アナログ派の愉しみ/朗読◎寺田 農 朗読『秋刀魚の歌』

肉声を介して
文学を旅してみれば


当年91歳の父親の住まいを訪ねた際、コレをお前にやろう、と両手で抱えてきた段ボール箱には『聞いて楽しむ日本の名作』という朗読CD16枚と解説書2冊が入っていた。これまで意表をついたプレゼントに困惑したこともあったけれど、今回にかぎっては素直に喜ばしく受け止めた。すでに自身が繰り返し使ったあとのものらしく、CDのケースが傷んでいたり解説書のページが折ってあったりするのも好ましかった。

 
と言うのも、これだけまとまって肉声を介して小説や詩の世界を旅するのは未知の体験のうえ、およそ文学の嗜みがあったとは思えない父親の足跡を追ってみるのも一興に感じられたからだ。明治の二葉亭四迷『浮雲』、森鴎外『舞姫』、樋口一葉『たけくらべ』から、昭和の谷崎潤一郎『細雪』、高村光太郎『智恵子抄』、宮本百合子『播州平野』までが年代順に並び、ベテランの俳優たちが読み上げるのだが、ただ活字だけに接してきたのとはときに印象が一変することに新鮮な驚きを覚えた。

 
その最たるものが佐藤春夫の『秋刀魚の歌』(1922年)だった。大正デモクラシーの時代の詩作で、つぎのフレーズはだれしもどこかで目にしたことがあるのではないか。

 
 さんま、さんま、
 そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
 さんまを食ふはその男のがふる里のならひなり。
 そのならひをあやしみなつかしみて女は
 いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。

 
作中の「その男」とは佐藤本人に他ならず、このとき29歳、かれが和歌山県新宮の故郷の味に親しむ食卓で向きあう「女」は当時の谷崎潤一郎夫人の千代で、このとき24歳、のちに世間を驚倒させた谷崎から佐藤への「細君譲渡事件」(1930年)の前段をなすひとコマだ。そこからは、ともに夫婦関係が破綻した同士のやるせなさと道ならぬ恋情へのおののきが切々と伝わってくる――。というふうに、わたしもこれまで読み取ってきたのだけれど、文学座出身の寺田農の朗読になるCDを聞いてみると、もっとアッケラカンと感じられるのだ。

 
そもそもCDでは、この詩の前に小川未明『赤いろうそくと人魚』、後には宮沢賢治『どんぐりと山猫』という配列で、日常生活から隔たったふたつのファンタジーに挟まれたせいもあるのだろう。大衆魚のサンマに青いミカンの汁を垂らして舌鼓を打つふたりのありさまには、いじけた私小説のごとき気配よりも、あえて悲哀をもてあそびながら、いざとなれば開き直ってしぶとく生きてみせる、男と女のいにしえの説話のような雰囲気が勝っていて、わたしは結びのフレーズを耳にして思わず大笑いしてしまったのである。

 
 さんま、さんま、
 さんま苦いか塩つぱいか。
 そが上に熱き涙をしたたらせて
 さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
 あはれ
 げにそは問はまほしくをかし。

 
ところで、わたしは東京・国立市にある中・高一貫の私立男子校に通ったのだが、その校歌は佐藤春夫が作詞したものだった。どうやら実際にはこの地に足を運ぶことなくしたためたらしいものの、多摩川の岸辺にあって、松の枝越しに富士を望みながら、高い志をもって勉学に努めるという大ぶりな内容で、これを信時潔の作曲による『海行かば』そっくりの荘重な調べでうたいだすと、卒業から半世紀近くが経ったいまでも自分が説話の世界の主人公になった気分を味わえるのだ……。
 

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