれまでですね)


参加希望者が多くていったん締め切ったというのも、「じゃあ全員が"ただの遊びで"便乗したのか」っていう。それを誰が判断できたんだろうかっていう。今となっては詮ないことだけれど、「そういう"無邪気不謹慎な側"がやることなんだからおおかたそういう魂胆だろ」で話が進んでしまったんじゃないか、という。
フィクション無罪とは思わないですが、フィクションは現実に影響しますが、現実だってフィクションに影響するのになんだかまあ悲しいなあ、という。


・「センシティブな話題だから、取り扱いに気をつけるべき」なのか


「LGBT当事者がいて現実問題傷にもなっているのに、そこを顧みずネタにオモチャにして消費している」と批判された件、それじゃあ「オモチャにせず真摯に向き合って為されたLGBT創作」がある、ということなんですよね。あるんだと思います。こちらの不勉強でただ知らないだけで。
あるいは「LGBTという領域に関して創作すること自体がオモチャ扱いとなるのでそうした創作するな」なんでしょうか。


「軽々に創作するな」なのか、「そもそも(当事者不在のまま)創作するな」なのか。
表現の自由に則るならば後者はないにせよ、それじゃあ前者のような「その創作物の軽重の判断」は誰がやるんでしょう。
それは読み手以外にあるまいし、それ自体は妥当ですし、それでも判断する読み手は存在しないんですよね。アンソロ自体が中止になったので。
(滅亡SF創作を以降もされている方はいらっしゃるはずなので、ならば読み手も存在するのですが)


LGBT表現を「軽々にやってはならない」のだとするならば、not軽々の証拠はなんだろう、という話。
「身内で」「隠れて」やることなんでしょうか。それは、「日向に出るべきではない表現である」という認識と何が違うんでしょうか。
アンソロの件でひたすら残念なのは、LGBT当事者の方も参加表明をしていらしたのに、立ち消えになったことで「集まったそれらを」読める機会を失したということです。
セクシュアリティ表明の上でつくられた創作を読めるなんて機会はそうそうない気がしていたので。当事者非当事者混合で集まったそれを目にしてみたかったなあ、という気持ちです。
そんなに、そんなにあの企画は、当事者を踏みつけにしてしまったのか。怒りの声が多かったのもわかってはいるけれど、それでもそう思わずにはいられないのは、こちらが「差別に加担しているから」「差別に真面目に向き合っていないから」なんでしょうか。


・マイノリティはいつまで苦しめばいいのか


差別構造や偏見も、悪気なくそこかしこにある(それでも前進はしているはずの)現状だとは思っています。
それで、身も蓋もない話、己も含めたマイノリティは、いつまで「無理解」に傷付くポジションに居ればいいんでしょうか。偏見や差別は是正されていくべきではあるけれど、それは「方々から配慮を賜りながら生きること」ではないはず……。


己のセクシュアリティと社会の兼ね合いなんてものを、他人事じゃなく自分事として背負うのはやぶさかではないけれど、だからといって「センシティブな問題」としてシリアスに受け止めながら生きるのは、少なくとも自分は疲れてしまった。
なぜ逐一傷付かなければいけないのか、と思うのは、「現実からの逃げ」にあたるんでしょうか。マイノリティは傷付いていて、理解が必要で、差別を断じることを最優先にして生きていかなきゃいけないんでしょうか。
なんか疲れてしまったし、区議の荒唐無稽な発言には笑ったし、きょうびそうした思想がまかり通っているっぽいこともウケるし、んなもん馬鹿馬鹿しいねーって笑っていたいし、それはそれとして戦うこともやぶさかではないけれど、差別をサーチアンドデストロイするばかりがその「戦い」とは思わないなっていう。


「いないことにされる」からといって消されているわけでもなし、現に生きているし、生き延びてきたし(たかだか生きることにそんな労力を割かざるを得ないのは狂ってんなと思います)、透明化したい側に透明化に勤しまれてもそれこそ詭弁すぎて笑ってしまうし。


・性別の話がダルいので


ジェンダー・バイナリ(性別二元制)(検索すればwikiとか出ます)でずっと突き進んできただけの社会で、男としてあるor女としてあるのいずれかを選ぶことが当然の社会で、身体なんてたかだかハードウェアのくせに、それありきで身の置き場が決まったり差別構造が幅利かせたりするの大概すぎるので、そのへんからどうにかなってほしいなと思わずにはいられない。ジェンダーロールとか、したい人やそれでいい人がやって、いらない人はいらないとか、選択の自由でよくない? だめすか……。


だって、なーにが性的マイノリティなんでしょう。ずっとそうやって生きてきただけなのに、今さらマイノリティというラベルがついて、はいっあなたは少数派です偏見の類が待ち構えています敵はあっちで味方はこっちです、とか、なかなかどうして……。
リビングウェルイズザベストリベンジというのはいい言葉ですね。どうせ復讐をするならば己にとっての最良がいい。
たかだか個人の思想文ですが、お読みいただきありがとうございました。
戦う人には勝利があってほしいし、戦えない人戦いたくない人にも安息があるといいなと思っています。

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