アナログ派の愉しみ/本◎山川菊栄 著『武家の女性』

男性たちはなぜ
毛髪にかくも執着するのか


髪は女のいのち、というけれど、男性たちの毛髪に対する執着もおさおさ劣らないのではないか。それは世間に氾濫する養毛・育毛剤から人工増毛術、ウィッグやかつらに至るまでのおびただしい広告を眺めただけでも明らかだろう。顔面の髭や首から下の体毛には冷淡で男性用脱毛サロンも盛況と聞くけれど、こと頭部の事情になると涙ぐましいばかりの対策が講じられるのはどうしたわけだろう?

 
かねて抱いてきたそんな疑問に対して、ひとつのヒントを与えてくれたのが山川菊栄の『武家の女性』(1943年)だ。これは近代の女性解放運動の論客として名高い著者が、幕末の水戸藩の下級武士の家に生まれ育った実母・千世(ちせ)に当時のしきたりや暮らしぶりについて聞き取りを行ってまとめたもので、そこからは時代の隔たりを超えて、まるでわれわれの隣人のような生々しい息遣いが伝わってくるのが面白い。

 
このなかの「身だしなみ」の章によれば、武家の女性たちは当然のたしなみとして12~13歳から自分の髪を結いはじめ、嫁入りをするまでに恥ずかしくない島田や丸髷を結えるようになるため腕がだるくなるほどの稽古を重ねたという。むろん専門の女髪結いも存在したけれど、もともと芸娼妓向けの商売が次第に富裕な町家に普及していったもので、武家に出入りすることは許されず、自分の髪はあくまで自分の手で結うのが基本だったらしい。さらには、大勢の家来がいる上層階級はともかく、ふつうの武士の家庭では男性の髪を結うのも主婦の仕事だったとして、こんなふうに記述されているのだ。

 
「これは女の髪を結うほど、こまかい手数や技巧はいりませんが、もっと力のいる、骨の折れる仕事でした。というのは、若い、毛の多い男の髪などは、一筋のおくれ毛もないように鬢(びん)つけ油(あぶら)で固めてあるのをとかすだけでも楽でなく、更にそれを木の棒のように固めて引きのばした上で、元結(もとゆい)で根を強く強くくくり、折りまげてチョン髷に結うのですから、始めからしまいまでまるで油で固めた棒と取組むようなものでした。しかも撃剣の稽古などをするとたちまち根がゆるんだり、元結が切れたり、芝居の立ち廻りで見るようないわゆるじゃんばら髪で、髪をふり乱しているようなことになるので、そんな時は稽古場で男同士で結い合ったものらしいのですが、とにかく家でも度々結わなければならず、月代(さかやき)も年中青々と剃っておくのですから手がかかります」

 
いやはや、あの時代劇でお目にかかるチョン髷には、こうした女性たちの重労働の背景があったとは! あまつさえ、若くて髪の量の多い場合が厄介だった一方で、やがて年を取って毛髪が見当たらなくなったらなったで、禿げ頭につけ髷をしなければならないのも面倒な仕事で、苦労は尽きることがなかったという。

 
ことほどさように煩わしい男性の頭部にまつわるエピソードを辿ったあとで、千世の述懐はこう結ばれる。

 
「しかし幕末に世の中が騒がしくなるとともにそういう悠長な真似はしていられなくなり、維新前後の志士の肖像や、彰義隊の絵草紙に出ている勇士のように、男は総髪にして紫のふとい紐で根をくくり、うしろへさげているのがはやるようになりました。それだけ活動に便利なものが要求され、はやりもしたわけなのですが、水戸あたりでは、あの髪は軽薄でキザだといって年寄は嫌いました。〔中略〕とにかくチョン髷も、女の日本髪と同じく長い太平の遺物で、世の中の移り変りにつれて、風俗の上でも否応なしに古いものがこわされていったのでしたが、女の方は、いつも男より一と足か二た足ずつおくれてその変化が来たのでした」

 
かくして、わたしは膝を打ったのだ。封建社会にあってチョン髷とは、形状に流行りすたりがあったとはいえ、たんに男性の見だしなみにとどまらず、武家の象徴として一家を挙げて堅持するべきものであり、もしそれが損なわれたら一家の名誉も失われて世間のもの笑いとなりかねない仕儀だったのではないか。山川菊栄が書き残した稀有な記録は、長い歴史のなかで培われてきたその精神的なDNAが受け継がれ、いまだに男性たちに(あるいは禿げ頭を嫌う女性たちにも)髪はいのちという固定観念があることを示唆しているように思うのだが、どうだろうか。


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