アナログ派の愉しみ/映画◎山本嘉次郎 監督『馬』

そこには生命への
とめどない畏怖の念が


ノルマン種の牝馬が横たわり汗だくになって全身をわななかせている。人間と馬が同居する「南部まがり家」にあって、5月の遅い春、いましも分娩がはじまろうとしているのだ。そのありさまを正視できず、娘のいねは母親へ食ってかかるようにこんなやりとりを交わす。

 
 「人間でもあんなに切ないもんだべか」
 「バカこけ。おめえを産むとき、お母ちゃんかてなんぼか切なかったか」

 
そして、ようやく父親の手が取り上げた仔馬が家族全員に見守られながらひとりで立って歩きだすところが、山本嘉次郎監督の『馬』で最も感動的なシーンだろう。

 
岩手県の寒村にひっそりと暮らす一家が妊娠馬を預かり、こうして誕生した仔馬を立派に育てあげて、軍用馬として高く買い取られていくまでをセミドキュメンタリー・タッチで描いた映画は、中国大陸で長い戦争が行われていた1941年(昭和16年)に完成した。冒頭にいきなり東条英機陸軍大臣の名前で「飼育者の心からなる慈しみに依ってのみ優良馬=将来益々必要なる我が活兵器=が造られるのである」という言葉が映しだされるとおり国策映画で、国民全体の戦争協力を促すものだっただけに、一頭の馬の出産がもたらす生命への畏怖の念がいっそう輝きを帯びて迫ってくるのだ。

 
当時としては莫大な資金を投じ、撮影に3年の春夏秋冬をかけ、東北各地のロケ現場で4人のカメラマンが各々得意とする季節を担当するという、現在ではありえないほどの贅沢な方法で制作された。主人公のいねを演じた高峰秀子はこの間に15歳から17歳に成長して、子役から女優へと羽ばたいていくきっかけとなったが、長期におよんだ撮影中、チーフ助監督をつとめた若き日の黒澤明に恋愛感情を抱いて結婚まで思いつめたことを告白している。

 
結局、高峰の養母の志げが強硬に反対し、映画会社の思惑もあいまって、両人の仲はあえなく終わりを告げたものの、日本映画のファンにとっては幸いだったと言うべきかもしれない。なぜなら、その3年後、黒澤が自分の監督作品『一番美しく』(1944年)に主演した矢口陽子と結婚すると、彼女は映画界を引退して内助の功に徹したことに鑑みれば、もし高峰が黒澤と結ばれていたらのちの大女優は存在しなかった可能性もあるのだから。

 
それはともかく、高峰の自伝『わたしの渡世日記』(1976年)には、このとき養女の恋愛沙汰に憤懣の収まらなかった志げが、ある朝、出勤前の食事の膳にいきなり箸を乱暴に投げつけて叫びだした情景が記述されている。

 
 「お前なんか、人間じゃない! ケッカイだ」
 「ケッカイ……って、なに?」
 「ケッカイっていうのは、血のかたまりのお化けだよ! 赤紫色をしたグジャグジャのこんなものさ」
 母は両手で、さも汚らしそうに、ブヨブヨとした丸いものを形づくって見せた。
 「女はね、お産のあとで、グジャグジャの汚いものを出すんだよ。お前は、その汚い血のかたまりだって言ってるのさ」

 
どうやら、ケッカイとは「血塊」を指すらしい。男にはとうてい口にできそうもない凄まじい言葉だ。しかし、映画の馬の出産シーンでいね役の高峰秀子が口走るセリフとは対極的ながら、その養母が激情に駆られて吐きだした言葉もまた、この無明の世界にあって、生命へのとめどない畏怖の念が込められていたのではないだろうか。わたしはそんな思いがするのである。
 

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