アナログ派の愉しみ/映画◎ポール・シュレイダー監督『MISHIMA』
三島由紀夫生誕100年の
メモリアルイヤーに
三島由紀夫生誕100年のメモリアルイヤーとなる来年(2025年)には、果たしてどれだけ記念企画が繰りだされるのだろうか? そこで、僭越ながらわたしからもひとつ提案してみたい。この機会に、幻の映画とされてきた『MISHIMA』(1985年)の封印を解いて一般上映するのだ。
三島の死から15年後につくられたこの日米合作映画が、日本においてタブー視されてきた理由に関してはいくつかの憶測が流布するものの真相は闇のなかだ。結果的に一度も正式な上映が行われることなく、いまだに海外のソフトをパソコンで再生するしか鑑賞の方法がない。そのせいでいかにもキワモノめいた印象がまといつき、このままたいていの日本人の目に触れないまま過ぎていってしまうのはあまりにも惜しい。というのも、製作総指揮にはフランシス・コッポラとジョージ・ルーカスが当たり、ポール・シュレイダー監督のもと、石岡瑛子の美術、フィリップ・グラスの音楽など、錚々たるスタッフが携わったレッキとした大作映画だからだ。
しかも、それ以上に目を見張るのは、出演者のほとんどを日本人俳優が占め、緒形拳、大谷直子、加藤治子、細川俊夫、坂東八十助、佐藤浩市、萬田久子、笠智衆、沢田研二、左幸子、烏丸せつこ、横尾忠則、李麗仙、永島敏行、池部良……といった綺羅星のごとき名前が並んでいることだ。こうした絢爛豪華な光景は、あたかも日本映画の黄金期にさかんに「オールスター・キャスト」を謳って制作された一連の『忠臣蔵』映画を思い起こさせる。突飛な連想だろうか? わたしはそう思わない。
『MISHIMA』は、早朝、東京・馬込にある白亜の洋館の一室で三島由紀夫(緒形拳)がベッドから起きだし「楯の会」の制服を着込むシーンからはじまり、正午過ぎ、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の東部方面総監室で正座してその制服の上着をはだけ、毛深い腹部に刀の切っ先を突き立てるシーンで終わる。すなわち、あの1970年(昭和45年)11月25日の三島の行動を主軸として、かれの幼時からここに至った人生行路のエピソードをモノクローム映像で点綴し、さらに『金閣寺』『鏡子の家』『奔馬』の三つの作品の抜粋が劇中劇として挿入され、そこに三島自身の言葉にもとづく饒舌なばかりのナレーションがかぶさって、言葉と現実、精神と肉体、天皇と革命……といった二項対立の確執を浮き彫りにしていく。
このようにして、世界を驚倒させた事件の再現ドキュメントに、過去の回想シーンと虚構のドラマを組み合わせたうえ、おびただしい言葉で包み込むことによって、歴史のひとこまから独立したレジェンド(伝説)へと昇華させる。それは、大石内蔵助以下の旧赤穂藩士一党が吉良上野介に復讐した事件を『忠臣蔵』がレジェンドに仕立てたやり方と通じるものではないか。
『忠臣蔵』においてクライマックスをなすのは、未明の吉良邸に討ち入った赤穂浪士が敵方を殲滅したのち、肝心の上野介の居所をつかめないまま夜明けが迫ってくる場面だろう。同じく『MISHIMA』では、三島が「楯の会」の森田必勝ら学生4人とともに自衛隊駐屯地で総監を縛りあげて人質に取り、すべての隊員の召集を要求して、かれらを前にバルコニーのうえから演説をはじめたものの、喧しい怒号と嘲笑に搔き消されてしまうところだ。かぎられたタイム・リミットのもと、赤穂浪士はぎりぎりで目的を果たせたが、三島の畢生のチャレンジはあえなく無に帰したのである。
われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。……
このときに用意された「檄」の一節だ。三島が45年の人生の最後に刻みつけたこれらの言葉は空しく宙に放たれたままさまよっている。その生誕100年のメモリアルイヤーにあたり、空前絶後のレジェンドとして、われわれがあらためて直視することは日本の未来を考えるためにも意義深いのではないだろうか?